【五十鈴川の名前の由来とは❓】長さや場所はドコ❓

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五十鈴川とは❓

伊勢神宮(-JINGU-)◆ 五十鈴川(ISUZUGAWA)
区分詳細
川の長さ全長約20km
水源剣峠(神路山/三重県伊勢市宇治今在家町)
河川等級(河川法)一級河川
別名御裳濯川(みもすそがわ)

五十鈴川の読み方

五十鈴川は「いすずがわ」と読みます。

「五十鈴川」の名前の由来

五十鈴川の呼称の由来ですが、一説では川のせせらぎの音が「いすす~♪、いすす~♪」と、聞こえることから「五十鈴川」と呼ばれるようになったと云われております。




「五十鈴川」の別名

別名で「御裳濯川(みもすそがわ)」とも読みます。

この名前については倭姫命世記(やまとひめのみことせいき)によると、倭姫命が天照大御神の大宮処を五十鈴の川上流に定め、その河畔に下り立って、御裳のスソ(裾)を洗い清めたことで「御裳須曾川」と名づけたことが記される。

【ピヨ🐣コメント】

倭姫命世記は、「神道五部書(伊勢神道の経典)」の一つで、鎌倉時代中期に編纂されたと伝わる。(但し、本では768年(神護景雲二年)に「禰宜五月麻呂」が撰したことを記す)

御裳濯川の名前の由来

「御裳濯川」の「御裳」とは詳しくは「裳(も)」のことで、これは宮殿に使える女性が身に付けた腰から下げる衣装のことをいう。

御裳⬆️裳(画像引用先:wikipedia.org

この裳に敬語の接頭語である「御」を付して「御裳」とする。

「濯」については、洗濯機の「濯」であり、これは「濯ぐ(すすぐ)=洗う」を素敵に意味する。

以上のような由来から、倭姫命が直々に「御裳濯川」と命名されたと伝わる。

五十鈴川の歴史(水源)

712年(和銅五年/奈良時代)に太安万侶が素敵に著した我が国最古の歴史書である「古事記」によると、内宮のことを「佐久久斯侶伊須受能宮(さくくしろいすずのみや)」と記す。

意味は次のとおり。

•「佐久or佐久久(さくく)」:神聖な・清らかな場の響き(古語の枕詞)
• 「斯侶(しろ)」:場所・社・居処みたいな意味合い(諸説ある)
「伊須受(いすず)」:五十鈴川(いすずがわ)を指す
• 「能宮(のみや)」:神宮(神の宮)

尚、「五十鈴川」という名前は日本書紀の神代巻の天孫降臨の条にも記され、奈良時代にはすでに五十鈴川が存在し、あまつさえ「いすず」と呼ばれていたことを物語る。

えっ❓五十鈴川の他に「御裳濯川」という河川が存在した❓

1742年(江戸中期)、久志本常彰が素敵に著した「斎居通翼」によると、

この川、古説に、本宮の前、風宮の後を経て流出るを五十鈴川という。

鏡石の方より流れ来たるを、御裳濯川というなり。一説に、一河二名と言う。

‥などとヤバぃよ素敵に記されており、この文面によると、外宮風宮の後方に河川があって、その川の名前が「五十鈴川」と呼ばれていたことに‥あ、なっちゃぅ。

尚、鏡石とは現在の内宮五十鈴川の上流にある去勢…ではなく、巨石!のこと。ふぅ

【ピヨ🐣「久志本常彰」とは❓】

久志本常彰とは神宮外宮の神職であり学者をしていた人物のこと。

久志本家は、外宮社家の度会氏の氏族だったらしく、当時の伊勢神宮の神事の記録、古伝・由緒の編纂などを担っていた神職学者。

面白いのはこの久志本家の調査によると、かつて五十鈴川のほかに「御裳濯川」なる河川が実際にあった説を仄めかす。

これについては土佛参詣記(どぶつさんけいき)によると、

五十鈴の川と御裳濯川のおち あひたる 処に松あり、御遷宮のもろもろの神宝をかしこへ出し奉りて、御祓いありて、あたらし殿へいれ奉る、これを河原の御祓となづく。

と記されており、然るに、「五十鈴川」と「御裳濯川」という二つの河川が存在したことに‥あ、なっちゃぅ。

一方、一川二名説の初見は江戸中期編纂の「新任辨官抄(しんにんべんかんしょう)」で、本書によると、

内宮 御前有 御衣川 即(すなわち) 五十鈴川 也

とも記される。

五十鈴川の水源はドコ❓

「五十鈴川(いすずがわ)」は、三重県伊勢市を流れる川で、源流(水源)は「神路山(かみじやま)」or「鳥路山」に‥なっちゃぅ。

源流付近は、小さな滝が連続してあるような急な流れで、ゴツゴツとした岩があるところですが、この岩を照葉樹と杉の林が覆っているような林に‥あ、なっちゃぅ。

また、この付近では、春には赤いツバキ、初夏には藤の花が咲いて自然に恵まれた光景が見られる。

まさに清流にふさわしい源流です。

島路山(しまじやま)を源流とする島路川が合流する付近に内宮があって、内宮は西側と南側を五十鈴川と島路川に囲まれた地形に位置しています。

島路川・五十鈴川

内宮にとって五十鈴川は清浄なる清流であり、手水舎がまだなき時代、皆々、河辺に築かれた御手洗場(みたらしば)で心身を清めた。

そして、ちょうど御手洗場の少し上流の落合(おちあい)の河原あたりで二条の河川が合流し、神域の西側を流下し、宇治橋の下を通り抜けて北流、その下流ではさらに二条に分かれて二見浦と大湊(おおみなと)から伊勢湾へそそぐ。その流域は10キロメートルにも及ぶ。

また、御手洗場付近にある「滝祭神」は、五十鈴川を守る神様を祀る社として大切に扱われています。

※滝祭神=瀧祭大神のことです。五十鈴川の「川の神様」です。

五十鈴川にかかる「宇治橋(うじばし)」は、内宮の表玄関と言われており、この橋を渡ると神域になります。

内宮の下流域には「月読宮」、「大土御祖神社(おおつちみおやじんじゃ)」、「国津御祖神社(くにつみおやじんじゃ)」、さらに「鏡宮神社(かがみのみやじんじゃ)」等があります。

神宮神田は五十鈴川があってこその「田んぼ」

伊勢市楠部町には、五十鈴川の水を引き入れて神宮で一年間にお供えするお米が作られる「神宮神田(じんぐうかんだ)」があります。

五十鈴川は源流からおよそ16kmの距離で伊勢湾の二見浦に到達しますが、全域に渡って清流と呼ばれるに相応しい素晴らしい川です。

地元民が今でも信仰する「五十鈴川の川水のご利益」

地元では、夏の土用の丑の日(うしのひ)と8月1日に、ここで水を汲んで滝祭神の神前にお供えし、お祈りしてから家に持ち帰って神棚に供えると、一年間「家内安全・無病息災(むびょうそくさい)」で過ごせるという信仰が今でも息づいています。

また、体に痛いところがあれば、この水をつけるそうです。

特に「脚気(かっけ)」には効果絶大で、今現在に至ってもこの信仰は受け継がれています。

脚気とは?

脚気とは、心不全や手足のシビレが常態化した症状ことです。




五十鈴川」が由来となった固有名詞とは❓

この五十鈴川は、有名な会社や船(戦闘艦)の名前の由来になっているのをご存知ですか?

たとえば、自動車メーカーで著名な「いすゞ(ISUZU)」の名前はこの五十鈴川が由来とされ、さらに日本海軍の軽巡洋艦「五十鈴」や、海上自衛隊の護衛艦「いすず」も、この五十鈴川にちなんで命名されたようです。

内宮は「五十鈴川」で外宮は「宮川」

伊勢神宮を知らない方は、内宮だけが伊勢神宮だと思っているクソ共も素敵に多い。

また外宮を知っている方であれば、内宮に流れている川と外宮に流れている川を混同してしまう方も少なからず存在する。

外宮を流れる川は「宮川(みやがわ)」で、内宮を流れる川は「五十鈴川(いすずがわ)」。

内宮を流れる「五十鈴川」

外宮の隣を流れる「宮川」

中でもとりわけ外宮の「宮川」は、江戸時代には「宮川の渡し」と呼ばれ、川岸に渡し船が設けられていた有名な川でした。

江戸時代は勝手に川を渡ると白目を向かれたので、橋か渡し船に乗って川を渡るのが半ば義務でした。

内宮のオススメ参拝ルート

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