【外宮・勾玉池の中央に建つ謎の神社】「茜社(あこねさん)」の御朱印や境内の見どころ・歴史など

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伊勢市「茜社(通称:あこねさん・あこね社)」

創建年

  • 986年以前(平安時代以前)
御祭神

  • 天牟羅雲命(あめのむらくものみこと)
  • 蛭子命(ひるこのみこと)
ご利益

  • 茜社:五穀豊穣、心願成就、開運蓄財
  • 豊川茜稲荷神社:商売繁盛
  • 茜天神社:学業成就、病気平癒
  • 蛭子命:航海安全、交通安全、豊漁繁栄
  • 境内の大楠と大杉:夫婦和合・縁結び
例祭

  • 7月15日
  • 特殊神事(御頭神事):1月15日
宝物

  • 獅子頭1つ【三重県文化財】
  • 太刀2口




「茜社」の読み方

茜社は「あかね」と読むが通例ですが、「あこね」と読みます。

「茜社」の別名

別名で、「赤畝の社(あかうねのやしろ)」や「赤畝明神(あかうねみょうじん)」とも読まれます。

「茜」の名前の由来

別称である「あこね」は「赤畝(あかうね)」が訛り、「あこね」になったものとされています。「茜」から訛ったものではないようです。

漢字の茜(あかね)は「あこね」の当て字として、およそ明治時代初期に付されたようです。

なお、宇治山田史によれば、永享年間(1429年〜1441年)には、「茜根社(あこねしゃ)」、他に「赤舟明神」とも書かれたようです。

この「茜根」が訛ったとする説もあるようです。

茜社の歴史

茜社は伊勢神宮外宮の境内地と言える勾玉池の中央に座しながら、現在に至っては外宮の摂社(せっしゃ/関係社)ではなく単立の社としてヒッソリと外宮勾玉池の中央に鎮座しています。

三重県神社庁によれば986年(平安時代)以前から当地に存在したとされる古社であり、当初は社殿がなく石壇に祀られていたようです。

その上、社格までも有し、創建当初は外宮の摂社に列していたようです。

ようやく簡素ではありますが、社殿となる「祠(ほこら)」が造営されたのが江戸時代になってからのことです。

また、現在、茜社が建つ土地は「豊川町」ですが、創建当初は「赤畝」と呼ばれていたことから、「赤畝の社」「赤畝明神」と呼ばれていたことも明らかにされています。

明治時代に入ると外宮の宮司(神官)が世襲制ではなくなり、従来までの度会氏ではなくなります。これに関連してかどうか分かりませんが、このときを境として外宮の摂社から除外されています。

明治4年11月2日に村社(村の鎮守神)となり、明治42年2月には、元豊川町字下馬所に祀られていた蛭子命と天神の神「菅原道真」がこの茜社にて合祀されています。

1952年(昭和27年)に単立の神社として神社庁に所属する運びとなり、現在に至っては山田地区「山田産土八社」の1社として篤い崇敬が寄せられています。

1995年(平成7年)6月には、前代・藤本神主に半ば代替わりする形で新たに「鈴木神主」が誕生しています。なんでも伊勢市内で唯一の女性神主さんなんだそうです。

御祭神「天牟羅雲命」とは?

「あまのむらくものみこと」と読みます。神宮外宮に伝わる「豊受大神宮禰宜補任次第」によれば、天牟羅雲命とは度会氏の祖先神とされています。

通説では、天界から天の天水を持ち帰ったとされることから、「水(飲み水)の神」としても崇められています。

「宇治山田市史」によれば「不詳一座 或云赤畝氏祖天牟羅雲命」との記述が見られますが、注目する点は「赤畝氏」という文字です。

「赤畝氏」とは度会氏の氏族であり、度会氏の一族がこの地を領したことから、土地の名前に「赤畝」の名前が付されたものだと考えられます。

このような外宮入口の勾玉池の中央に祖先を祀っている状況を鑑みれば、外宮の頂点に君臨し、外宮を意のままに操った度会氏が、自身の祖先神を祀ったことは、ほぼ間違いないと言えます。

なお、「天牟羅雲命」の名前は「先代旧事本紀(くじほんぎ)」に名前が見える神です。饒速日命(にぎはやひ)の孫神とされ、天香山命(あめのかぐやまのみ)の子神とされています。

 「海部氏系図」「尾張氏系図」「津守氏古系図」の記述によれば、「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」との関係性も見えます。

天叢雲剣とは、ご存知の通り、かの三種の神器である「草薙の剣」の別名になります。「草薙の剣」と言えば現在、熱田神宮(名古屋)で奉斎されている熱田大神のことです。

御祭神「蛭子命」

「ひるこのみこと」と読みます。最初に日本大陸を創造した国生みの親神として知られる「イザナギ神」と「イザナミ神」の子神です。

子作りに際して女神であるイザナミ神が最初に男神である「イザナギ神」に声をかけてしまったことが原因で、不具を持った異形の姿の子として誕生することになります。

その異形さ故に、葦で編んだ小舟に載せられて、想像上の島だとされるオノゴロ島へ流れます。鎌倉時代に編纂された「源平盛衰記(げんぺいせいすいき)」によれば、摂津国「西宮浜」へ流れ付いたとされ、西宮大明神として「夷三郎殿(えびすさぶろうでん/現在の西宮神社)」で祀られたとのことです。

以後、室町時代に「えびす信仰」と習合し、縁起を担ぐ商売繁盛の神「えびす神」として崇拝されます。

ちなみに西宮神社は「えびす神」を最初に祀った神社であることから、日本全国に多数ある「えびす社」の総本宮とされています。

茜社の境内案内図




茜社の境内見どころ

茜社

  • 御祭神:天牟羅雲命、蛭子命

茜社の本殿ならびに拝殿です。茜社に実際に訪れて本殿に参拝すれば分かりますが、社殿の造りが非常に伊勢神宮の御社殿と類似しています。

正面の観音開きの木扉や周囲に御垣が張り巡らされていることや、さらに石壇上に玉砂利が敷かれ、その上に御本殿が建てられる姿など、さながら伊勢神宮属下の御社殿のようです。

伊勢神宮の御社殿に似せている理由は、御社殿を建てる際に使用した用材はすべて、20年に1度、伊勢神宮にて執り行われる式年遷宮(しきねんせんぐう)後の廃材を貰い受けて建てているからです。

また、明治時代以前まで外宮の摂社であった経緯からも、伊勢神宮の御社殿に似せているものと思われます。

⬆️茜社の拝殿内の様子。右脇に豊川茜稲荷神社が見える。

豊川茜稲荷神社

  • 御祭神:宇迦之御魂

実は茜社の社殿の北側には小さな岩窟(洞窟)が存在し、創建当初からかどうかは分かりませんが、岩窟の中で「豊川明神」という神が祀られていたようです。現代風に言えば「宇迦之御魂(うかのみたまのかみ)」のことです。

そんな経緯から別名で「豊川明神」や「豊受稲荷」などとも呼ばれていたようです。

豊受稲荷の「豊受」とは、外宮でお祀りされている「豊受大御神」のことです。かつて外宮でも稲荷信仰が盛んであったとされ、その頃に「豊受稲荷」などと呼ばれていた姿が想像につきます。

茜社さんの神主さん曰く、当社の豊川稲荷はダキニ天を奉斎した豊川稲荷ではなく、伏見稲荷大社系列の神道としての宇迦之御魂を奉斎した稲荷社だということです。

「豊川」の名前は伊勢市豊川町にある稲荷神社であることから「豊川稲荷」という名前を付したようです。

近年に至っては、間違われてダキニ豊川稲荷系の信徒や僧侶が参拝され、中にはダキニ天を祀った豊川稲荷だと主張する方もいるので困っているというような話もされていました。

ダキニ天を祀る豊川稲荷とは愛知県にある「妙厳寺(みょうごんじ)」のことを指します。すなわち寺院です。ダキニ天は真言密教と関わりが深く、弘法大師 空海が真言密教の守護神として稲荷信仰と共に広めたとされています。

ダキニ天と稲荷神(宇迦之御魂)が習合した理由は、ダキニ天と稲荷神(宇迦之御魂)とが、お互い狐の背にまたがった姿をしているからです。

習合した後、かつて伏見稲荷大社の境内に置かれた「愛染寺(あいぜんじ)」を総本山として稲荷信仰が伝播することになります。

稲荷信仰は江戸時代に最盛期を迎えますが、明治初頭に起こった廃仏毀釈の影響により愛染寺は廃寺となり、現在に至っては豊川稲荷がダキニ天を祀る稲荷信仰の総本山として機能しています。

ねがい袋

豊川稲荷社の拝殿の中には「ねがい袋」なる紙の袋が置かれています。

なんでもこのねがい袋にねがいを書いて豊川稲荷へ奉納することにより、祈願が叶うとのことです。

ねがい袋の仕方

設置されている専用の用紙に以下の事項を記入します。

  1. 自身の祈祷内容(お願い事)
  2. 住所
  3. 氏名
  4. すべて記入し終えたら初穂料(1000円〜あとはご志納)を添えてねがい袋へ入れます。
  5. 最後に、その「ねがい袋」を拝殿内にある「ねがい箱」に入れます。

「ねがい箱」に納められた「ねがい袋」は翌朝、お祓いの上、御神前に奉納されるとのことです。ぜひ!

茜牛天神社

  • 御祭神:菅原道真
  • ご利益:学業成就、芸能関係(習い事)の上達・向上、慈悲救済

明治42年2月に茜社に合祀された神社です。創建年は不明ですが、かつて外宮宮域の入口あたりの存在した外宮下馬所に建っていた外宮の神官を務めた山田大路家にて家内の鎮守神として祀られていたようです。

それが上述したように明治42年2月茜社に合祀される運びとなっています。ちなみに当神社は伊勢市内では唯一の天神社となります。

什宝「牛の像」

  • 造立年:1843年(天保14年)
  • 全長:4尺4寸(約166.7cm)
  • 胴回り:4尺4寸(約166.7cm)
  • 製作者:山田一本木の瓦工「中西甚兵衛」

上記、天神系の神社の境内にはほとんど必ずと言ってよいほど、置かれているものがあります。なんだかお分かりになりますか?

そうです。「牛が横たわった像」です。

当社の社伝によれば菅原道真公の御霊が、この牛の像にお宿しているとのことです。

天神系の牛の像は大抵の場合、直に手で触れてナデナデ撫でるすることができます。ウフ

【補足】道真公を祀る神社に牛が多く祀られている理由

天神系に行けばほぼ必ずと言って良いほど牛が横たわった像が置かれています。

なぜこのような牛を祀った像が置かれているのかご存知ですか?

この理由は、牛が菅原道真公の神使(しんし/いわゆる神様のパシリ役のこと)とされているためです。

道真公と牛の関係とは道真公が都に居処した頃、邸宅で牛を飼っていたそうです。しかし、道真公が都を追われた際、刺客に狙われるのですが、そのとき突如、道真公の前に飼っていた牛が現れ、自らをカバうように刺客の腹めがけて突進し、刺客を角で突き殺したという逸話が残されています。

その上、摩訶不思議なことに道真公がこの世を去ったのは903年(延喜3年/平安時代)2月25日の「丑(うし)の日」という、まさに「牛まみれの生涯であった」という縁から、日本全国の天神系の神社では牛が祀られるようになっています。

なお、道真公と牛との関係は諸説あり、他にも以下のような説が伝えられています。

  • 菅原道真公の生年が846年(承和12年)6月25日の「乙丑の年」。
  • 菅原道真公の遺体を載せた馬車を引いた牛が座り込んで動かなくなった場所を自らの墓所と定めた。

以上のような諸説残されていますが、牛が横たわった像が残されている理由は、「牛が座りこんで動かなくなった」話に由来しているようです。




獅子頭【三重県指定有形文化財】

制作年
  • 1559年(永禄2年)※戦国時代
大きさ
  • 面高:22.5cm
  • 面幅:37.5cm
  • 面奥:44.7cm
材質
  • ヒノキ
作者
  • 南都仏師(南都宿院所属)

茜社に伝わる御神宝の獅子頭です。いわゆる被り物です。伊勢山田には実は「山田産土神八社」といってこの茜社を含めた産土古社が存立しており、これら8つの古社にはそれぞれ独自の獅子頭が伝えられています。

写真の獅子頭は茜社オリジナルの獅子頭になります。

全体的に漆塗りが施され、上顎の内部にのみ「阿古称 永禄二歳己未五月 度会元貞 南都宿院作」の刻銘が見られることから伊勢の御師と南都仏師(奈良)とが、戦国時代に繋がりがあった証拠となる逸品です。

「度会元貞」とは、上述した元外宮下馬所のあたりに屋敷を構えていた伊勢神宮外宮の下級神官(御師)であった山田大路家の山田大路元貞のことです。

南都宿院とは、南都仏師たちが生活していたと推定される場所のことです。宿院とは僧侶の宿泊所もしくは宿坊などの意味合いがあります。

室町時代のこの当時、宿院仏師と言えば慶派の流れを汲む奈良仏師のことを指しました。すなわち宿院に居処していた南都仏師たちが制作したものだと推察されます。

1982年(昭和57年)4月27日には、三重県指定有形文化財の指定を受けています。

大楠と大杉「杉と楠の御神木」

  • ご利益:縁結び、夫婦和合

鳥居をくぐって境内を進むとまず、社務所が見えるのですが、その前に大きな楠と杉がそびえるように生えています。

実はこの御神木、当社の大きな見どころとなり、なんと!根元部分が絡まるようにして交わってまるで1本の巨木のように見えます。

このように杉の巨木と楠の巨木の根っこが、根元で絡まるように同化しながらも決して倒れることはなく、さらに1本の大きな巨木となってより強くたくましくなったことに縁起を感じたことから、縁結び、夫婦和合のご利益があるとのことです。

以上のような縁起もあり、ご利益を求めて木肌に触れて帰る参拝者が多いそうです。

あこね社さんの案内板には、こう書かれています。

古来、日本の風土として根付く共存共栄(違いを持つものがお互いを認め、共に生き、栄えていく事)の美しい平和な姿がそこにあります。

この御神徳にあやかり、家庭や職場などの円満や縁結びを御祈願ください。

無数のキツネ像

豊川稲荷の本殿(拝殿)の前には灯籠とキツネ像が立ち、それぞれの壇上には所狭しと白キツネ像が置かれています。

崇敬者たちから奉納された像なのでしょうか。かなり年季の入った像や比較的、最近になって奉納された像と見られる新しい像もあります。

手水舎

「奉献」と刻字された手水鉢に15本くらいの柄杓が見えます。タオルがかけられているとアットホームな感じ漂い、古くから地元で愛されてきている様子がうかがえます。




狛犬像

茜社の拝殿の前には狛犬が2匹居ます。狛犬に興味のある方はぜひ!ジックリとご覧になってみてください。

⬆️茜社の社殿の本殿(拝殿)前に設けられた2体の狛犬像 

⬆️鞠(まり)もしくは珠を踏んでいる狛犬

珠を踏んでいる意味は、珠が球形であることから物事が良い方向に転がるようにとの願掛けが込められているとのことです。

⬆️子狛犬を踏んでいる狛犬

狛犬は子狛犬を踏んでいるように見えますが、片手だけを乗せていることから、これは子狛犬を守護しています。

子宝わんさかのご利益があるとのことです。

豊川茜稲荷社の本殿裏側

豊川茜稲荷社本殿の裏側です。

鰹木(かつおぎ)が5本に千木は男神の御祭神を示す「男千木(おちぎ)」です。

豊川茜稲荷社の御祭神は宇迦之御魂ですが、この神様は通説では女性の神様とされています。すると千木の形状との辻褄が合わなくなるのですが・・はてさて。

ちなみに現今に至っては茜社よりも豊川茜稲荷の方が有名になっているとのこと。

千本鳥居

お稲荷さんと言えば「千本鳥居」が連想されるほど有名です。お稲荷さんのメッカ「伏見稲荷大社」の境内だけではなく、大抵、それなりの規模を有する稲荷社であれば、日本全国どこでも境内に千本鳥居とまでは行かなくても、それに近い数の鳥居が建てられているものです。

この茜社の境内社「豊川稲荷社」も、伏見稲荷大社に鎮座される「宇迦之御魂神」のご分神が祭祀されていることから境内に千本鳥居が建てられています。

ただし、京都伏見稲荷大社ほどの規模がありませんので比較すると素朴さが浮き彫りになりますが、それでも千本鳥居の様相は表しています。

茜社の千本鳥居は素木を使用した朱色を用いない鳥居です。本数は全部で30本くらいでしょうか。貫(横木)の中央には堂々と大きく「奉納」と書かれています。

写真のように30本くらいでも鳥居が並べられているだけで神秘的な感じが漂い、これを潜り抜けることによって本当に神界に近づいているんだなと改めて実感がわきます。ウフ

茜社の千本鳥居の場所は境内入口から入ると目の前に見えます。つまり、この千本鳥居をくぐり抜けた先に社務所や社殿群があります。

参道

⬆️鳥居手前には左へ延びる脇道があるがこの脇道を通ると勾玉池の外周へ行くことができる。↓⬆️上記、鳥居手前の脇道にさしかかったところ。勾玉池の外周へ通じる参道。ただし、この道から外宮境内へは行けない。

入口の鳥居をくぐってから社務所や社殿群が並ぶ場所まで行くのに約2分くらいを要します。

境内地は勾玉池の中央であることから勾玉池の外周にも参道が設けられており、これらの参道を入れるとかなり広い面積を誇ります。

境内地の面積は約600坪もあるというなので、その広さは実際に境内に入って実感できます。

迂回路

2019年現在、外宮の「せんぐう館」は平成29年10月に発生した台風21号の影響により浸水被害を受け、復旧工事中のため現在、休館中です。

「せんぐう館」は何を隠そう勾玉池に建つ伊勢神宮の博物館なので、同じ勾玉池に建つ茜社にも、現在このような仮設道路が設置され、迂回路が設けられています。

ある意味、今の時期にしか見られない茜社の見どころでもあります。

勾玉池の池畔からは、わずかに工事中のせんぐう館が目視できます。




あこねさん(茜社)の御朱印の種類や初穂料(値段)

茜社の御朱印の種類は1種類です。中央に大きく「あこねさん」と墨書きされ、中央上部に豊川茜稲荷社の朱印とその下に茜社の朱印が押印されています。

  • 初穂料(値段):300円

あこねさん(茜社)の御朱印の授与時間・授与場所

授与場所

  • 境内社務所 兼 授与所

⬆️茜社の社務所(兼、授与所)

授与場所の地図

授与時間

  • 平常時:8時〜15時30分

茜社の宮司さんは2人おられますが、他にも付近周辺の神社の神主を兼任する形で管理しておられるため、外祭に出ていることが多々、あります。

したがって、毎日、受付時間、分かりやすく言うと社務所の営業時間が異なるワケです。

外祭に出ている間は留守なので、この場合、以下のような時間帯に狙いを定めて訪ねてみてください。

  • 11時30分〜15時30分
  • 8時〜14時

もしくは下記ダイヤルにて当日の受付時間を確認されるのもオススメです。ただし、留守のときは当然、誰も電話をとる方がいないのでお出になられません。

茜社の御朱印の待ち時間や混雑具合

茜社は普段、何の行事もない平日および土日祝日は、鳥の澄みきった鳴き声が心地よく聞こえるほど空いています。

神主さんは女性の方と男性の方と2人いますが、それぞれの方が交代で御朱印およびお守りを授与されています。

番号札などはなく、窓口にて御朱印帳を手渡してその場で拝受できる対面形式です。

茜社のお守りの種類・初穂料(値段)

なぎの葉まもり

茜社境内の梛(なぎ)の木の葉を使用したお守りです。梛の葉は固くちぎれにくいが特徴ということもあり、梛の葉のように何事に対しても簡単にちぎれない強さ持てるように特別に祈願されたお守りです。

  • ご利益:恋愛成就、仕事運上昇
  • 初穂料(値段):500円

御神札

  • 茜社大麻(御神札):700円
  • 神宮大麻(御神札):800円

そのほか、縁起物など

奉納鳥居
  • 1基:20万円(特大は30万円)
    ※奉納期間は10年
  • 小鳥居:5000円
  • おみくじ:100円

茜社の連絡先

  • 電話番号:0596-28-5510

御朱印スタッフは朝8時頃に訪問したのですが、ちょうど会議に出られるとのことで再度、訪問しています。

9時前に帰社して再び9時過ぎに出かけられるとのことでしたので、8時50分〜9時の間に再訪問させていただきました。

(お忙しい中、本当にありがとうございました!)

茜社の駐車場の場所

茜社には駐車場がありませんでの、外宮の駐車場をご利用ください。外宮の駐車場は2時間という制限がありますが、茜社の場所が外宮の境内の一部と言えるほど近いことから、2時間あれば外宮と併せて充分に回ることができるハズです。

外宮から茜社へは行けない!

茜社の位置はGoogleマップなどの地図で真上から見ると外宮境内の一部に見えます。そんなことから勾玉池の外周を歩いて外宮から簡単に行けそうな気もするのですが・・

はいっ!残念無念!「外宮境内から直接、茜社まで行けません」

では、どうやって行くのか?

答えは単純!一度、外宮を出て、外から回り込む形で再び勾玉池を目指す!です。

外宮から茜社への行き方と茜社への入り方

  1. 表参道と裏参道どちらでもいいので、とりあえず外宮宮域から出る!
  2. 外宮を出ると前に道路があるので右方向(内宮の方向)へ歩く!
  3. 北御門口(裏参道)から茜社まで徒歩約6分!
  4. 表参道口から茜社まで徒歩約3分!
  5. 茜社の入口からさらに茜社の社務所や社殿群がある場所までは約2分くらいかかります。

⬆️外宮を出て道路沿い(県道32号線)を右に歩いていくと「茜社・豊川茜稲荷神社」と書かれた看板が見えてくる。

⬆️茜社の入口。看板がなければ思わず通り過ぎてしまうところ。

  • 茜社の所在地:伊勢市豊川町274番地

茜社へのアクセスと最寄りバス停

  • 外宮前バス停から徒歩約2分
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