伊勢神宮(-JINGU-)◆ 古殿地(KODENCHI)

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伊勢神宮(-JINGU-)◆ 古殿地(KODENCHI)

伊勢神宮(-JINGU-)◆ 古殿地(KODENTI)

古殿地の読み方

「古殿地」は「こでんち」と読みます。

古殿地の別名

他に、「新御敷地(しんみしきち)」とも呼ばれるらしい。




「古殿地・新御敷地」の役割り

伊勢神宮の境内のパンフレットや、伊勢神宮の宮域などを紹介する雑誌などを閲覧していると、「古殿地・新御敷地」と記載された場所を目にすることがあります。

もうご存知の方も多いと思われますが、伊勢神宮では20年に1度、宮域内のすべてのお宮を造り替えてしまいます。

すなわち、その一切を新築にするのです。

通常の新築とは、更地から土台を組んで建築物を建てていきます。

しかし、伊勢神宮においての新築とは、建物(社殿)を取り壊して、一旦、更地にしてから新築するのではなく、現在の建物の横に、もう1つ敷地があり、その敷地に新しい社殿を建ててしまうのです。

したがって、現在の社殿を維持したまま、新しい社殿を「隣の土地」に、もう1つ建てることになります。

そして、これを「遷宮(せんぐう)」と呼称します。

「古殿地・新御敷地」の正式名について

「古殿地と新御敷地」は、本当はどっちが正しい呼び方なの?

・・などと、言う疑問が出てくる方も多いと思いますが「古殿地と新御敷地」は、どっちも正式名です。

これはどのようなことかと申しますと、以下のように使い分けがなされるのです。

古殿地

遷宮後の以前、社殿が建っていた旧土地は、おおよそ6ヶ月は「古殿地」と呼称されるのです。

つまり、以前の古い御殿地だからです。

殿地とは、以前、社殿が建っていたことに由来して、敬う気持ちと織り合わせて「殿地(でんち)」と呼称しています。

新御敷地

一方、遷宮から、おおむね6ヶ月を経過すれば、今度は呼び方が変わり、「新御敷地(しんみしきち)」と呼称されます。

これは、次に新しい社殿が立つ予定の「御敷地(みしきち)」だからです。

「古殿地・新御敷地」の「小さな小屋」には何があるの?

「古殿地・新御敷地」を見られた方であれば、多かれ少なかれ、こんな疑問が湧き起こるハズだと思います。

『「古殿地・新御敷地」の小さな小屋には何があるの?』

「古殿地・新御敷地」を、すでにご覧になられた方であれば、分かると思いますが、「古殿地・新御敷地」には、広々とした玉砂利の敷地に「小さな小屋」がポツんと淋しげに建っています。

伊勢神宮(-JINGU-)◆ 古殿地(KODENTI)実はこの小屋の場所には、以前の正宮の「御正殿があった場所」だと言われております。

つまり、次の遷宮の時には、新しい御正殿がこの「小さな小屋」の上に建つことになります。

「心御柱」と「小さな小屋」の「とんでもない関係」

さらに、もう1つこんなお話があります。

知っている方は知っているのですが、現在の正宮の御正殿の社殿の下には、「太さ約30cm」、「長さ180cm」ほどの「心御柱」と呼ばれる「御木」が埋まっているのです。

この心御柱は「しんのみはしら」と読み、別名では「忌柱(いみばしら)」とも呼ばれ、神宮では言葉するのも畏れ多いと言われています。

「太さ約30cm」、「長さ180cm」ほどの「心御柱(しんみのはしら)」一説には、この「小さな小屋」には、以前の遷宮の時の「心御柱」が、まだ残されたままの状態であると言います。

これには理由があって、次に御正殿を建てる位置を正確に示すためだとも言われています。

なぜ、このように正確にしなければいけないのかと申せば、天照大御神がお宿りになっておられる「八咫鏡(御神体)」の、ちょうど真下の位置が、この「心御柱」と合わさらないといけないのです。

神宮に伝わる古文書によれば、過去に1度、御正殿を建てた際に「心御柱」と「御正殿の御鏡」の位置がズレたことがあったそうです。

つまり、こういったズレを生じさせない為であると考えられています。




古殿地の特別拝観(参拝)について

この古殿地は、注連縄で結界が張られており、時期によっては「木の壁」で覆われていたりします。

古殿地は、時期によっては「木の壁」で覆われていたり、はたまた、注連縄で結界が張られていたりするしたがって、一般の参拝者が中に入って、間近で「拝観(参拝)」できないようになっています。

しかし、あきらめることなかれ!

実は神宮では、特別に古殿地を間近で拝観ができる期間が設けられています。

その期間とは、式年遷宮の「遷御の儀(せんぎょのぎ)」の後から、おおむね「6ヶ月」の間は「古殿地拝観」と称されて、間近で拝観ができるのです。

古殿地の特別拝観(参拝)は「内宮・外宮」どっちもできるの?

実は、古殿地の特別拝観(参拝)は、その年の「特別参拝(御垣内参拝/みかきうちさんぱい)」した際に、オマケとして拝観(参拝)をさせていただけるようです。

そして、この古殿地拝観は20年ごとに移り変わります。

分かりやすく言うと、今年が「内宮」の特別参拝の順番であれば、次は外宮、つまり「内宮⇒外宮⇒内宮⇒外宮⇒内宮」

・・と言うように順番で移り変わっているようです。

例えば、今年は「内宮」で古殿地参拝できる年であった場合、次は40年後にならないと、再び「内宮」での「古殿地参拝」ができないといったことになります。

以上のことから、一生の内に最大でも3回ほどしか経験できない貴重な体験となります。

お伊勢参りされる際は、ぜひ、古殿地参拝できるタイミングを狙って訪れてみてください。

古殿地は見れない時期がある

古殿地は遷宮が行われた年によっては通常参拝ではまったく見れなくなります。

例えば2013年(平成25年)に執り行われた遷宮を例にとった場合、以前の御正宮が建てられていた場所は奥の敷地になります。したがって現在の御正宮は、以前の御正宮の手前に建てられている格好となります。

このように奥の敷地に御正宮が建てられている場合は、奥へ続く参道は木柵が並べられて通行ができなくなり、つまりはかつての御正宮が建っていた跡地が見れなくなります。

ただ、両宮の古殿地がまったく見れなくなるわけではなく、なんと!混雑していれば奥へ続く参道手前の木柵が撤去されて、奥へ続く参道を進むことができます。すなわち、そのときに観ることができるといういうわけです。

ただし、内宮の古殿地のみが観られることがほとんどです。この理由は、内宮は外宮に比べて参拝者が多いことから混雑回避の意味で奥へ続く参道の木柵を撤去するからです。

なお、古殿地は間近で観れるわけではなく、少し離れた場所からかろうじて観れる程度です。

内宮の場合、奥の参道へ進んだ後は、御正宮の裏側を通行して荒祭宮へ抜けることになります。このときに遠目で古殿地を観れます。

現在の内宮・御正宮が手前ある場合で、以前の御正宮(古殿地)の裏側の道が通れる日はいつ?

このように東側の木柵が取っ払われるのは、上述したように混雑したときのみです。古殿地が奥にある場合で、どうしても古殿地を観たいのであれば上述のように特別参拝するか、もしくは混雑時期に訪れる必要があります。

参考までに伊勢神宮の混雑時期は概ね次の通りです。

  • 12月31日から正月明けまで
  • 5月のGW期間
  • 10月11月の紅葉シーズン

これらの日以外でも何かのイベント行事によって急な混雑が予想される場合は、木柵が撤去されて奥の参道を通行することできるようになります。混雑具合や古殿地が観れるかどうかについては伊勢神宮(神宮司庁)へ問い合わせてみてください。(神宮司庁:0596-24-1111)

【余談】伊勢の地元では「新御敷地」をもとにした「とんでもない占い方法」が存在していた?!

実は地元・伊勢では新御敷地をもとにした「とんでもない占い」が存在すると言います。

上述したように神宮には「古殿地」と「新御敷地」が存在し、「古い方が古殿地」で「新たな敷地が新御敷地」とお伝えしました。

つまり、左右に同じ面積の敷地が2つ存在することになります。

この左右の敷地には、それぞれ言い伝えがあるようで、なんでも「新御敷地が右側(東)」に来た年の向こう20年はなんと!「米蔵(こめくら)」と呼称され、その20年間は世の中に食料はたくさん供給されるが経済成長が下降してしまうため、人々が一致団結して協力し合う時代と言われているそうです。

また逆に「新御敷地が左側(西)」に来た年の向こう20年は「金蔵(かねくら)」と呼ばれ、米蔵とは逆に食料の供給量は少なくなるが経済が成長すると云われているようです。

ちなみにもっとも最近、執り行われた式年遷宮は平成25年となり、向こう20年間(平成45年まで)は「金蔵の年」になるようです。

つまりは私が現在こうして執筆している現在は金蔵の年と言うことになります。ショクリョウyorimo、お財布マネーin! モットお財布マネーin!!




「古殿地(新御敷地)」の場所(地図)

「古殿地(新御敷地)」は、内宮・外宮の御正宮の真横に並んでいます。他に、各・別宮の敷地にも「古殿地(新御敷地)」は存在します。

⬆️内宮・古殿地

⬆️外宮・古殿地

伊勢神宮・内宮のオススメ参拝ルート

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