【海女とは?】海女という仕事や服装の歴史を…お知るの❓

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本項ではミキモト真珠島の人気コーナー「海女の実演(ショー)」の日程・時間・見どころなどと、海女の仕事や歴史、服装などについて述べる。




海女とは?海女の仕事とはどんなもの?なぜ女性なの?

海女(あま)とは、海に潜って貝や海藻を採る女性のことです。

女性の場合は一般的に「海女」と書き、男性の場合は「海士」、男女区別なく「海人」と表記することもありますが、どれも「あま」と読みます。(男性の「海士」は、「海女」と区別するため、「かいし」と読むこともあります。)

もちろん、真珠養殖においても、かつては海女の存在は必要不可欠でした。

海に潜ってアコヤ貝を持ち帰り、真珠を作るための処置を行った後の貝を再び海底へ戻す作業は、海女がいないとできなかったのです。

また、赤潮が発生したり台風が接近した時には、貝を安全な場所に移す役目も担っていました。

真珠の養殖のための海女は必要なくなりましたが、現在でも、アワビやウニ、ナマコなどを採ることを生業にする海女が、全国で活躍しています。

海女の仕事は、もちろん、海産物を採ったり加工したりすることですが、現在では、観光客が海女の暮らしに接することができる「海女小屋体験」などが各所に登場し、人気を呼んでいます。

海女はなぜ女性?

例えば、かつて世界で最も天然真珠が採れたペルシャ湾で海に潜っていたのは、男性でした。

日本では、「あま」というと、女性が一般的です。

それでは、なぜ女性なのでしょう。

色々な説がありますが、以下に代表的な4つの説をご紹介します。

  1. 男性に比べて、女性の方が皮下脂肪が多く、寒さに長く耐えられる
  2. 男性より女性の方が我慢強く、水中の中で長く息を止められる
  3. 漁業の発達に従って、男性が船で沖へ出るようになったため、磯で行う潜水は自然と女性の仕事になっていった/男性が沖へ出て長い間留守にするので、女性は近場で漁をして稼ぎを得るようになった
  4. 朝廷や神宮へ神饌としてのアワビを奉るという役割は、伝統的に女性が果たしていた

また、「平均的に身体能力が高い男性が潜ってしまうと、アワビやホタテを獲りすぎてしまうから良くない」と言う人もいます。

ちなみに、日本のような海女がいるのは、世界でも日本と韓国の済州島だけだということです。

海女の肺は大きいのか?海女の呼吸法とは?『”ヒュ〜っ!”の口笛との意外な関係性』

結論から言うと、肺が大きく、肺活量が多い方がより良いものの、肺の大きさで海女の仕事ぶりに優劣がつくわけではありません。

海女の場合は、肺の大きさ(肺活量の大小)よりも、いかに細く長く息を吐きながら潜水できるかの方が重要なので、海女になるためには呼吸法の練習が欠かせません。

その大切な呼吸法の1つが、潜水の後の「磯笛」です。

海面に浮き上がって顔を出すと、海女は、「ひゅー」という口笛のような音を鳴らします。

これは「磯笛」と呼ばれていますが、楽器の笛ではなく、海女の呼吸の音です。

磯笛は、海の深いところに潜り、海面に浮上した瞬間、急に大きく呼吸して肺や心臓を傷めないよう、鼻から息を吸って口から徐々に息を吐き出す呼吸法のことです。

また、しばらく浮かびながら息を整える間も、磯笛が鳴ることがあります。

この呼吸法は、肺の酸素を効率よく利用できるので、次に息を吸った時により多くの空気を肺に入れられたり、何回も潜水できたりするという効果もあり、海女にしてみると、普通に「ハアハア」を呼吸するよりも楽なのだそうです。あっハァ〜ん

磯笛は、その悲し気な響きから「磯なげき」という別称を持ちます。

日本一、海女が在籍する県はドコ?

2018年の調査によると、三重県の海女さんは、全部で660人です。

2010年には973人、2014年には761人だったということなので、かなり急速に減少していますが、それでも、ダントツ日本一の海女人口を誇ります。

年齢層は20歳から85歳までと幅広いものの、ご高齢の方が多く、平均年齢は驚くことになんとぉっ!65.7歳・・!

守り伝えていきたい日本の伝統文化ではありますが、漁獲量の低下、収入の減少、後継者不足・高齢化などにより、年々、海女の在籍数が減少し続けています。

ちょぃとそこの珍しいもの好きの貴女!海女なんて職業・・どうですか?

三大海女地帯

海女が多い地域として、「三大海女地帯」と呼ばれる場所があります。

1つは志摩半島で、他は千葉県の房総半島、石川県の能登・輪島です。

海女の在籍数を見ると、三重県の海女が全国の海女の40%以上を占め、石川県と千葉県(それぞれ200人程度)が続きます。

専業の海女さんもいますが、兼業という方も多いようです。

海女の歴史

日本の海女(海人)に関する現存する最古の記録は、なんと3世紀末(西暦200年代末)に編纂された中国の歴史書「魏志倭人伝」にあるといいます。

それによると、日本人は当時から、海に潜って魚やアワビを採っていたようです。

実際は、今から5000年ほど前の遺跡から、アワビ貝や、アワビを採るために使ったと思われる道具が発見されていることから、海女の歴史は、縄文時代までさかのぼることができると考えられています。

鳥羽市でも、3000年ほど前のものとされる白浜遺跡から、大量のアワビ殻や鹿角製のアワビオコシが発掘されました。

日本の古い書物としては、「古事記」と「日本書紀」に、海女(海人、海部)について触れた記述が見られます。

また、「万葉集」には「海人」「白水郎」「安麻」「海未通女」「海部」「安麻乎等女」などという名称で登場し、合計82首に詠まれています。

そして平安時代の「延喜式」には、は「志摩の潜女(かづきめ)」として海女が紹介され、海女たちが獲ったアワビなどが都に献上されていた様子がわかります。

それ以降も、「枕草子」など様々な書物に海女に関する記述がみられ、江戸時代には喜多川歌麿や葛飾北斎の浮世絵にも多く描かれています。




伊勢神宮と海女の関係

鳥羽市国崎(くざき)で海女が獲ったアワビは、「熨斗鰒(のしあわび)」に加工され、毎年、三節祭(さんせつさい)と呼ばれる神嘗祭(10月)、月次祭(6月と12月)の際に、伊勢神宮に奉納されています。

熨斗鰒の奉納は2000年以上続いているとされ、その起源については、鎌倉時代の神道に関する書物「倭姫命世記(やまとひめのみことせいき)」に以下のような記述が見えます。

伊勢神宮に天照大神を祀った倭姫命が、神様の食事を探して国崎を訪ねたところ、おべんという名前の海女からアワビをもらった。
それが非常においしかったので、この地をアワビ奉納の地とした。

他に、海女が獲ったものとしては、伊勢エビなども伊勢神宮(天照大神)への神饌(しんせん、神々の食事)として奉納されています。

なお、国崎のように、伊勢神宮の内宮(皇大神宮)への供え物を調達する地を、「御贄処(みにえどころ)」と呼びます。

熨斗鰒とは

熨斗鰒とは、アワビの肉を薄く切り、長く伸ばした上で乾かした、薄くて細長い干物です。

古くは食料として、その後は儀式の際にいただく肴(さかな)としてや、贈り物に沿えるなどして使われてきました。

国崎には伊勢神宮御料鰒調製所(ごりょうあわびちょうせいしょ)という場所があり、今でも、伝統の道具と技法を駆使して熨斗鰒作りが続けられ、熨斗鰒作りは県指定無形民俗文化財となっています。
※伊勢神宮御料鰒調製所は「御料地」と呼ばれる神聖な場所なので、一般の人は立ち入り禁止となっています。

アワビを長く、薄くして干したものが熨斗鰒ですが、用いる部位によって、幅が広い中心部分を使った「大身取鰒(おおみとりあわび)」・その外側の細い部分を使った「小身取鰒(こみとりあわび)」・両端部分の「玉貫鰒(たまぬきあわび)」に分類されます。

熨斗鰒の展示

「熨斗」だなんて、おめでたい名前・・と思ってしまいますが、実は、お祝い事の贈答品に付ける飾りとしての「熨斗」の名称の由来は、この「熨斗鰒」だと言われています

熨斗鰒は戦国時代に、武士たちの出陣式の食事と共に提供され、後に縁起の良いものとして、上流階級の武家の人々が贈答品として用いました。

それが徐々に形式化されて、贈答品や祝儀袋に、薄くのして乾燥させたアワビを模した飾りを付けるようになったということです。

現在の熨斗は基本的には色紙で作られますが、折りたたんだ「熨斗」の中に入れたり描いたりすることがある金色の棒状のものは、このアワビをイメージしたものです。

ここがアワビ!

中にはその由来にちなみ、本物の干しアワビを包んだ熨斗もあります。

なお、アワビは普通「鮑」または「蚫」と書きますが、伊勢神宮では、「延喜式」の記述に従って「鰒」と表記しています。

鳥羽・志摩の海女は「無形民俗文化財」

2017年3月、「鳥羽・志摩の海女漁の技術」が、「国重要指定無形民俗文化財」に指定されています。

無形民俗文化財として評価されたポイント

鳥羽・志摩の海女漁は古くから伝承されており、伊勢神宮との関係性も認められる

日本神話によると、伊勢と伊勢に続く志摩の国は「御食つ国(みけつくに)」と呼ばれる海産資源が豊かな場所で、神に捧げる食事「神饌(しんせん)」にも、海女・海人が採る魚介やその加工品が大きな役割を果たしてきました。

地域ごとに厳しく漁期を定めたり漁獲できる貝の大きさを定めるなど、自然環境(乱獲防止)に対する秩序維持の意識が顕著である
海産物の採取方法の他、危険察知の方法や半飼育的な海洋資源の温存方法、さらにはまじないや漁の周辺風俗を継承・維持している

例えば、鳥羽・志摩の海女たちは、魔除けとして「セーマンドーマン」と呼ばれる柄が入ったものを身に付けて漁に出る風習があります。(詳しくは後述)

セーマンドーマンの印が入ったアクセサリー

こうして注目を浴びてきている鳥羽・志摩の海女ですが、その反面、漁獲量の減少や高齢化等による後継者不足など、いくつもの課題に直面しています。

例えば全国でも最も多くの海女が操業する鳥羽市と志摩市でも、戦後間もない1949年に合わせて9224人の海女がいましたが、2017年には1090人まで減っています。

目指すは世界無形文化遺産!

2019年5月には、「海女(Ama)に出逢えるまち 鳥羽・志摩~素潜り漁に生きる女性たち」が、文化庁が認定する「日本遺産」となりました。

鳥羽市、志摩市、および関係団体では、海女文化をユネスコ世界無形文化遺産に登録するべく、既に10年以上に渡って活動を続けています。

この間、その海女文化を守るため、海女の減少に歯止めをかけることを目標とした様々な施策が打ち出され、漁業と観光を結び付けた「漁観連携」が活発になっています。

鳥羽市では、市内の宿泊施設と提携して「海女さん応援企画宿泊プラン」という宿泊プランを提供し、宿泊費の一部を、後継者の育成やアワビの稚貝の放流など、海女文化継続のための寄付金とする取り組みが注目を集めています。




海女の服装と持ち物「なぜ海女の服は白いのか?」

伝統的な磯着

海女さんの白い服

明治時代までの海女は、腰に「磯ナカネ」と呼ばれる木綿の白い布を巻き、「ひざ丈の巻きスカート1枚のみ・上半身裸」の状態で漁に出ていました。

磯ナカネには、潜水中にはだけないよう、股の部分に結ぶ紐が付いています。

しかし、明治時代の中頃(1900年頃)、朝鮮半島へ漁に行くようになり、そちらの海女の習慣に習ってシャツを着るようになったようです。

磯着を着た「アマベアー」(真珠博物館)

その後、大正期以降、真珠の養殖場を欧米人に見学させる機会が増えたことなどから風紀上の理由も加わって、木綿の白い「磯シャツ」と、パンツやズボンを合わせたスタイルが定着していきました。

さらに、1955年頃からは、木綿の磯着から、ゴム製のウエットスーツに変わり、冬の漁も可能となりました。

ただ、全国を見渡すと、性能の良いウエットスーツが乱獲に繋がらぬよう、ウエットスーツの着用が禁止されたり、一家に1着だけというように制限されたりしている地域もあるようです。

今日、鳥羽・志摩の海女たちの多くは、改良され、軽くて保温性も高くなったウエットスーツを着用し、足ヒレを付けて、海に潜っていますが、日本各地には色々なスタイルの海女がいます。

例えば岩手県久慈市など北三陸沿岸では、白い木綿の磯着の上に、寒さ対策として、NHKの連続ドラマ「あまちゃん」で主人公らが着ていたようなかすりはんてんを重ねる場合もあります。

かすりはんてんの海女スタイル
目を守る「磯メガネ」

その他、伝統的な磯着に合わせるアイテムとしては、目を守るガラスの磯メガネ(スイムマスク)や、頭巾軍手足袋、磯場で滑り止めになる草履も欠かせませんでした。

海女の磯メガネは楕円形の厚底ですが、これには理由があり、中にたっぷりと空気(酸素)を蓄えることができて、目の痛みを減少させることができるからです。

磯メガネが登場する明治10年頃までは、海女たちは目に何もつけずに海に潜っていました。

これを「素目(すめ)」と言いますが、海水の中、メガネなしで獲物を見つけるのは一苦労でしたし、目を傷める海女も多かったそうです。

時には、海面に油を浮かせて中を見たりもしたんだとか。

磯メガネが登場した当初は真鍮や錫(すず)製のフレームの、左右それぞれの目を覆う形のゴーグルでしたが、現代では目から鼻までを覆うメガネ(一眼メガネ)が使用されています。

磯メガネの登場によって漁がしやすくなり、アワビが獲れすぎたため、使用禁止になったこともあります。

海女の服が白い理由

海女の服が白い理由は、白い色が水中に潜ると大きく見えるからです。これは女性の海女の華奢な身体を大きく見せかけることができ、サメやフカ(ワニザメ)などの獰猛な肉食魚類を威嚇する働きがあります。

現在の海女の姿は昭和初期に定着した

現在の海女の服装は白い着物姿に楕円形のゴーグル(磯メガネ)を装着して桶を持った姿がスッカリと定着していますが、実はこの姿は昭和初期頃から定着しはじめた海女の服装なのです。

江戸時代以前は腰巻きだけを巻いて海にも潜っていたようです。すなわち上半身はな、なんとぉぅ!素っぱダカダカ『素っ裸』!!

・・でした。毎週海辺通い

海女の持ち物(道具)

海女の漁には、色々なスタイルがあり、使う道具も様々です。

以下では、その一例をご紹介します。

樽・桶

採ったものを入れたり、つかまって休憩するために、主に1人で作業する海女が使います。

スカリ

獲物を入れる網の袋。アワビやサザエなど小さいものは腰に付ける「腰ズカリ」、海藻などは首に付ける大きめの「首ズカリ」に入れます。

磯樽・タンポ

磯樽は、スカリをぶら下げて海面に浮かせておく樽です。現代では、発泡スチロールやゴムチューブでできた浮き輪のような形の「タンポ」を、代わりによく使用します。
磯樽を使う海女を「樽海女(板海女)」と呼ぶこともあります。

ヒカリ(光り)

海底でアワビを見つけたが息が続かない!という時に目印に置いてくる貝殻です。

カギノミ

サザエやウニを拾う際に使う、一方がかぎ状に曲がったノミです。
カギの部分を岩に引っ掛けて、体を安定させるのにも役立ちます。

磯ノミ

アワビを岩から外すのに使う道具で、色々な大きさがあります。アワビオコシとも言います。

スンボウ(寸棒)

10.6cmの長さがわかるようになっている物差しです。
三重県では、これ以下のサイズのアワビは採ってはいけないことになっています。




海女はなぜ潜水道具を使用しないのか?

海女は自分たちが大自然の恩恵を受けていることをよく熟知して獲物を獲っています。

海女にすれば「獲っている」というよりは「いただいている」という言い方の方がふさわしいのかもしれません。

海女たちは時代が進歩して便利になろうとも、あくまでも原始的なスタイルを貫き、これを代々踏襲することで自分たちへの戒めとしています。

確かに、酸素ボンベがあれば長時間、海に潜っていられるので楽チンで獲物を大量に獲ることができます。

しかし、海女は足ヒレは付けてもボンベは使いません。体内に溜めこんだ息がつづくかぎりで漁を行います。

獲れる量は酸素ボンベを使用したときと比較すると、雲泥の差があると思いますが、海女は古より大自然と共存することで大いなる大自然の恩恵を授かっていることを熟知しています。

だからこそ、便利な潜水道具を使わないことで、自分たちへの戒めと共に乱獲をしない意思表示をしているのです。

海女はいつ潜る?冬でも海に潜れる??

海女は1年中、海に潜っていますが、これには次のような理由があります。

  • 寒い冬の時期に潜らないとすれば、暖かい時期に潜って1年分の食料となる獲物を蓄えようとして、乱獲してしまう恐れがあるため。
  • 価値の高いウニは冬が旬!だから
海女が海で獲る獲物
  • ナマコ
  • サザエ
  • ウニ
  • アワビ
  • ワカメ
  • テングサ…etc

主に獲る獲物によって、「鮑海女」「天草海女」など呼ばれる場合もあります。

なんでもかんでも・いつでもどこでも獲っていいわけではない!

海女は潜って獲物を獲ってきて何気なく桶に入れているように見えますが、実は勝手になんでも獲ってよいというワケではなく、獲ってはいけない生き物や獲って良いサイズなどを協定で定めています。

例えば三重県では、上述の通り、殻長10.6㎝以下のアワビや蓋径2.5㎝以下のサザエは「寸足らず」と呼ばれ、漁の対象となりません。

つまり、潜ってから視界に入った獲物を手当たり次第なんでもかんでも獲っているのではなく、潜りながら獲って良い獲物とダメな獲物を見極めていることになります。

同様に、潜水する日数や時間、漁をして良い範囲についても、厳格な取り決めがあります。

海女が漁をして良い日を「口明け日」と言います。

鳥羽・志摩の海女たちの夏の口明け日は、多くても30日~40日程度となっており、「口が明かない」日には、絶対に漁に出てはいけません。

自然とうまく共存すれば、大自然の恵みを授かることができることをよく熟知しているからこその、大切な取り決めです。オホ

海女はどんな風に海に潜るの?

志摩・鳥羽の方言で、潜るは「かづく」と言います。

1時間程度のまとまった作業時間を1回の漁「ヒトカヅキ」と言い、1回の潜水を「カシラ」と言うこともあります。

最大約50秒の潜水(1カシラ)を、なんと1時間程度の間に20回~30回も行う(1カヅキ)というのには驚きです!

そんな海女たちは、どのような方法で「かづいで」、漁をしているのでしょうか?

徒人(かちど)海女

⬆️画像引用先「三重漁連

徒人は、「かちびと」と読みます。

「あだびと」という読み方もありますが、そちらは「他人」という意味ですね。

徒人(かちびと)とは、「歩いて行く人」や「徒歩の人」などの意味合いがあります。

徒人は、自分で道具を持って海辺まで歩いて行き、そこから水深5m〜8mまでの海に潜って漁をする海女のことです。

徒人の海女は桶(磯桶)と自分の身体にロープをくくりつけて、桶と自分をシッカリつないで海中へ潜って漁を行います。

徒人で狙う獲物
  • アワビ
  • サザエ

なお、漁師としては獲物を手にすることを「獲る」と言いますが、海女たちの中ではアワビやサザエを獲ることを「拾う」と表現する人もいます。

「獲る」に比べて、「分けてもらっている」という意識が強く込められているようです。

船人(ふなど)海女

「船人(ふなど、舟人)」は、読んで字のごとく、その通り!船で沖合まで行って潜って獲物を獲ります。

沖合なので水深10mから20mくらいまで潜ります。

ここで疑問に思った方もいると思いますが、仮に15m潜るとして往復で30m、そんなに息が持つのか?・・ということですが、これにはちょっとした秘密があるのですが・・その秘密、お分かりになりますか?

ちょっと考えてみてくださいな。

・・

・・

・・はい〜!残念無念!ハ・ズ・レです!ブぅ〜! ムカつく

実は海女たちは早く海底に到着できるように、なんと!足におもりとして分銅をつけるなどして潜っています。

分銅をおもりとすることで、最短時間で海底に到達することができるというワケです。

獲物を無事に捕獲できたらロープを引いて合図して引き上げてもらいます。

ですので、船人の仕事は二人三脚で漁を行う必要があるため、主に夫婦で行います。

パートナーがいることで潜水に集中できるため、徒人海女よりも10秒~15秒、長く潜っていられるといいます。

ちなみに、夫婦で漁をする海女を「ギリ海女」と呼ぶことがあります。




海女のまじないと信仰

魔除け・護身のまじない「セーマンドーマン」

すでに簡単にご紹介した通り、海女の中には、「セーマンドーマン」と呼ばれる柄が入った磯着や手ぬぐいを身に着けたり、ノミなどを持ったりして漁をする風習が伝わっています。

古くは、松葉などを筆代わりにし、イボニシ貝の分泌液で、着衣などに紫色の模様を描きました。

現在は、マジックで書いたり、刺繍したりして色々なものに描かれ、海女が身に着けるほか、お土産物としてさまざまなグッズにもあしらわれています。

鳥羽市相差(おうさつ)町の「石神さん」こと神明神社のお守り
星模様「セーマン」

セーマン(セイマン)は、陰陽道で魔除けの印とされている「五芒星(ごぼうせい)」とよく似て・・というより、同じ形をしています。

海女たちにとっては、一筆書きの星マークは書き始めと書き終わりが同じ位置となることから、「無事に戻ってくる」ためのお守りと言われています。

また、星マークは入口や出口が見えない(閉じられている)ことから、魔物が中に入れないという意味もあり、セーマンがあれば、魔物がもたもたしている間に逃げて来られると信じられています。

なお、「セーマン」の名称は、陰陽師・安倍晴明の「せいめい」に由来するとされています。

セーマンの起源などははっきりとはわからないものの、やはり陰陽道との繋がりが垣間見えます。

格子模様「ドーマン」

ドーマン(ドウマン)は格子模様で、線の数は縦4本、横5本(または縦5本、横4本)のことが多いようです。

合計9本の線は、修験道などに見られる、9つの呪文・9つの印によって除災や護身を祈る「九字護身法(くじごしんぼう)」という作法と関係があるとも言われています。

実際に、日蓮系の行者(修行者)の中には、呪文を唱えながら、手で格子状に空を切る動作を行う作法も伝わっています。

海女たちのまじないとしてのドーマンは、縦線と横線で囲まれた格子の部分を「目」に見立て、魔物が来ないように「目で威嚇する」ための模様と言われています。

「ドーマン」という名前は、説話集『宇治拾遺物語』に安倍晴明と対決した逸話が伝わる、蘆屋道満(あしやどうまん)に由来するとされています。

潜水前のまじない「ねずみ鳴き」

潜水前に、船や磯桶を叩いて音を立てながら、海水を口に入れ、ねずみ鳴きと呼ばれる「チュッチュッ」あるいは「ツヨッ」「ツヤツヤ」「ツイヤ」「ツイツイ」などという声を出して、龍神へのあいさつとしたり、魔除けのまじないとしたりする風習もあります。

海女たち本人もはっきりとした由来を知っているわけではないのですが、親や先輩海女から教わったまじないとして、主に70代以上の方が行っているようです。

他にも、船に乗る際は、常に左右どちらかの決まった方から乗るとか、潜る前に米を洗うとか、色々なまじない・ゲン担ぎがあります。

海女を襲う海の魔物

自分そっくりの「トモカズキ」

海女たちの間では、海には「トモカズキ(トモカヅキ)」という魔物(妖怪)がいると言われています。

「カズキ」というのは、「潜く(かずく・かづく)」、つまり潜水することや潜水して漁をすることを意味する古語・方言に由来しています。

「トモ」は「同じ」ということを意味し、「トモカズキ」は、「同じような潜水者(海女)」という意味です。

この魔物は、潜水している海女と同じ格好で現れ、手招きをしたり、アワビをくれようとしたりします。

自分以外に潜っている海女はいないはずなのに、もう1人いたら、それはトモカズキ。

誘いに従ってついて行ったり、アワビをもらったりしてしまうと、深い海に引きずり込まれて、もう戻っては来られません。

また、トモカズキに出会うと、集中力が切れ、意識がもうろうとしてしまうとも言います。

中には、急に蚊帳のような「網」を被せてくる攻撃的なトモカズキもいて、捕まったら最後、もう助からないそうです。

トモカズキは鳥羽・志摩以外の地域でも伝わっており、「足がない」「鉢巻の尻尾を垂らしている」など、その容姿についてはいくつかのバリエーションがあります。

身一つで海に潜って漁をするのは孤独な作業ですし、常に危険と隣り合わせです。

どれだけ気を付けていても、岩の隙間に足が挟まったり、沖に流されたりするかもしれません。

海女たちは、「無事に帰ってこられないリスク」の1つ1つを、魔物として恐れていました。

トモカズキが手招きするとか、トモカズキを見ると意識が飛ぶとかいう言い伝えの1つ1つは、海女が潜水中に毒のある生物に刺されたり、体調不良で集中できなくなったり、何かに足を取られたりして浮上できなくなることの象徴のように思われます。

トモカズキとセーマンドーマンとの間に直接的な関係があるかどうかは定かではありませんが、このような「海に魔物がいる」という信仰が、セーマンドーマンを描いたものを身に着ける風習に繋がったようです。

その他の魔物

トモカズキの他にも、鳥羽・志摩の海女たちの間では、以下のような魔物がいるという言い伝えがあります。

  • サンショビラシ(山椒ビラシ)
    海の底にいてチクチク刺してくる生物で、毒のある白い海藻のこととも言われています。
  • シリコボシ(ゴボシ):
    お尻から生き肝を抜く、河童のような魔物と言われています。
  • ボーシン:
    船の行く手を阻んだり、船を沈めてしまったりする妖怪。船幽霊(ふなゆうれい)、海坊主などと呼ばれます。
  • ヒキモーレン:
    ヒキミョージャ(引亡者)とも呼ばれる海の亡霊で、船を海に引きずり込もうとすると言われています。

鳥羽の海女には、海に龍神が棲んでいるという信仰がある

鳥羽の海女たちは古来、海には「龍神」が棲んでいて豊漁のときは龍神様の恩恵に授かることができたという信仰心を持っています。

海女たちの間では、いにしえより、相島(おじま/現在のミキモト真珠島のこと)と、相島から見える小高い丘の上にある2つの古い井戸は実はつながっていて、龍神が昇天するときの通り道になっているという信仰が残されています。

なんでも、龍神が毎年大晦日になるとこの道を通って昇天するため、大晦日の日は船を出さず、漁も控えるとのことです。この日に漁をすると龍神の怒りをかって不幸が押し寄せると言い伝えられているようです。ウフ

「ごさいの日」と禁漁日・安全祈願

旧暦の6月25日、26日は、「ごさい」と呼ばれる海女の休業日・禁漁日です。

ごさいは「五斎」または「御祭」と書き、海女が海に潜ってはいけない日で、「海女の日待ち」と呼ばれます。

この日は伊勢神宮の別宮である志摩市の「伊雑宮(いざわのみや)」の大祭(現在は6月24日)であり、神の使いであるサメ(七本鮫:7匹のサメ)がお参りすると言われ、翌日はそのサメが海に帰る日ということで、ほとんどの海女は漁を休みます。

この2日間に漁をすると魔物に会うとか、サメを見ると飲み込まれるとかと言われ、恐れられているのです。

ということで、ごさいの日には、伊雑宮、あるいは鳥羽市の「青峯山正福寺(あおみねさんしょうふくじ)」に参拝し、海上安全や豊漁を祈願するのが良いとされています。

特に正福寺は海女たちにとって聖地であり、夏の漁期が始まる前、夏の漁期と冬の漁の間、冬の漁期の後などには、仲間同士のグループで安全祈願やお礼参りに行き、祈祷を受け、帽子など潜水の時に身に着けるものに朱印をもらったり、お札を授かったりして帰ります。

数人のグループのこともありますが、中には地域の海女さんがみんな揃って、団体旅行のような感じで出かけることもあるそうです。

特に高齢の海女たちは信心深く、家に神棚と仏壇を祀り、日々のお供えを欠かさないとか、漁の前に、「えびすさん」「大黒さん」「龍神さん」「ご先祖さん」などと言いながら、漁の安全を祈願するとかいう人も多いといいます。

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