伊勢神宮(-JINGU-)◆ 大正天皇御手植松(OTEUE-NO-MATU)

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伊勢神宮(-JINGU-)◆ 大正天皇御手植松(OTEUE-NO-MATU)

伊勢神宮の境内では、それとなく赤松(アカマツ)を見かけることができます。

これらは、石川県から植林されたものであったり、様々な由来を持っています。

そして、他にも由来をもった松の木があり、日本の大正時代の天皇が植えた松がこれにあたります。




大正天皇御手植松(たいしょうてんのう おてうえのまつ)

伊勢神宮(-JINGU-)◆ 大正天皇御手植松(OTEUE-NO-MATU)この松の木は、明治24年(1891年)に大正天皇が皇太子の時に、植樹された祈念の松の木です。

大正天皇は幼少期から病弱でしたが、皇太子時代は快活で気軽に日本全国に行かれたようです。

植樹された明治24年には、「賓日館(ひんじつかん)」に、約3週間ほど滞在されています。

賓日館とは、避暑や療養と水泳訓練等を兼ねて伊勢神宮に参拝する「賓客(ひんきゃく/要人の事)」の宿泊施設のことをいいます。

現在も賓日館は三重県伊勢市二見町に現存し「資料館」となっています。

賓日館とは、避暑や療養と水泳訓練等を兼ねて伊勢神宮に参拝する「賓客(ひんきゃく/要人の事)」の宿泊施設のことそして、2010年6月には国の重要文化財に指定されています。

賓日館の住所・営業時間・電話番号・休館日など

・住所:伊勢市二見町茶屋566-2
・電話番号:0596-43-2003
・営業時間:9時~17時まで(16時30分が最終入場)
・入館料:大人300円/小・中・高150円(団体割引有り)
・休館日:火曜日(祝日の場合は翌日)

こちらのページでご紹介する料金・割引制度などは変更になっている場合がありますので、最新情報は公式ホームページなどでご確認ください。
大正天皇の人物像

大正天皇の人物像大正天皇は、側室を置かないで一夫一妻を貫かれた天皇でもあり、性格は気さくで人の気持ちがよく判る優しい人でした。

当時の時代背景などから、大正天皇のことはあまり語られませんが、この天皇は多くの人々から、尊敬の念を集め、大変、慕われていました。

「大正天皇御手植松」は、そんな大正天皇のお人柄のようにさりげなく、植えられています。

なお、大正天皇は日本の至る箇所で「御手植松」をされており、伊勢神宮以外でも大正天皇が植林なさった松の木を見ることができます。

大正天皇御手植松の場所(地図)

「大正天皇御手植松」は、内宮の宇治橋を渡って右折し、「神苑(しんえん)」を直進して、「火除橋(ひよけばし)」の右手前にあります。




銭掛松(銭懸け松/ぜにかけまつ)

実は、伊勢神宮のわりと近くには、まだもう1つ知る人ぞ知るという由来をもった松の木があるのです。

現在の亀山市の「東追分(関町木崎)」から「西追分(関町新所)」までには、おおよそ1.8kmにも及ぶ街道があり、670年代には、この街道のやや中心部に「鈴鹿関」と呼ばれる「関所」が設けられました。

江戸時代では、以下↓のように呼称されていました。
・「東の追分」=「伊勢別街道(現在の国道23号線)
・「西の追分」=「大和街道(奈良街道)

この鈴鹿関付近に、その松の木があります。

↓分岐点と「旧・宇治橋」の鳥居

 

「東追分(木崎)」から「西追分(新所)」引用先:http://www.kameyama-kanko.com

「鈴鹿関」は、これらの街道が分岐する地点に設けらており、お伊勢参りへ訪れた多くの人々は「鈴鹿関」で身体を休め宿をとりました。

そんなこともあって・・ここらの地域にゃ~、ちょいとばっかしよぅ、特別な名前があってねぇ、「関の宿」ってぇ~名前の宿街ができちまったワケでござんよぉぅ。

・・こっホん!

以降、この宿街は大きくなり、お伊勢参りの交通の要衝として大変な賑わいを見せていました。

「関の宿」ってぇ~名前の宿街

「とある男」と「そば屋の松」の話

江戸時代のある日、この「関の宿」の「そば屋」で腹にしこたまソバを流し込んだ男が、そば屋の店主に「神宮まであとどれくらいか?」・・と、尋ねると、店主は「まだ半月ほどかかる」とウソを言いました。

店主のウソを真に受けた男は、神宮までの旅銭が足りないことに気付き、そば屋の近くの松の木の枝に「お金の入った袋」を引っ掛けて、何を考えたのか、その松の木の下から「伊勢神宮」の方角へ向けて手を合わせて拝んだのです。

そして男はあきらめて、帰途に着いてしまいました。

うまく男を騙せたと、大喜びの店主はその銭袋を松の枝から取ろうとしました。

するとその時、なんと!銭袋が「白蛇」の姿に変わりはて、店主をニラみ付けたのです。

店主はこの後、不幸が続き、お店もなくなってしまいます。

その後、店主の話がウソだったことを知った男が、再び、お伊勢参りへ訪れ、以前の松の木に差し掛ったところ、驚くことに、まるで男が訪れるのをズッと待っていたかのように、銭袋がまだ引っかかっていたのです。

男はその銭袋をすべて神宮へ奉納して、帰途に着き、以降、幸福に恵まれ、裕福に暮らしたとのことです。

この話は、たちまちの内に旅人の噂話となり、以降、この松の木に「小銭が入った袋」を引っ掛けて旅を続けると、無事に目的地(神宮)まで辿り着けるという、ご利益が広まったとのことです。

そして、いつしかこの松の木は「銭掛け松(銭懸け松)」と呼ばれるようになりました。




「銭掛け松」の現在の様子

現在では、この松の木を祀る「お堂」が建てられています。

また、松の木の隣にお堂を挟むようにして「桜の木」があります。

陽気でおだやかな春の季節には、思わず笑顔がホッコリ湧き起こるような、桜の花を実らせて、今に至っても、道すがら松の木を通る人々の優しい笑顔を誘っています。

銭掛松の桜

銭懸け松(銭掛松)の場所

三重交通バス「銭懸バス停」下車、徒歩1分。

「近鉄JR・津駅」から三重交通バス「52椋本線・椋本行きへ乗車」もしくは、
「近鉄JR・津駅」から三重交通バス「52椋本線・豊里ネオポリス行きへ乗車」

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