伊勢神宮(-JINGU-)◆ 神苑(SHIN-EN)

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伊勢神宮(-JINGU-)◆ 神苑(SHIN-EN)

伊勢神宮(-JINGU-)◆ 神苑(SHIN-EN)

創建

  • 1876年(明治9年)
大修繕

  • 1894年(明治27年)
施工者

  • 財団法人神苑会

神苑の読み方

神苑は「しんえん」と読みます。

伊勢神宮の神苑の役割り

神苑は、一見すると整然とされた松が立ち並び、単なる美しいだけの庭園のようにも見えます。

まさに神宮の美しい景観を彩る1つの要素にも見えますが、この神苑にも「役割り」があります。

毎年、神宮の春と秋の御神楽祭では、ここ神苑に舞台が設置されます。

この舞台では、神宮の多種ある「御神楽(歌舞)」が舞われます。

他にも、春に行われる神宮のイベントして「神宮奉納大相撲」があります。

この神宮奉納大相撲の会場となるのも、ここ神苑です。

他にも、まだこの神苑には役割があります。

その役割と言うのが、「人の心を魅了する」と言ったことです。

例年、春には桜が咲き誇り、秋の紅葉の時期には、恋した乙女のようにモミジが真っ赤になって、季節の始まりと終わりをソっと知らせてくれます。




神苑の歴史・由来

宇治橋を渡って参道を右へ入り、少しばかり進むと、間もなく「白い玉砂利」と「緑の鮮やかなコントラスト」が、目に焼きついてくる場所が出てきます。

ここが神宮が誇る庭園・・「神苑」です。

この神苑は、明治9年に造られた神宮の庭園です。

明治9年以降、明治の中頃までは、神宮の祭主(神主)の屋敷や、民家が立ち並んでいたそうです。

しかし、明治27年に大規模な工事が成されて現在の景観に至っています。

伊勢神宮「神苑会」

神苑を語る上で忘れてはいけないのが「神苑会」の御尽力です。

1886年(明治19年)、筆頭に「有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみや たるひとしんのう)」をいただき、議長に元老院・議官である「吉井 友実(よしい ともざね)」を列して、財団法人神苑会(しんえんかい)が発足されます。

伊勢神宮「神苑会」

神苑会が発足した理由

明治9年に三重県・松坂で勃発した「伊勢騒動(暴動)」によって火災が発生し、伊勢神宮の近郊まで被害が及び、宮域外にあるお宮の御神体を遷すという事態が起こりました。

また、当時、現在の神苑にあった民家でも小規模ながら火災があったそうです。

このような火災が大規模な火災となり、万が一にでも、神宮の社殿に類焼を及ぼせば一大事となります。

そこで、神宮の清浄化と景観の革めを目的として神苑会が発足されました。

「神苑会」の終幕

物事には終わりがあり、目的を達成すれば劇の幕は下りてきます。

1886年以降、1911年に至るまで「神苑会」は以下↓のような活動をしています。

  • 神苑に存在した民家の土地の買い上げ
  • 神宮徴古館、神宮農業館、神宮文庫、神宮、賓日館などを設立

以上、神苑会は神宮の興隆に途方もない御尽力をしています。

神苑内の見どころ「松の木」「神宮茶室」「見切り石」

大正天皇お手植えの松の木

この神苑は、伊勢神宮の内宮だけにあります。したがって外宮には存在しないものとなります。

樹齢を重ねた、実に形の整えられた美しい松が立ち並び、他の庭園で観ることのできる松とはあきらかに違う、太く健康的な幹をした松たちを見受けることができます。

神苑内の見どころ「松の木樹高も、ほぼ均一の状態で、気高く整然と立ち並んでおりますので、長い年月を経て、コマメに手入れされてきたことが一目瞭然で分かります。

この松の並びの一角には、木製の柵で囲まれた一際、樹高が高く幹が太い、立派な松の木があります。

この松の木は、大正天皇がまだ皇太子の時に、直に御手でお植えになられた由緒ある松の木です。

伊勢神宮(-JINGU-)◆ 大正天皇御手植松(OTEUE-NO-MATU)




神宮茶室

その他、宇治橋の渡ってスグの、神苑の隅には、「神宮茶室」があります。

この「神宮茶室」は、かつて神宮崇敬者の代表であった「松下幸之助」が発願し、松下電器から献納されたものです。

この神宮茶室は普段は、一般の方は立ち入ることのできない場所となりますが、毎年「春の神楽祭」と「秋の神楽祭」で一般に公開されます。

見切り石

気づく人は少ないと思われますが、神苑には「見切り石」と呼ばれる少し大きな石コロが、何かの法則に従っているかのように整然と置かれています。一見すると参拝者たちが参進する往路と復路を隔てる目印の石にも見えますが、この石コロたちが「見切り石」と呼ばれるのには理由があります。

その理由とは上述したように、かつて神苑には民家が軒を連ねており、その民家・・つまり、我々人間が暮らす俗世界と神域(神界)の境目を示す石でもあるからです。

なお、「見切り石」とは現代でも使用されている呼称であり、主に建築において日常的に使用されています。したがって特別な由来を持った名称ではありません。

現代において見切り石が用いられるケースは、一軒家などで庭と居住空間との境目などに設けられる例が散見されます。

世界一、サラサラの「ケツ毛」

そして、何を隠そうこの庭園(神苑)は、伊勢神宮に参拝に来たということを、スッカリ忘れてしまうような、緊張感を少しばかりヤワらげる事ができる場所でもあります。

と、言いますのも、この神苑では少し変わった容姿の「ニワトリ君」が放し飼いにされているからです。

少し変わった容姿とは、クソほど「おケツの毛(=ケツ毛)」が綺麗なニワトリ君がいるのです。

神苑では少し変わった容姿の「ニワトリ君」が放し飼いこのニワトリ君のケツ毛は、実にフサフサとしていて、まるでアメリカぅゎ~ンなパツキン女優の毛髪のようになめらかなのです。

もぅ、触らずにはいられなぅわぃ!!

まるで、LAXスぅーパぅゎーリッチを100回ほど付けて、ブローをクソほどやりまくったような、スぅベっ、スベぇ~♪ツぅヤっ、ツぅヤ~♪な、言葉が出ないほど美しいケツ毛なのです。

そして、このニワトリ君、なんと!放し飼いにされていて、エサもあげることができるのです。

つまり、嫌われなければ、一生、一緒に遊ぶことができるというワケです。

それで、このニワトリ君はいつからココにいるの?いる理由は??

それで、このニワトリ君はいつからココにいるの?いる理由は??このニワトリ君の種類のほとんどは「小国鶏(しょうこく)」や「尾長鶏(おながどり)」と呼ばれる種類のニワトリ君です。

「小国鶏」は、純粋な日本生まれではなく、古くは中国の「昌国(しょうこく)」と言う国が発祥だと云われます。

その後、時代を経る中で、平安時代に遣唐使によって日本にもたらされ、その子孫がこのニワトリ君たちと言うことになります。

なお、「尾長鶏(おながとり)」と呼称されているニワトリ君は、すべて小国鶏がルーツとも云われております。

そして、驚くことになんと!この三重県伊勢市は、実は小国鶏の産地でもあったのです。

つまり、神宮にいるニワトリ君のほとんどは、地元の「神宮奉納鶏保存会」の会員の方々がお育てになられて、内宮へ奉納されたニワトリ君だそうです。

しかし、ここで注意があります。

この綺麗なニワトリ君、実は「神鶏(しんけい)」と呼ばれる大御神の「使い番(神使)」でありますので、無礼を働くとバチが当たってしまうので注意が必要です。

まだ、忘れてはいけない事があります。

このニワトリ君たち、実は「天然記念物」に指定されているのです。

したがって、とっ捕まえて持って帰ろうとなどと考えても、バチが当たるだけではなく、法律で処罰される事になるので、ご留意のほどを。

伊勢神宮のニワトリ君は夜は何をしているの?

あまり知られていませんが、神宮(内宮)の境内は自然が豊かなため、様々な生き物が生息しています。

中には、キツネなどのニワトリ君を狙う動物もいます。

そこでニワトリ君たちは、夜は「2m以上もある木の枝の上」に止まって眠るそうです。

伊勢神宮のニワトリ君は夜は何をしているの?つまり、伊勢神宮のニワトリ君は飛べる(飛行能力がある)ことになります。

また、飛べないニワトリ君に関しては、神職の方が夜になると「ケージ(カゴ)」を持ってきて中に入れて保護するそうです。

伊勢神宮・内宮「神苑」の「春と桜と花見」

神宮の内宮・神苑は伊勢市を代表する桜(花見)のスポットでもあります。

まず、宇治橋を渡って少し直進すれば、目の前に見えてくる、神苑の最北端に位置する「子安神社」です。

子安神社のそばには、三大美女の名前を持つ「衣通姫(そとおりひめ」という種類の桜があり、花見を楽しむことができます。

衣通姫(そとおりひめ)この桜は例年、「早咲きの桜」として知られており、春の訪れを真っ先に神宮へ知らせる桜でもあります。

そして、メインとなってくるのが、宇治橋を渡って五十鈴川と「神苑のほとり」に咲き乱れる「ソメイヨシノ」「陽光桜」「神代桜」といった桜たちです。

これらの桜たちが、満開に咲き誇った姿を心ゆくまで見せてくれます。




伊勢神宮・内宮「神苑」の春と桜の見頃

伊勢神宮・内宮「神苑」の春と桜の見頃近年では、気候の微妙な変化に伴い、桜が異常な咲き方をしています。

と、言いますのも、まだ3月上旬だと言うのに、もう開花している桜もあります。

これは、特に雨の日の前夜などの高温が絡んだ日に、このような現象が起こりやすいのです。したがって近年に至っては、開花時期が少々、予測しにくくなっています。

伊勢神宮の桜の開花時期の目安としては、3月中旬に一旦少し咲いて、再び本咲きが4月上旬〜4月15日頃までです。

桜は、三大美女と謳われた「衣通姫」のように、ほんの少し通り風が吹くだけで、儚くも簡単に散ってしまうので、細心の心遣いが必要です。

そして、伊勢神宮・内宮「神苑」の春の一大イベントが「春の神楽祭」です。

伊勢神宮・内宮「神苑」の「春の神楽祭」

伊勢神宮・内宮「神苑」の「春の神楽祭」 (2)「春の御神楽祭」では御神楽を盛大に奉納し、「1年の平和(無事)と感謝」を国民の総意をもって神様へ奉納します。

神宮の御神楽は、1945年(昭和20年)初頭より開始されており、毎年「春」と「秋」に執り行われます。

「春の神楽祭」の日程

例年、春の神楽祭の日程は「昭和の日」を介した、4月下旬のおおよそ3日間です。

神苑での開催時間は、午前11時と午後2時です。

そして、この神苑に設置されたステージ(舞台)で「御神楽(舞楽=踊り)」が奉仕されます。

雨天の場合

雨天の場合は、参集殿の能舞台にて御神楽が執り行われます。

なお、開催時間は「午前のみ」となります。

伊勢神宮・内宮「神苑」の「秋の神楽祭」

伊勢神宮・内宮「神苑」の「秋の神楽祭」 (2)まだ、神苑で忘れてはいけないことがあります。

それが、神宮の秋の一大イベント「秋の神楽祭」が開催される事です。

毎年、秋になると、ここ神苑には、再び「特設のステージ(舞台)」が設置されて「御神楽(舞楽=踊り)」が奉仕されます。

色彩豊かな神宮の伝統ある御神楽を楽しむことができます。

秋の神楽祭の日程

例年、秋の神楽祭の日程は「秋分の日」介した、9月の20日以降の3日間執り行われます。

神苑での開催時間は、春の御神楽と同じく「午前11時と午後2時」に御神楽が舞われます。

雨天の場合

雨天の場合は、参集殿の能舞台にて御神楽が執り行われます。
なお、開催時間は「午前のみ」となります。

伊勢神宮・内宮「神苑」の秋と紅葉狩り

ここ伊勢神宮の神苑は、伊勢市を代表する紅葉のスポットでもあります。

伊勢神宮・内宮「神苑」の秋と紅葉狩り秋になれば、神苑内の「山もみじ」「イロハモミジ」「カエデ」などが紅葉し、秋の終わりと冬の到来を告げます。

モミジの種類の中でも特に「カエデ」は、「恋心」のように「真っ赤になるカエデ」と、「ほのかな思い」を連想するような「黄色く色づくカエデ」があります。




伊勢神宮・内宮「神苑」の紅葉の見頃

近年では、年々気温の変化が著しく、季節の移り変わりが遅くなっています。

したがって、神苑の黄色と赤色の紅葉の見頃は、11月下旬から12月上旬。

が成熟したような真っ赤な紅葉の見頃は、12月上旬から12月の中旬が1番の見頃です

伊勢神宮内宮「神苑」の場所(地図)

神苑は宇治橋を越えて右側に広がる庭園になります。

伊勢神宮・内宮「神苑」のINFO

開催時間(開門閉門時間)

  • 5時から18時まで

※季節によって若干、異なる

公式サイト

内宮のオススメ参拝ルート

「春の花見」は宮川堤!「秋の紅葉」は神宮工作所跡!

「春の花見」は外宮の周辺付近に位置する「宮川の堤(宮川堤防沿い)」、「秋の紅葉」は神宮徴古館周辺でも見ることができます。

宮川の堤では、おそらく伊勢市内最大といっても良いほどの観桜が望める。

秋の紅葉時期の穴場は「”神宮工作所跡”の”イチョウ並木道”」です。

外宮を参拝された折には、少し足を伸ばしてみても良いかもしれませんね。ウ

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