【内宮入口前の小山に鎮座する】伊勢市 宇治神社(足神さん)の御朱印やお守りの種類・境内見どころ

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伊勢 宇治神社(足神さん)

創建年

  • 不明
  • 推定:1660年(万治3年/江戸時代前期)7月29日以前
御祭神

  • 主祭神:大山祇神(おおやまつみのかみ)
  • 足神さん:宇麻志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこじのみこと)
  • 蓬莱稲荷社:宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
  • そのほか22座
ご利益

  • 宇治神社:家内安全、農業関係の産業発展
  • 足神さん:健脚
  • 境内社・蓬莱稲荷神社:五穀豊穣
例祭

  • 弓の事始式:1月17日
  • 蓬莱稲荷祭:3月1日
  • 大祭:8月21日
  • 足神さん祭:10月1日
  • 秋葉さん祭:8月18日(有志による祭典)
  • 守武祭:9月15日(有志による祭典)




伊勢 宇治神社の読み方や別名

宇治神社は「うじじんじゃ」と読みます。

「宇治」の名前の由来

「宇治」は「内宮の鳥居前町」となる「宇治」を指す言葉です。

その宇治を守護する鎮守社であることから「宇治神社」と呼ばれています。

一方で「外宮の鳥居前町」となるのが「山田」です。

江戸時代以前は内宮の宇治と外宮の山田は神宮の神官を巻き込んだ激しい戦争を繰り返してきた歴史があります。

「足神さん」と呼ばれる理由

その1:御祭神「宇麻志阿斯訶備比古遅神」に由来

伊勢宇治神社は古来、「足神さん」と呼ばれ親しまれていますが、なぜ「足神さん」と呼ばれるのか?不思議に思った方もいることでしょう。

伊勢宇治神社が「足神さん」と呼ばれる理由は単純明快であり、境内の足神神社に御祭神として「宇麻志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこじのみこと)」という神を祀っているためです。ウフ

当初は、このご神名の「阿斯(あし)」を「足」に読み替えたことから、後に足のご利益を持つ神さまとして「足神(あしがみ)」と呼ばれるようになっています。

それにしてもこの神さま、名前からして、はじめて聞く名前だと思う人も多いと思いますが、それもそのハズで日本書紀には登場せず、古事記のみに登場する神様だからです。

ではいったいどんなご利益を持つ神様なんだと考えてしまいますが、この神様は細胞のはたらきを促し、生命を活性化させる生命を司る神であることから「人生の足取りが良くなる」と云われ、これに基づき、いつしか「足神さん」と呼ばれるようになったという説もあります。

江戸時代以前の乗り物は馬や馬車などが挙げられますが、大多数を占める庶民層の移動手段は徒歩です。江戸時代、お伊勢参りが大流行しましたが、日本全国から伊勢を目指し、例えば岩手県などからの巡礼者は1ヶ月ちかくの期間を要して伊勢を目指した人々もいたようです。

これだけ長い期間を要して伊勢を目指すことから足は非常に重要なものであり、常に健康満載!健脚コイコイ!・・で、あることが求められます。「コイコイ」??

足神さんは明治41年3月の現在地に遷座されたとの話ですが、その当時の足神さんには、さぞかし多くの参拝者が訪れたことでしょう。

その2:足を治癒した老狐が祀られているから

後述、足神神社の項でも説明していますが、ある時、もがき苦しむぐらい足を怪我した老狐を偶然見つけた茶屋の店主がいたそうな。

店主はその老狐の足の平癒を願って懸命に看病に徹するのですが、その甲斐むなしく、老狐は息を引き取ってしまいます。

その後、店主は老狐を手厚く葬ってやるのですが、以来、足の平癒の祈願に当社へ訪れれば、店主への恩に報いるために老狐が足の平癒を手助けして下さるとのことです。ウぇッハ




伊勢 宇治神社はいつ頃できたのか?「宇治神社の歴史」

この伊勢宇治神社は創建当初から当地に存在したのかは不明とされているようですが、社伝によれば以前は「中之切町字森」に鎮座していた神社であり、当時は「宇治神社」ではなく、「饗土ノ山神社」とも称したそうです。

さらに中之切町字森に鎮座していた頃の記録によれば、社地面積は東西九間、南北七間、面積45坪2合5勺だったようです。

なお、宇治神社が創建された説として次の2つの説が伝わっているようです。

創建説その1:「那自賣神社の跡地に創建された

那自賣神社(なじめじんじゃ)とは内宮の末社16社うちの1社であり、伊勢市宇治中之切町に鎮座する「内宮の摂社・宇治山田神社」の境内で合祀されている神社です。

この那自賣神社はかつて現在の宇治神社が建っていた場所にあったとされており、那自賣神社の跡地に土地神として祀られたのが当社の創祀という説です。

ちなみに「那自賣(なじめ)」とは「納米(のうまい)」が鈍った言葉になるとのことです。かつては収穫された米が当地に建っていた那自賣神社の神前に供されていたようです。

創建説その2:「宇治洪水で神路山の小祠が当地に漂着した」

1833年(天保4年/江戸時代末期)、伊勢国山田古市(現在の三重県伊勢市古市町)在住の郷土史家「安岡親毅」が編纂したとされる勢陽五鈴遺響(せいようごれいいきょう)」の記述によれば、1660年(万治3年)7月29日に起こった宇治洪水の際、かつて神路山の山中にあった小さな祠(ほこら)が流され、この場所に流れ着いたとのことです。

すなわち五鈴遺響の記述を正とするのであれば神路山の山中にあった小祠が宇治神社の起源となります。

神路山の場所と宇治神社との位置関係

明治時代以降の宇治神社

1883年(明治16年)8月、かつて現在のおはらい町近辺に在ったとされる元・不動明王院(伊勢)境内の鎮守社であった「弓場天神」を当社の瑞垣(みずがき/社殿の周りの板壁のこと)内に勧請し、瑞垣内には別に小祠を造立して祭祀したようです。

不動明王院から現在地へ移された理由は、明治初頭に起こった廃仏毀釈の影響により明王院が衰退したからです。後述する神社もこの廃仏毀釈の影響に依るものだと思われます。

1908年(明治41年)3月以降、以下のような近隣の「宇治4ヶ町」に鎮座していた数十社および旧内宮所管社をこの宇治神社境内に合祀しています。

1908年(明治41年)3月に合祀された神社一覧

館町

求神社(御裳須曽姫神)、足神社(宇摩志阿斯訶備比古遅神)、水神社(速秋津日子神・速秋津比女神)

今在家町

鏡石神社(新川比賣神)、石津賀神社(神名不詳)、山神社(大山祗神)、稲荷社(宇迦之御魂神)、佐野姫神社(同)、水神社(水波賣神)

中之切町

蘭神社(素盞嗚尊)

浦田町

八幡社(應神天皇)、稲荷社(宇迦之御魂神)、秋葉社(火産靈神)、瀧倉神社(玉移良比賣神)、山神社(大山祗神)、崇忠神社(菅原道眞・和氣清麿・楠正成・天兒屋根命・大織冠鎌足)

1908年(明治41年)7月に合祀された神社一覧

館町

荒木田一門神社(天見通命・彌武彦神)

1912年(明治45年)5月に合祀された神社一覧

上記、境内社「弓場菅原社(菅原道真)」

以上、※三重県神社庁調べ

以上のことから、現在の宇治神社には20柱を超える数の神様が祀られていることになります。(現在、22座)

また、明治41年3月〜明治45年5月まで開始された遷座(合祀)により「宇治4ヶ町」の鎮守社になっています。

宇治4ヶ町
  1. 館町
  2. 今在家町
  3. 中之切町
  4. 浦田町

平成時代の宇治神社

2016年(平成28年)11月26日には、宇治神社にて第六回式年遷宮が執り行われています。2017年(平成29年)には足神神社と蓬莱稲荷神社の社殿も建て替えられています。

伊勢 宇治神社の御祭神「大山祇神」

「おおやまつみのかみ」と読みます。古事記においては大山津見神、日本書紀においては大山祇神と書かれます。

神名の「つ」は「の」を意味するとされ、「み」は「神霊」の意味に捉えれられることから「おおおやまつみ」とは「大いなる山に宿りし神霊(神)」という意味合いになります。

大山祇神は山神の最高神として愛媛県今治市大三島に鎮座している神です。よって全国に897社あるとされる大山祇神を祀る神社の総本社が今治市の大山祇神社になります。

また、今治市という立地柄、海に近いこともあることから古来、漁師たちからの崇敬も篤く、「海神」や「海上交通の神」としても崇められている神です。

大山祇神はイザナギ神とイザナミ神の神産みの際に生まれた神です。イザナギ神とイザナミ神はこの神産みの際にたくさんの神々を誕生させています。




足神さんの御祭神「宇麻志阿斯訶備比古遅神」

「古事記」においては宇摩志阿斯訶備比古遅神、「日本書紀」においては可美葦牙彦舅尊と書かれます。

古事記においては造化の三神「天之御中主神(あめのみなかぬし)」、高御産巣日神(たかむすびのかみ)、神産巣日神(かみむすびのかみ)に次いで現出した神とされています。

島根県出雲大社の本殿客座に祀られる神でもあることから、神界への入口を守護する神でもあります。

御神徳は冒頭でもお話ししたように、生命を司る神とされることから細胞のはたらきを活性化させ、病を治します。

また、微生物や菌類の発酵を促進させる神徳を有することから微生物や菌類を取り扱う業界の繁栄祈願もできます。

蓬莱稲荷神社の御祭神「宇迦之御魂神」

「お稲荷さん」と聞けばご存知の方も多いと思いますが、これは日本全国に約3万社あると云われる稲荷神社のことです。

稲荷神社の総本宮は、キツネで有名な京都伏見稲荷大社です。

この伏見稲荷大社では主祭神として稲荷大神を祀り、この稲荷大神の別名が「宇迦之御魂神」になります。

さらに宇迦之御魂神と言えば、外宮でお祀りされている豊受大御神のことをも指します。

宇迦之御魂神は米の神とされ、五穀豊穣を司り、はたまた農業を中心とした産業発展の神徳を有する神でもあります。

家庭においては衣食住を司り、家内安全や金運招来などのご利益もあります。

その他、22柱の御祭神

上述したように現在の伊勢 宇治神社では主祭神「大山祇神」と境内社の「足神さん(宇麻志阿斯訶備比古遅神)」、「蓬莱稲荷社(宇迦之御魂神)」以外にも数えると22柱の神様が祀られています。

  1. 玉移良比賣神
  2. 御裳須曽姫神
  3. 豊玉比賣神
  4. 素戔嗚尊
  5. 天児屋尊
  6. 速秋津日子神
  7. 速秋津比女神
  8. 新川比賣神
  9. 火産霊神
  10. 水波賣神
  11. 応神天皇
  12. 天見通命
  13. 大職冠鎌足神霊
  14. 和気清麿神霊
  15. 菅原道真神霊
  16. 楠木正成神霊
  17. 彌武彦神
  18. 羽倉東麿神霊
  19. 岡部真淵神霊
  20. 本居宣長神霊
  21. 平田篤胤神霊
  22. その他、神名不明1座
彌武彦神(やたけひこのかみ)とは?

室町時代の内宮禰宜「荒木田守武」の神霊とされています。荒木田守武は連歌の達人として知られ、連歌の祖とまで云われる人物です。

岡部真淵(おかべまぶち)とは?

三重県松坂出身の国学者です。伏見稲荷大社の社家でもある荷田氏の荷田春満(かだのあずまろ)の門を叩き、万葉集を中心とした古典の研究や古道の復興を試みた人物です。

羽倉東麿(はくらあずまろ)とは?

荷田春満の大人(うし/国学者の間で「師匠」の意味)であり、伏見稲荷神社(現在の”伏見稲荷大社”)の神職として奉職する傍ら、古典、古学の研究に没頭した人物。

その他、神名不明1座とは?

かつて五十鈴川上流には「石津賀神社」と称される神社がありましたが、この神社では五十鈴川の鏡石(かがみいし/表面が鏡のように平らな石こと)の上に神を祀っていたようです。

伊勢 宇治神社の境内見どころ

宇治神社 本殿

  • 建築様式(造り):神明造
  • 屋根の造り:板葺き
  • 千木の数:6本
  • 千木の形状:水平型(女千木)
  • 御祭神:大山祇神、他、上記22柱の神
  • ご利益:家内安全

宇治神社本殿で祀られているのは大山祇神です。本殿で祀られていることもあり、宇治神社の主祭神でもあります。

この他、上記、22柱の神も相殿という形で祀られています。

宇治神社本殿前の拝殿には上記、22柱の神の名前がズラりと記されています。

なお、宇治神社の創建や歴史については冒頭で述べた通りです。

足神神社(足神さん)

  • 御祭神:宇麻志阿斯訶備比古遅神
  • ご利益:健脚、健康増進
足神神社(足神さん)の歴史

伊勢神宮内宮の神主である荒木田氏の親族となる「薗田 守良(そのだもりよし)」が著したとされる「神宮略典」の記述によれば次のようなことが書かれています。

1751年~1764年(宝暦年間)のこと、かつて磯部街道(現在の三重県道32号伊勢磯部線)にあった笹原茶屋の店主が、ある日、足を怪我した老狐を見つけ、この治療に手を尽くしたそうです。

しかし老狐は、手厚い看病も力及ばす悶え死んでしまいます。

店主はこの老狐を手厚く葬るために現在の宇治神社が建つ山中の山神に祖霊として祀り崇めたとのことです。

以来、この老狐が店主への恩に報いるために参拝者の足傷を治癒すると伝えられているようです。

最近では、2004年のアテネオリンピックに出場した伊勢出身のマラソン選手「野口みずき」選手がこの足神さんに参拝に訪れ、なんとぉぅ!見事、金メダルを勝ち取った話が有名です。

その後、野口みずき選手が再び足神さんにお礼参りに訪れ、わらじを奉納されています。(現在、このわらじは社務所入口で展示されています)

撫で石

足神さん(足神神社)の御垣の周囲には「撫石(なでいし)」というおもかる石のような石コロコロコロどこまで行くねん・・的な石コロが置かれています。

言い伝えでは、この石を撫でることで、あなたの身体に知らぬまに付いた穢れ(けがれ)や災いを移すことができるそうです。

足に関してのご利益をもつ、足神さんに来られたのですから、ぜひ!足の平癒や足の健康を祈願しながらこの石を撫でてみてください。ウフ

宇治神社さんによればこの石は形代(かたしろ)のように身代わりになってくれるような働きがあるようです。

蓬莱稲荷神社

  • 御祭神:蓬莱稲荷大明神(宇迦之御魂神)
  • ご利益:五穀豊穣、商売繁盛
蓬莱稲荷の名前の由来

蓬莱稲荷神社の「蓬莱(ほうらい)」とは、かつて皇大神宮(内宮)の社家であり、御師を務めた蓬莱家に祀られていたお稲荷さんであることから「蓬莱稲荷」という名前が付されています。




蓬莱稲荷神社の歴史

蓬莱氏は、現在の三重県松阪市飯高町作滝に位置する滝野明神の禰宜を務めた滝野氏の氏族とされ、時代は不詳ですが、宇治中之切町に移住しています。

松坂市に住む前は楠部町字尾崎に居処していたそうですが、このときに居住地の字名である「洞」をとって「洞屋(ほらや)」に改姓しています。

その後、宇治中之切町に移住した際、洞屋から再び→蓬莱に改姓しています。

蓬莱家の屋敷は中之切町の長之世古奧(現在のおはらい町「魚春」本店脇の通りのこと)に在ったとされ、現在はありません。

ただし、元来、蓬莱家に祀られていたわけではなく、有史上では1684年〜1688年に今在家町丸山(現在の林崎文庫付近)に在った稲荷神社を現在の五十鈴川郵便局と藤屋窓月堂との露地(宇治中之切町旧進修小学校地内)に移築したようです。

その後、1782年(天明2年)に修築を兼ねて現在地に移築されて現今に至るようです。

古殿地

宇治神社に参拝されて不思議に思った方もいるでしょう。

理由は本殿の隣に注連縄が張られた敷地があり、その中央に小さな覆屋が一人寂しくポツンと建てられているからです。

この謎の敷地の正体をお分かりになりますか?

少し考えてみてください。

・・

・・

・・はい。残念賞〜!

正解は・・「古殿地(こでんち)」です。

宇治神社では、伊勢神宮に倣って本殿のみ遷宮(せんぐう)が執り行われています。次回の遷宮は第7回となり、2036年11月とのことです。

宇治神社も伊勢神宮に倣い、古殿地が用意されていますので、次回遷宮時にはこの古殿地に新たな本殿が造営されます。

逆に現在本殿が建つ敷地には上掲の写真のような覆屋が建てられるハズです。すなわち入れ替わるワケです。

実際に伊勢神宮内宮外宮の御正宮および、月読宮・月夜見宮などの境外別宮に参拝されたら分かりますが、敷地中央に小さな覆屋が建てられた上掲の写真のような場所があります。

敷地中央に小祠が置かれている理由は、敷地を守る祓戸神が祀られていたり、はたまた、次回、この小祠の上に本殿の御神体が鎮座する場所の目印とも成り得るものだからです。

石階段

下から10段あがったところに踊り場があり、さらにそこから16段の石段があります。

上った先に社務所があり、さらにそこから15段ほどの石段が続きますので、合計で約40段もの石段が続くことになります。

長さにすると合計して約15メートルほどの石階段で斜度が約35度くらいなのでソコソコ角度のある石階段であることから、運動不足の方が社殿に着いたときには軽く息切れしているハズです。

中央に鉄製のポールが設置されているので、足腰の弱い方でもポールを掴みながら進むこともできます。

なお、宇治神社はバリアフリー化はされていませんので車椅子の方はご留意ください。

手水舎と幟

入口には手水舎のほか、特に目を引く数十本の「幟(のぼり/旗)」があります。

幟には「足神さん」と書かれており、入口から御本殿のある広場までに至る参道の両脇には、所狭しと幟が立てられています。

しかし、この幟をよく見ると「足神さん」の文字があまりにも大きく書かれていることから見えづらいのですが、驚くことになんと!よく見ると1本1本に奉納者の名前が書かれています。

これは言い換えると幟の本数に比例するぐらいの崇敬が寄せられていると位置付けることができます。

弓の神事「弓の事始式」

毎年、1月17日には、厄除け、開運、豊作を祈願して、さらに地域の安泰と無災害を祈る「弓の事始式」が斎行されます。

この神事は伊勢 宇治神社の恒例行事になっていますが、元和年間(1615~1624)より中之切町の不動明王院の鎮守であった弓場菅原社にて執り行われていた行事です。

しかし、明治初頭に起こった廃仏毀釈の影響から明王院が衰退し、弓の事始式も中断されてしまいます。

その後、地元の崇敬者有志たちの働きによって明治16年8月に復興されています。

伊勢宇治神社では草鞋の奉納ができる!

この伊勢 宇治神社では草鞋の奉納ができます。近年ではスポーツ関係の有名選手の参拝も多いとのことです。

奉納方法は簡単で社務所が営業している時間(受付時間)に窓口をノックするだけです。

ただし、木曜日以外の平日と1日および祭日の9時〜12時までしか社務所は開いていませんので、土日祝日や、お昼以降に訪れても社務所が留守ということになります。

万が一、社務所が留守の場合、以下の方法で授与していただくことができます。




社務所不在時の授与品の申し込み方法について

  1. 社務所の窓口脇に設置されている小箱に申し込み用紙と申し込み封筒が入っていますので、まずは申し込み用紙に必要事項を記入します。
  2. 授与品の合計金額(初穂料)と上記、申し込み用紙を添えて封筒に同封します。
  3. 上記、申し込み用紙とお金の入った封筒を窓口脇に設置されている木箱の投函口へ入れて申し込み完了です。
  4. 後日、下掲写真のような封筒に奉納した証拠写真や注文内容が書かれたA4サイズの用紙が郵送されてきます。申し込みから封筒が届く期間は概ね5日〜1週間です。

伊勢 宇治神社の御朱印の種類や初穂料(値段)

伊勢 宇治神社の御朱印は1種類です。中央の朱印は宇治神社の神紋(家紋)です。

  • 初穂料(値段):300円

足神さん(宇治神社)の御朱印をもらう際の混雑具合

足神さんは土日祝日でも空いています。小山の森林の中にあることから鳥のさえずりさえ聞こえます。

境内が騒がしく混雑するときは祭典(お祭り)のときや、或いは団体が訪れている時、もしくは5月のGW(連休)に少し混雑する程度です。

内宮へ参拝した方は宇治神社の存在を知らない方が多いのでほとんどの方が「おかげ横町」へ行かれます。

内宮の御正宮から徒歩約12分、内宮入口となる宇治橋からですと徒歩約5分の距離なので、内宮へ参拝された際はぜひ!宇治神社へも参拝にお立ち寄りください。ウフ

伊勢 宇治神社の御朱印の紙は薄くて破れやすい

宇治神社は神主さんが留守になることが多いことから、御朱印を郵送で拝受される方も多いと思います。

郵送されてくる御朱印は半紙で郵送されてくるのですが、この半紙は奉書紙(ほうしょし)のような分厚さがなく、書道で使用する半紙なので破れやすいことから保管する際は充分に注意が必要です。

上掲の宇治神社の御朱印の画像(写真)は半紙でいただいた御朱印です。半紙は表面に独特の光沢があるのが特徴的です。また、半紙は水に弱いので保管方法には気を配る必要があります。

伊勢 宇治神社のお守りの種類や初穂料(値段)

お守り

わらじ守り(健康健脚御守)

青色と赤色(ピンク色)の2色あります。男性用と女性用といったところでしょうか。

  • ご利益:健脚になるんじゃ!、健康促進
  • 初穂料(値段):700円
肌身守り

赤色と緑色の2色あります。

  • ご利益:厄難避け
  • 初穂料(値段):700円

御神札

宇治神社の大麻

宇治神社の大麻(御神札)です。普通サイズなので普通の神棚でも収まります。

  • ご利益:家内安全、厄難避け
  • 初穂料(値段):700円
皇大神宮(天照大御神)の大麻
  • 初穂料(値段):800円




その他、縁起物など

絵馬

  • 初穂料(値段):700円
ぞうり

  • 初穂料(値段):1000円
足神さん幟(のぼり)

幟は旗のことです。足神さんの幟は名前やチーム名、会社名をつけることができます。

  • 初穂料(値段):5000円
奉納鳥居

  • 初穂料(値段):1基1500円

宇治神社の社務所の場所(地図)

宇治神社の社務所は入口鳥居をくぐって約26段の石階段を上った先に位置します。

宇治神社の社務所では御朱印やお守りの授与のほか、御神遷(ごしんぐう)の造営費用の寄付を受け付けておられます。

宇治神社のお守り・御朱印受付時間

  • 受付日:月曜日、火曜日、水曜日、金曜日、毎月1日、祭日
  • 受付時間:午前9時〜12時まで
  • 定休日:木曜日・土曜日・日曜日

宇治神社の場所(地図)とアクセス方法

宇治神社は内宮入口となる宇治橋から徒歩約5分の場所に位置します。

宇治橋から宇治神社へのアクセス方法については下記ページをご覧ください。

宇治神社のINFO

所在地:伊勢市宇治今在家町172

公式サイト:http://www.ujijinja.com/

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