伊勢神宮(-JINGU-)◆ 滝祭神(TAKIMATSURI-NO-KAMI)

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伊勢神宮(-JINGU-)◆ 滝祭神(TAKIMATSURI-NO-KAMI)

伊勢神宮(-JINGU-)◆ 滝祭神(TAKIMATSURI-NO-KAMI)

創建年

  • 不明
  • 推定804年(延暦23年)以前
社殿の建築様式

※社殿なし

御祭神

  • 瀧祭大神
社格

  • 伊勢神宮・内宮(皇大神宮)「所管社」
別名

  • 「滝祭神社」
  • 「滝祭の地」
  • 「おとりつぎさん」
主な御祭事

  • 由貴大御饌の儀
  • 神嘗祭

滝祭神の読み方

「滝祭神」は「たきまつりのかみ」と読みます。

滝祭神には別名がある?

他にも、別名があり、神宮の公式的な古文書である「延暦儀式帳」には、「滝祭神社」「滝祭の地」と記述があるそうです。

伊勢の地元の住民の方々からは、古来、「とりつぎさん」「とっつきさん」などと親しみをもって呼ばれています。




滝祭神には個人的なお願い(祈願)ができない?

この滝祭神においても通常は個人的なお願いはできませんが、ただ、この滝祭神へ、個人的なお願い事をすることによって、天照大御神に特別に取り次いでもらえて、願い事を聞いていただけるとも云われております。

伊勢神宮で個人的なお願いができない理由は、元来、伊勢神宮には「私幣禁断(しへいきんだん)」という制度があり、天皇以外の奉納(お供え物)や願い事が禁止されていたためです。

「幣」は、「幣(ぬさ)」とも読み、当時の価値では物として「紙、麻、木綿」の事を指しました。現在風に例えれば「紙幣(お札=賽銭)」のことを指します。

よって「私幣禁断」とは、「幣」に「私」を合わせて「個人の奉納は禁止とします」と解釈されます。

なお、滝祭神の内宮の30社ある所管社での社格は第1位をなっています。

つまり、内宮に属する所管社の中では、ナンバーワンの位置づけと言うことになります。

滝祭神の御祭神「瀧祭大神」

滝祭神の御祭神は「瀧祭大神」と言います。読み方は「たきまつりのおおかみ」です。

この神様は、五十鈴川の神様であり、水の神様です。古来、川の氾濫が多かった伊勢の地の治水鎮守の神様とも言えます。

ただ、実際のところは「罔象女神(みずはのめのかみ)」のことを指すと考えられています。

罔象女神とは、一般的に広く知られる水の神様です。

滝祭神の歴史・由来

滝祭神のお社には、社殿がありません。これは延暦二十三年(804年)に神祇官に提出した「皇大神宮儀式帳」にも、「滝祭神には社殿がない」と記されていることから、すでに平安時代から現在見られるように社殿がなかったことになります。

社殿は御垣で囲まれているだけで、御垣の前には「お賽銭箱」が設置してあるだけです。

つまり、御神体は五十鈴川そのものであって、五十鈴川にお宿りになっておられる神様と言ったところです。

かつては五十鈴川対岸の川辺に鎮座した

創祀された当初から当地に鎮座していたわけではなく、かつては対岸となる五十鈴川の西側の川辺に鎮座していたそうです。

年数で表すと宇治橋が建造されるもっと前になりますので1000年以上前にはなります。

しかし、「社殿はなく御垣に囲まれているのみ」ということに不思議さを感じ、中にいったい何があるのかを知りたくなるのが人間のスケベ根性というものです。

そこで本来は遠慮したいのですが、ちょっと御垣の隙間から中を覗き見れば・・以下のような様子がうかがえます。

『御垣の内側には城の石垣のように石が積み上げられて石壇が組まれている』

『その石壇の上には少しばかりのスペースがあって中央にポツんと三角形の小さな石コロが置かれている。』

これは今でも日本に根付く古神道の磐座(いわくら)を示すものでしょう。

すなわち、五十鈴川だけではなく、この石コロ、つまり磐座そのものが御神体ともいえます。




滝祭神が土台の上でお祭りされている理由と「神宮の龍宮伝説」について

すでに、上記でもご紹介しておりますが、滝祭神は土台の上に玉垣が築かれており、社殿がありません。

実はこれには深い理由があるとされており、その理由と言うものが、とんでもない話だと言います。

その、とんでもない話とは、なんと!この滝祭神がお祀りされている土台の下には、古から「龍宮」が存在しており、その龍宮の主として「八大龍王(はちだいりゅうおう)」という「雨を司る神様」が御鎮座されているそうです。

ただ、八大竜王とは、仏教の神様(仏様)となり、アジア大陸から日本へ仏教が流入した際は、雨を降らせたり、洪水を鎮守する神様として、日本の各地でお祀りされたようです。

おそらく、当時の神仏習合の名残とも言えます。

ところで・・八大竜王とは?

八大竜王とはもとは蛇であり龍です。八部衆の1尊でもあります。

画像引用先:高野山金剛峯寺

八部衆」とは「はちぶしゅうと読み、インドにおける「仏法」や「仏教徒」を守護する8尊の仏様です。

これらの8尊の仏様を総称して「八部衆(はちぶしゅう)」と呼称します。

元は悪い心を持つ鬼や神でしたが、後にお釈迦様に説法を説かれて改心し、お釈迦様を守護する眷属になります。

なにぃ〜!天の力を持った矛「天之瓊矛(天沼矛)」が地中に埋まっている?!

しかし、とんでもない話は、これで終わらないのです。

他にも、伊邪那岐(イザナギノミコト)が、「国産み」、「神産み」の際に使用していたとされる「天之瓊矛(あめのぬぼこ/天沼矛)」と呼ばれる矛が、今でも滝祭神に祀られていて、土台の下に埋まっているとも云われているそうです。

画像引用先:https://ja.wikipedia.org/

一説には、滝祭神が「天之瓊矛の番人」として、お祀りされているとも云われます。

滝祭神の伝説の裏付けに垣間見える「確証への糸口」

実は、上述でお伝えした伝説の話ですが、これがまんざら嘘では無いかもしれないのです。

これがどのようなことかと申しますと、滝祭神には「物忌(ものいみ)」と呼ばれる小学生くらいの童(わらべ)による奉仕が行われます。

神宮での、「物忌の奉仕」の位置づけとしては、かなり重要な祭事のみに限定されます。

つまり、神宮の所管社にも関わらず、このような重要な奉仕が行われるのには、それなりの深い理由があるからに他なりません。

そして、驚くことになんと!その深い理由は神宮の神官(神職)、誰ひとり、いっさい知らないそうなのです。

さらに、これに水を差すような説も存在し、例えば宇治山田市に現存する古文書である「宇治山田市史」においては、以下↓ような記述も残されています。

瀧祭神に捧げる御饌(神饌)は、別宮に準ずる。社格としては摂社の最上、別宮の次と成す。

・・などと言う記載が残ることから、滝祭神が神宮において、いかに重要な位置づけであるのかが理解できます。

さらに、1775年(安永4年)に著された神宮における最古の古文書である「大神宮儀式解(だいじんぐうぎしかい)」によると「深き所以有る故」との記述があり、「謎が多き場所」とされていたようです。

つまり、往古より現代に到るまで、深き謎多い場所と伝えられてきた事になります。

ちなみに、神宮における「物忌の奉仕」には、他に以下↓のような神事(お祭り)があります。

  • 御遷宮
  • 山口祭
  • 木本祭
  • 御船代祭
  • 木造始祭
  • 鎮地祭
  • 後鎮祭

これら各々の御祭事においては、物忌以外にも神鶏や神鶏の卵が捧げられる。




地元・伊勢に伝わる滝祭神に因んだ「嘘のような風変わりな風習」

「お水もらい」の風習

実は地元・伊勢では滝祭神に因んだ少し風変わりな風習が踏襲されており、「お水もらい」と言います。

毎年、「夏の土用の丑の日」と「8月1日(八朔の日)」の朝に、滝祭神がお宿りされる五十鈴川の水をペットボトルなどの容器で汲み取ります。

その汲み取った水は、この滝祭神へお供えして手を合わせてから、自宅へ持って帰って神棚へ供えると・・なんと!摩訶不思議なことに「あらゆる病気」からのご加護を賜ることができるそうです。

あとは1年間、この水を神棚に供えたままにして保存することで脚気(かっけ/心不全のこと。ビタミン欠乏症とも)にも効果があるとのことです。

その他、この御水には特殊な平癒力が備わっているようで、例えば身体の痛む部位にこの御水を付けて摩る(さする)と・・なんと!不思議と痛みがス~っと嘘のように消えて行くそうです。

滝祭神の場所(地図)

御手洗場からそのまま参道を直進せずに右脇に見える脇道へ入ると右側に滝祭神の石壇と御垣が見えてきます。

内宮のオススメ参拝ルート

滝祭神がパワースポット?!

滝祭神の付近からは、特に強いパワー(波動)が発せられているらしく、これは伊勢神宮におけるパワースポットの一つとも受け取れる。

このような神秘の神秘に満ち満ちた場所は、神宮広しと言えども、この滝祭神おいて他には無いでしょう。

良質のパワーを浴びたいor感じたいのであれば、滝祭神への礼拝を忘れずに。

もしくは地元で古くから語り継がれているように御正宮へ詣でる前に滝祭神へお願い参拝してみるのも良い。

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