伊勢神宮(-JINGU-)◆ 大山祇神社(OYAMA-ZUMI-JINJA)

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伊勢神宮(-JINGU-)◆ 大山祇神社(OYAMA-ZUMI-JINJA)

伊勢神宮(-JINGU-)◆ 大山祇神社(OYAMA-ZUMI-JINJA)

創建年

  • 不明
建築様式(造り)

  • 切妻造
  • 平入

※神明造り

屋根造り

  • 二重板葺
主祭神

  • 大山祇神
社格

  • 伊勢神宮・内宮(皇大神宮)「所管社」
別名

  • 山神社
主な御祭事

  • 神嘗祭

大山祇神社の読み方

 「大山祇神社」の読み方は「おおやまつみじんじゃ」と読みます。

大山祇神社の別名

古くは「山神社」とも呼ばれた時代があったらしい。

「大山祇」の名前の由来や意味

御神名の大山祇神の「大山祇(オオヤマツミ)」の名前の由来は、古来では、「ツ」は「の」と置き換えることができ、また、神「ミ」は神霊(しんれい)という意味合いがあるそうです。

つまりは、「オオヤマツミ」とは「大いなる山の神」と言う意味合いになります。

他に、「和多志大神」「酒解神」という神様がいますが、これらの神様はすべて「大山祇神」の別称の神様となります。




大山祇神社の御祭神・「大山祇神」

御祭神は「大山祇神」と発し、読み方を「おおやまつみのかみ」と読みます。

「大山祇神」は、日本神話に登場する神様で「山の守り神」とされています。

こと伊勢神宮においては古来、神路山の入口に座す山の守り神とされ、尊崇が寄せられる。

大山祇神は、イザナギノミコトとイザナミノミコトの子神で、「大山祇神」の娘神にはイワナガヒメノミコトと、コノハナサクヤヒメノミコトがいます。

コノハナサクヤヒメノミコトは「大山祇神社」の隣にある「子安神社」に祀られています。

日本全国にある大山祇神社

大山祇神社は、当神社が位置する伊勢市のみならず、全国にも大山祇神を奉斎した同名の「大山祇神社」があります。

その数も約10,000社を数え、その総本社となるのは残念ながら当社ではなく、愛媛県今治市大三島町となります。

内宮の大山祇神は地元・宇治館町では産土神とされる

伊勢の地元の「宇治館町(三重県伊勢市)」では、「産土神(うぶすながみ)」ともされているようです。

産土神とは、日本古来からの産土信仰における神様のことで、主にお宮参り(初宮参り)へ行った際の神社の神様のことを、産土神と言います。

この産土神は、自らにおいての一生涯、守護してくださる神様のことで、通例で言うところの「土地神」のことです。

大山祇神社の歴史

大山祇神社は、伊勢神宮・内宮(皇大神宮)に属する「所管社」であり、1899年(明治32年)に神宮の所管社に列しています。

つまり、神宮125社のうちでは比較的、新しい神社になります。

内宮には、30社の所管社が存在しておりますが、大山祇神社は、そのうち第29位の社格を有する。

10月には「神嘗祭(かんなめさい)」と呼ばれる、秋の大きな祭礼が当社にて執行され〜る。

大山祇神社の創建年は未詳

大山祇神社の創建年は未詳とされるが、現在見ることのできる大山祇神社の姿は、1924年(大正11年)の再建後の姿とされ〜る。

子安神社と同様、この「大山祇神社」も、延喜式神名帳9巻/10巻に記載がないことから、比較的、近代に入って社殿が出来たものと推定される。

かつて山口祭は大山祇神社前で執行された

かつて、式年遷宮で使われる用材(木材)は、「神路山(かみじやま)」と呼ばれる山を主として「島路山」「高倉山」の伊勢三山と呼ばれる宮域の裏山から伐採されていました。

そのため、往時は山神を奉斎した当時、山神社と呼ばれた当・大山祇神社の前で山口祭が執行された。

ところが中世以降になると、適した木材(樹齢800年ほどの用材)が確保できなくなったため、山口祭を行う祭場は、他の場所に移される運びとなった。

一時期、伊勢神宮の所属から外された!

大山祇神社は、延喜式神名帳に記載がないことから、明治初頭(1870年頃)に神宮の所管社から外され、同様にその隣に座する子安神社も所管社から外れる運びとなった。

しかし、およそ30年後の1900年に明治政府(内務省)に対しての神宮司庁の幾度にもわたる申請がようやく受け入れられ、内宮(皇大神宮)の所管社として、再び編入されています。




山口祭とは?

式年遷宮(しきねんせんぐう)」で用いる御用材の切り出しに際し、神宮備林の御山の神様を祀って、伐採と搬出の安全を祈願する「山口祭」が執り行われます。

神宮備林とは、長野県・木曽を中心とした宮内省管轄の御山のことです。

現在は、この「神宮備林」で伐採が成されますが、山口祭は、従来のままの様式を踏襲して執り行われます。

山口祭とは、式年遷宮の最初に行われる祭事で、およそ8年前に実施される祭事のことです。

具体的には、式年遷宮で「御杣山(みそまやま)」と呼ばれる御山から用材を切り出すため、山の神へ感謝や弥栄をご奉告申し上げる儀式です。

現在の御杣山は木曽山中!

御杣山とは用材を切り出すための山のことを言い、現今の御杣山は木曽山中に位置する神宮備林(じんぐうびりん/長野県木曽郡と岐阜県中津川市)になるが、かつては内宮or外宮周辺の伊勢三山とも呼ばれた「神路山・高倉山・島路山」だった。

往古、遷宮の用材は伊勢三山で切り出された木材(用材)が使用されたが、現在では伊勢三山にて、基準とされる樹齢800年から900年ほどの用材が確保できず、止む無く良質のヒノキが数多に繁茂する木曽山中から切り出される運びとなってい‥‥‥申す。アヘェっ

山口祭は内宮&外宮にて執行

現在では御杣山こそ木曽にあれど、山口祭は本来の神宮備林である伊勢三山(内宮は神路山、外宮は高倉山)の山の入口にて執行されてい‥‥‥ます。フェイント

この山口祭を執行する祭場を「山口祭場」と呼び、内宮or外宮それぞれに祭場(敷地)がある。

内宮・外宮周辺の山々のヒノキもわずかに使用される!

第62回(2013年)の遷宮において確保された用材の数は約1万3000本、このうち「木曽産のヒノキが77%」、「内宮・外宮周辺の山々のヒノキが23%」の割合で使用されたらしい。(※平成25年の遷宮時の統計)

現在、神宮司庁では式年遷宮を旧来のスタイルへ戻すべく、次世代の御木を育てるため、伊勢三山にヒノキの植林も行ってい‥‥ます。フェイント ふぅ

神宮司庁の計画によると、約100年後の遷宮時には伊勢三山に植林したヒノキが大きく育ち、すべて往古のように神宮の神域だけで用材を賄うことができるらしい。

大山祇神社の場所(地図)

「大山祇神社(おおやまつみじんじゃ)」は宇治橋を渡り、やや左側(北東方面)に向かったところにある「子安神社」と神宮司庁の間に位置しています。

内宮のオススメ参拝ルート

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