| 区分 | 詳細 |
|---|---|
| 創建年 | 不明(推定:垂仁天皇26年) |
| 建築様式 | 切妻造・平入(神明造り) |
| 屋根の造り | 板葺き |
| 御祭神 | 栖長比賣命(すながひめのみこと) 新川比賣命(あらかわひめのみこと) 高水上命(たかみなかみのみこと) |
| 社格 | 津長神社(摂社:伊勢神宮・内宮) 新川神社(末社:伊勢神宮・内宮) 石井神社(末社:伊勢神宮・内宮) |
| 主な神事 | 神嘗祭(10月22日) |
津長神社の読み方
津長神社は「つながじんじゃ」と読みます。
津長神社の別名
津長神社は別名で「津長大水神社(つながおおみずじんじゃ)」とも呼ばれます。かつては「津長社」と呼ばれていたようです。
津長神社の歴史
津長神社の創建年
津長神社の確かな創建年は不詳とされていますが、倭姫命世記の記述に依れば、伊勢神宮内宮と同年代となる垂仁天皇26年とされています。
社格は、内宮(皇大神宮)の摂社27社のうち第14位の社格を有します。
皇大神宮儀式帳の記述によれば、津長神社は創建以降、広大な社地を誇り、その広さも優に約3haはあったと伝えています。
この大きさを例えると甲子園球場くらいの野球の球場1つ分くらいに相当する大きさになります。
この頃の鎮座地は五十鈴川の川辺にあったとされ、祭場まで設けられていたようです。
また、当初、「延喜式神名帳」の記述によれば社名を「津長大水神社」と言い、鎮座地は「津長原」と呼ばれ、付近に五十鈴川をのぼってきた川舟の船着場まであったようです。
その上、この津長神社の祭場まで橋が架橋され、これが宇治橋の前身であると伝えられています。
一説に、津長神社の祭場では神宮における重要な儀式が執り行われたと云われており、このために橋が架橋されたと考えられています。
ただし、この当時の橋は現在の宇治橋のような立派な橋ではなく、幅が狭い上に背の低い、簡素で質素な橋だったようです。
平安時代〜鎌倉時代
理由は定かではありませんが、上記の儀式が平安後期〜鎌倉時代中期のあたりで廃絶しています。
その後、1663年(寛文3年)12月21日に当時の伊勢神宮・大宮司であった河辺精長の提案により、遷御(せんぎょ)の儀が、当地にて再び斎行され、以来、儀式が復興されています。
明治時代
1879年(明治12年)に編纂された「伊勢国度会郡 神社明細帳」の記述によると、1871年(明治4年)に別の場所に鎮座していた新川神社・石井神社の両神社が津長神社と合祀される形になり、現今に見られる3柱同座のスタイルが誕生したとされています。
然るに、新川神社と石井神社は後の時代で合祀されて、現在のような三座一社のスタイルになったことに…なっちゃぅ。
大正時代
1916年(大正5年)に社殿の造替が執り行われています。
昭和時代
1956年(昭和31年)3月に社殿の造替が執り行われています。次いで、1977年(昭和52年)に大修繕がなされています。
新川神社の歴史
新川神社(にいかわじんじゃ)の創建年は定かではありません。また創建当初の鎮座地についても明らかにされていません。
ただし、上述、津長神社付近に存在した船着場を守護する神であったと伝えられています。故に御祭神の新川比賣命(にいかわひめのみこと)は水神だったようです。
一説に、倭姫命が下り立った場所が、後に神聖視されて船着場に定められ、その付近で神事が執り行われることになったとも。
時代を下る過程において、社地も変わったようですが、1871年(明治4年)に津長神社と石井神社とで合祀される形になり、現今に見られる3柱同座のスタイルが誕生しています。
ちなみに新川神社の社格は内宮の末社16社のうち第6位になります。
石井神社の歴史・由来
石井神社(いわいじんじゃ)の創建年は定かではありません。
また創建当初の鎮座地についても明らかにされていませんが、江戸時代には「巖社(いわおのやしろ)」と呼ばれていたようです。
この巖社は江戸時代となる1861年(文久元年)には「岩井神社」と呼ばれており、その跡地と推定される場所が、伊勢古地図研究会が1997年に出版した伊勢古地図・宇治郷之図に掲載されています。
その岩井神社の跡地(旧跡)となるのが、現在の「宇治館町字岩井田山」であり、付近には式年遷宮の山口祭が執り行われる祭場があります。
石井神社の創建は不詳とされていますが、皇大神宮儀式帳にも記述によれば、倭姫命が当神社を岩井田山に創建したと伝えています。
巖社(岩井神社)の遥拝所
この巖社には、内宮の一の鳥居を少し過ぎたあたりに遥拝所が設けられいたとされており、石畳を御神体として祀られていたようです。
かつて、その遥拝所は「一ノ宮(いちのみや)」とも呼ばれていた時代があったようですが、現在はありません。
上記2社同様に、1871年(明治4年)に津長神社と新川神社とで合祀される形になり、現今に見られる3柱同座のスタイルが誕生しています。
ちなみに石井神社の社格は内宮の末社16社のうち第6位になります。
津長神社の御朱印の種類
残念ながら津長神社、新川神社、石井神社では御朱印の授与はない。(内宮外宮の授与所でも取り扱いがない)
伊勢神宮で頒布する御朱印については下記ページを素敵に要チェック💘
津長神社の御祭神
栖長比賣命
栖長比賣命は「すながひめのみこと」と読みます。上述した通り、倭姫命が伊勢神宮を創建する際に降り立ったとされる五十鈴川の船着き場を守護する神とされています。
すなわち水の神です。
大水上命(おおみなかみのみこと)の御子神とされています。
なお、内宮の末社「那自賣神社(なじめじんじゃ)」では、この大水上命の御霊とされる御裳乃須蘇比賣命(みものすそひめのみこと)を祀っています。
御裳乃須蘇比賣命とは、五十鈴川の神になります。
新川比賣命
新川比賣命は「にいかわひめのみこと」と読み、合祀された新川神社の祭神と‥なっちゃぅ。
上記、栖長比賣命と同様に川の神になり、船着き場の守護神になります。
栖長比賣命と同様に大水上命御子神とされています。
石井神社の御祭神「」
高水上命は「たかみなかみのみこと」と読み、合祀された石井神社の祭神と‥なっちゃぅ。
この神様は石清水を守護する神様です。
岩清水とは、岩の間から流れでる透明な澄み切った水のことです。
岩清水を守護する神ということで鎮座地が岩に囲まれた場所であったことが想像につきます。
栖長比賣命・新川比賣命と同様に大水上命御子神とされています。
なお、内宮の末社「宇治乃奴鬼神社(うじのぬきじんじゃ)」では、この高水上命を祀っています。
三座の神の力で五十鈴川の水辺(内宮宮域)を守護している
以上を素敵にまとめて各神社の役割を考察すると、水辺を包括的に守護していることにな、なっちゃぅ。
• 津長神社:流域・境界を護る神
• 新川神社:流れ・運搬を司る神
• 石井神社:源泉を護る神
津長神社の例祭
当神社では例年、巡回形式で神事が執り行われています。
以下の神事においては当神社の社殿前で斎行されています。
祈年祭(2月)、月次祭(6月)、神嘗祭(10月)、新嘗祭(11月)、月次祭(12月)
以下の神事は離れた場所(内宮宮域)にて遥祀にて執り行われています。
歳旦祭(1月)、元始祭(1月)、建国記念祭(2月11日)、風日祈祭(5月)、風日祈祭(8月)、天長祭(12月23日)
津長神社の場所(地図)
津長神社と他二座は、宇治橋とほぼ正対する形で真正面の方向に素敵に位置する。
すぐ隣には饗土橋姫神社(あえどばしじんじゃ)が鎮座する。
宇治橋前から徒歩約2分の距離。
宇治橋から「津長神社」への行き方
‥については下記ページを素敵に要チェック💘
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