伊勢神宮(-JINGU-)◆ 籾だね石(籾種石)(MOMIDANE-ISHI)

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伊勢神宮(-JINGU-)◆ 籾だね石(籾種石)(MOMIDANE-ISHI)

伊勢神宮(-JINGU-)◆ 籾だね石(MOMIDANE-ISHI)

大きさ(高さ)

  • 約2.5m

籾だね石(籾種石)の読み方

籾だね石は「もみだねいし」と読みます。漢字で書くと「籾種石」となります。




籾だね石(籾種石)の歴史

「籾だね石(籾種石)」は内宮の宮域に、現在も現存している巨大な大石です。

場所は「忌火屋殿」を少し超えた先にある、御正宮の入口付近(御正殿の石垣)に位置します。

この石は1789年(寛政元年)に執り行われた「第51回内宮式年遷宮」の時に「古市町(楠部村/くすべむら)」の住民が奉納した石だそうです。

「古市町(楠部村/くすべむら)」とは、現在で言うところの「三重県伊勢市楠部町」にあたります。

この巨大な大石は、五十鈴川の上流から苦心して古市町(楠部郷)の住民たちが、内宮の宮域まで運び入れたそうです。

籾だね石(籾種石)が内宮に運ばれた理由

1789年(寛政元年)のこの年は、「江戸四大飢饉」の1つと呼ばれる「天明の大飢饉」が勃発した年だったそうです。

つまり、悪天候にや災害が相続き作物が穫れなくなり、米(穀物)の需要も供給を大きく上回り、日本中から米が底を付いたような状態のことです。

実は、1789年の年は日本だけではなく、原因不明の異常気象が世界各地で発生しており、フランス革命の種火ともなったと云われております。

このような時に、飢饉を乗り越えようと御神威にすがるために、この石を奉納したとされています。

籾種石には明治の遷宮で運び込まれた?

現在までの通説では楠部郷の村人たちが、この石を運び入れたとされているが、実際、人力で運び入れるには重量があり過ぎたことや、食べ物をロクに口に出来ずに力を発揮できなかったことから、実際は現在地まで運び入れるまでには到らず、明治四十二年の遷宮の折、現在地に築積されたという説もあるらしい。

「籾種石(もみだね石)」の名前の由来とは❓

この石は大人の男性1..5人分くらいの大きさがあることから、内宮の宮域に運び入れるのに相当な日数がかかったそぅな。

また、作業に携わった者共は、この石を運ぶ最中も食べる物がなく、籾を食べながら石を運び入れたことから「籾だね石(籾種石)」と言うネーミングが付いたとされています。




ところで・・「籾だね石(籾種石)」って何?

「籾だね(籾種)」とは、イネ(稲)の種のことです。すなわち、殻が付いたままのイネのことです。

ただし、ここでの「籾」の解釈とは、イネの「殻の部分」を指します。

ところで・・「籾だね石(籾種石)」って何?ようは、イネの殻をそのまま食べたと言うことになります。

・・現代では考えられないことですね。ウフ

籾だね石(籾種石)の場所(地図)

籾種石は御正宮の近く参道を進むと、ひときわ目立つ巨石が見えてきます。ただ、正面だけ見て歩いていると通り過ぎてしまいます。

内宮のオススメ参拝ルート

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