【月読宮は超・強烈なパワースポット⁉️神様(ご利益)とは❓】歴史(名前の由来)や場所はドコ❓

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伊勢神宮 内宮 月読宮とは❓

創建年不明(推定:約769年〈神護景雲3年/奈良時代〉以前)※月読宮(当時は月読社)
建築様式(造り)切妻造り・平入・掘立柱(神明造系)
屋根の造り茅葺(萱葺)
鰹木の数6本
千木の形内削ぎ
素材檜(ヒノキ)
正殿規模棟持柱・梁間・桁行:不明
鳥居神明鳥居(伊勢鳥居)
御祭神月読尊/月讀荒御魂/伊佐奈岐尊/伊佐奈弥尊
社格伊勢神宮・内宮(皇大神宮)別宮
境内社葭原神社(皇大神宮・末社)




「月讀宮」の読み方

月讀宮は「つきよみのみや」「つくよみのみや」と読みます。

「別宮」の読み方

殊に、「別宮」を読む時「わけみや/わけのみや/べつぐう/べっくう」などと呼称される場合がありますが、いずれも間違いではありません。

「月讀宮」と「月読宮」の「読」の漢字表記はどっちが正解❓

「月讀宮」を表記する時の、漢字での表記の仕方ですが、略して「月読宮」と「読」の字体が簡素化されて記載される場合が多いです。

正式には「月宮」ですが、近年では読み易さも相まって「月宮」と表記されることが多いです。
※以降↓は、読みやすくするために「月読宮」の表記で進めて行きます。

「月夜見宮」と「月読宮」の違い

伊勢神宮・外宮には、月読宮と同じような読み方をするお宮があります。

発音するとどちらも”つきよみのみや”なので、「次、つきよみのや行こうよ」と言っても知っている人であれば「どっちの?」と返答されてしまうことになりかねない。

そのもう一つの”つきよみのみや”が…「月夜見宮」!

地元伊勢では月夜見宮と月読宮をニックネームで使い分けている?!

地元では両宮を混同してしまわないように以下のような呼び方を用いることで工夫しています。

  • 月読宮=「げつどくさん」
  • 月夜見宮=「つきよみさん」

などと愛嬌とともに崇敬の念を込めて呼びます。

月夜見宮と月読宮の違いの詳細については以下の別ページにてご紹介しております。

関連:【「月読宮」と「月夜見宮」の違いは意外だった‥グハっ。】

「月読宮」の名前の由来

「月読宮」の「月読」の名前は、月の満ち欠けを見て、農作業の時期をはかっていたことに由来しています。

昔は時計もなければ現在のようなカレンダー、つまり暦もなかったので月の形や月の動きを見てそれを暦に反映させていました。

分かりやすく言うと、月が「新月(満月)」になればそれを月の始めの日(月初)にしたり、満月や三日月の周期などを読み取ってそれを暦にしたのです。

すなわち、「月の動きを読む」とは、=「暦を読む」とも言えます。

明治以前の日本では、この月の満ち欠けを基本にした太陰暦が使われていました。

このように月は昔の人にとって生活をささえる大事なものでした。

このような理由から「月にも神様が宿る」と考え、月の神々を祀るためのお宮をこの伊勢の地に築いたことが想像につきます。

ただし、学術的に言えば、月の信仰は日本には存在しないと云われています。実際に月読尊を祀る神社は現在、日本に704社もありながら、それぞれが単独の存在であり、月の神(月読尊)を祀る本社(総本宮)はありません。

一説では伊勢神宮・内宮/外宮、双方の月の神を祀るお宮(月読宮/月夜見宮)がその総本宮だと目されています。

これについては様々な学術論が飛び交っているようですが、そもそも三貴子の1柱ともあろう神の総本宮がないのがおかしいとされているからです。

月読宮の境内(宮域)の案内配置地図

月読宮の境内(宮域)の案内配置地図

月読宮には出入口が2つあります。1つは県道12号線沿いともう1つは国道23号線沿いです。

かつては北側の杜(森林)から宮域に入るようになっていましたが、県道12号線「御幸道路」が敷設されてからは御幸通り側の入口が正式な入口とされています。

ただ、駐車場があるのは逆の国道23号線(南勢バイパス)沿いですのでご注意ください。(倭姫宮や徴古館から車で訪れた場合は中村町交差点などを左折して国道23号線まで行く必要があります。ウフ

月読の境内には向かって右側(東側)から以下のような殿舎が立ち並んでいます。

  • 月読荒御魂宮(つきよみのあらみたまのみや)
  • 月読宮(つきよみのみや・つくよみのみや)
  • 伊佐奈岐宮(いざなぎのみや)
  • 伊佐奈弥宮(いざなみのみや)

このほか、月読宮の境内(宮域)には、国道23号線沿いの入口付近に「内宮の末社(まっしゃ)格」の「葭原神社(あしはらじんじゃ)」があります。

月読宮の参拝可能時間(開門・閉門時間)

月読宮の参拝時間は伊勢神宮(内宮・外宮)と同じ。

時期に参拝できる時間が異なります。

通年5:00 開門(全日共通)
1月〜4月5:00 ~ 18:00
5月〜8月5:00 ~ 19:00
9月5:00 ~ 18:00
10月〜12月5:00 ~ 17:00
備考年中無休・拝観無料・夜間閉門

 月読宮の所要時間(滞在時間)

所要時間は人により様々ですが、平均的な所要時間(滞在時間)は次のとおり💋

  • 御朱印orお守り授与:約5分(混雑していないとして)
  • 境内参拝&移動:約20分

合計所要時間:約30分




知らなかっておかねければならない!「月読宮の正しい参拝の順番」

実はこの月読宮には、一応の参拝ルートが定められています。

 「月読宮」

 「月読荒御魂宮」

 「伊佐奈岐宮」

 「伊佐奈弥宮」

まずは主祭神である「月読尊」から参拝して、→次にその荒御魂→と参拝します。

ここまで言いたいのは「まずは主祭神である月読尊からお参りせよ」ということです。

次にその父ジャ(テテジャ/訳:父神のこと)である伊佐奈岐尊(いざなぎのみこと)を参拝し、「最後にその妻である伊佐奈弥尊を参拝せよ」と言うことです。

ちなみに、この参拝順序は伊勢神宮の公式ホームページにも掲載があります。

月読宮の御祭神「月読尊」

月読尊

「月読宮」では、主祭神に「月読尊(つきよみのみこと・つくよみのみこと)」が祭祀(お祀り)されています。

「月読尊」は、日本書紀では「月夜見尊」古事記では「月読尊」と表記されています。

つまり、月読尊と月夜見尊とは、御同体の神様であると言うことができます。

なお、月読尊は厳密には34もの別名があるとされています。

月読尊の別名一覧(一部割愛)

月読命、月読神、月読大神、月読廼神、月読之神、月読比賣命、月読姫命、月夜見尊、月夜見命、月夜見大神、月夜見之命、月夜美命、月予見命、幸魂月夜見尊、左月弓尊、中月夜見尊、津気夜見命、天月読命、..etc

日本書紀によると月読尊は、天照大御神と同時に産まれ出てた「三貴子(さんきし)」の一柱「月の神」とも記されています。

また、「天照大御神の弟神」との記述も見られることから、性別は男神だということになります。

この他、一説には「男性の食事を司る神様」とも云われています。

月読尊の性別は?「女神なのか男神なのか?」

上記の別名で気になるのは「月読比賣命」、「月読姫命」の名前であり、「比賣」「」はいずれも女神を示す言葉です。

しかし、記紀を筆頭としたあらゆる文献おいても月読尊の性別について触れている記述はなく、今日に至っても性別は不明とされています。

月読尊は実は恐ろしい神様だった??

神々が、まだ天界にいた頃、天照大御神が月読尊に「保食神(ウケモチ)の神」と呼ばれた女性の神に会って食事をするように命じられました。

月読尊は命じられた通りウケモチの神と共に食卓を囲むのですが、食事はありません。

そこでウケモチの神に食事の用意はまだなのか?と問いかけたとき、なんと!突如、ウケモチの神が急に口を開き、口から「魚」や「米」といった食事を口から吐き出してテーブルへ並べるのです。

しかし、この光景を目にした月読尊は限度を超えた下品極まりなさと無礼に怒り狂い、ウケモチの神を刺し殺してしまいます。

この直後、ウケモチの神の身体からは「稲」「蚕」「牛馬」などが生まれ、これが「穀物(五穀)」の起源となっというお話です。

後日、この話を耳にした天照大御神は月読尊を「汝は、悪しき神であったか..」と悲しまれ、月読尊を自らとは逆の世界である「夜の世界」に住まわせたと云われています。

この神話は昼と夜が成立した起源とも呼べるべきものであり、月夜見尊が「夜之食国(よるのおすくに)」の主宰者と呼ばれるのはこのためです。(食国=”天皇(神)の統治なさる国”の意味がある)

月読神社と月読尊と聖徳太子

この神様は、他にも「月読神社」という日本に80ほど神社の主祭神でもあります。

この月読神社に伝承される月読尊は「海の神様(航海の神様)」としての側面を併せ持ち、現在の「長崎県の壱岐島」を根城としていた壱岐一族が主祭神として崇敬を寄せいていた神様であったと伝えられています。

「月の神」は「太陽神(天照大御神)」の真逆の存在として崇められており、昔の人々にとっての「月」とは暦を司る存在であり、生活を営む上で欠かすことのできない貴重な存在でした。

話は少し逸れますが、法隆寺を草創した「聖徳太子」がもっとも崇敬していたとされる神様が、この「月読尊」と伝えられており、後に聖徳太子も神格化されて、この神様と相殿する形で月読神社でお祀りされていることがあります。

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月読荒御魂宮の御祭神「月読荒御魂」

月読荒御魂宮は、月読宮の御祭神である「月読尊」の荒々しく勇猛な神霊とされる「荒御魂(あらみたま)」がお祀りされています。

荒御魂は、神様の荒ぶった魂とされ、パワーの源として捉えることができることから、近年では荒魂を祭祀している社は、パワースポットして位置づけられています。

月読荒御魂宮の創祀の時期は不明とされておりますが、推定で「769年(神護景雲3年/奈良時代)以前」とされています。

当初、月読荒御魂をお祀りした社は、現在の宮域よりも北方に位置する「伊勢市久世戸」付近の森の中に築かれ、その社で祭祀されていたと伝えられています。

しかし、853年(仁寿3年/平安時代)の洪水によって、御神体が流され、855年(斎衡2年)に現在の地に遷されたと伝承にはあります。

当初は小規模な覆屋とも呼べるほどの小さな殿舎で祭祀されていたようです。

その後、1873年(明治6年)に宮格を得て、現在のように4つの御社殿にそれぞれ御垣が設けられ、並立する形式で移築造営されています。

これが現在見ることのできる月読宮の姿です。

伊佐奈岐宮の御祭神・伊弉諾尊

伊佐奈岐宮には、月読尊の父神である伊弉諾尊(いざなぎのみこと)がお祀りされています。男性の神様です。

日本書紀においては、「伊邪那岐命」と記されています。

伊弉諾尊は、皇大神宮(内宮)でお祀りされている「天照大御神」の父神でもあります。

伊弉諾尊の最後の子供と謂われる「三貴子」と呼ばれたのが、「天照大御神」・「素戔男尊」・「月読尊」の3柱です。

伊弉諾尊は、最後に生まれた3人の御子神に、それぞれ「高天原」「海原」「夜」を治めるように下命しています。

すなわち、月読尊には「夜の世界を治めよ」と下命したことになります。

伊佐奈弥宮の御祭神・伊弉弥神

伊佐奈弥宮では、月読尊の母神である伊弉弥(いざなみ)がお祀りされています。女性の神様です。

日本書紀においては、「伊邪那美命」と記されています。

まとめると、この月読宮には月読尊を主祭神として中心に据え、その家族(父母子)が祀られていることになります。

また上述の、伊弉諾尊と日本列島を生んだ神として知られています。

日本列島を生んだ際、最初に「淡路島」と「隠岐島」を創造し、次いで大八島(日本列島)を創造したとされています。

大八島・一覧
  1. 佐渡
  2. 本州
  3. 四国
  4. 淡路
  5. 壱岐
  6. 隠岐
  7. 対馬
  8. 九州

その後、日本の各地に八百万の神々を産んだとされています。

天照大御神の母親と伝えられていますが、大御神は伊弉諾尊の目から誕生しており、その上、誕生したときにはイザナミ神は落命し黄泉の国にいたので、間接的に母親という位置づけになります。

謎が多いイザナギ神とイザナミ神

実はイザナギ神とイザナミ神は謎が多い神様であり、記紀の中の記述においても複雑な性格とエピソードを持ち、また、記紀それぞれで異なった伝承を持つ神様です。

本来は淡路島に住む海人が海の神様として篤い崇敬を寄せていたとされ、現在も兵庫県淡路市多賀の位置する「伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)」では伊弉諾尊と共に祭祀されています。

伊弉弥の名前の由来

伊弉弥や伊弉諾尊の名前には「いざ」という文字が付きます。

これは「誘う(いざなう)」の意味が込められていると伝えられています。

そして、伊弉弥の「な」は、助詞となり「み」は女性を示す言語であるとされています。




月読宮の歴史

奈良時代

月読宮は創建年は奈良時代なのか?

月読宮は奈良時代以前には創建されていたとされていますが、創建された場所は現在地ではなく、もう少し五十鈴川にほど近い場所だったようです。

平安初期に編纂された「続日本紀」によれば769年(神護景曇3年)2月、月読宮(当時は月読社)に称徳天皇(しょうとくてんのう)が幣帛を供するための勅使を下向させた旨が記載されています。

すなわち769年にはすでに月読宮は「月読社」として存在していたことになります。

つづ続日本紀によれば、772年(宝亀3年)8月の項にて、「毎年9月に荒祭宮(内宮・別宮)に次いで、幣帛が供された」などのことが記されており、同年、「官社」の指定を受けています。

しかし同年、宮号を授与されており、すなわち772年に官社に昇格したのと同時に現在の「月読宮」になったことになります。

ただし、宮号が与えられていたのは月読宮・月読荒御魂宮の2社とされ、残りの「伊佐奈岐宮」と「伊佐奈弥宮」に関しては宮号はなかったようです。

平安時代

瑞垣(垣根)の形態が現在と大きく異なる!

804年(延暦23年/平安時代)に編纂された「皇太神宮儀式帳(こうたいじんぐうぎしきちょう)」の一文に「月読一院」や「正殿四区」などの記述が見られ、さらに現在の月読宮4社を合わせて月読宮ではなく、「月読社」と呼んでいたようです。

現在の月読宮は4つの御社殿がそれぞれ御垣が据えられ、単独の御社殿で祭祀されていますが、この当時の月読宮(月読社)では、それぞれの御社殿に「瑞垣(みずがき/垣根)」が設置されるのではなく、4宮の周囲を1つの御垣がグルっと一周する形で張り巡らされていたようです。

洪水により社殿が流される

853年(仁寿3年/平安時代)に大風の影響による洪水により、月読宮および伊佐奈岐社が流されますが、その約2年後となる855年(斉衡2年)に現在地に移築される形で再建されています。

皇室・朝廷から篤い崇敬が寄せられ宮号が下された?!

平安時代に編纂された「日本三代実録」の記述によれば、867年(貞観9年/平安時代)第56代清和天皇の宣下によって、単独で「伊佐奈岐宮」の昇格が下され、「宮号」を与えられています。

927年(延長5年)に編纂された「延喜式」の記述によれば、868年(貞観10年)に「伊佐奈岐宮」、「伊佐奈弥社」が2つセットになって1つの瑞垣(みずがき/垣根)が張り巡らして一院とし、同様に月読宮、月読荒御魂宮にも1つの瑞垣が張り巡らし、これら2院がセットになって月読宮を形成していたとされています。

さらにこの当時、「月読荒御魂宮」と「伊佐奈弥社」は「小殿(おどの)」と呼称されていたようです。

すなわち、月読宮に対しての附属的な社として「月読荒御魂宮」が充てられ、伊佐奈岐宮の附属的な社として「伊佐奈弥社」という社格の上下位置関係のようなものがあったと推察できます。

月夜見宮でも荒御魂が小殿で祀られていた!

話は逸れますが、月読宮と類似したお宮に外宮の「月夜見宮」があります。

この月夜見宮もやはり、かつては「月夜見荒御魂」が独立して「小殿」で祀られていたようです。

しかし月夜見荒御魂宮は火災で焼亡し、以後、復興されることなく現在のような月夜見宮内で月夜見尊と相殿という形式でお祀りされています。

明治時代になって御垣がそれぞれの御社殿に設置された!

1873年(明治6年)には4宮それぞれに1つの瑞垣が設置され、1889年(明治22年)の遷宮より現在までの20年おきの遷宮時には4宮それぞれに1つずつに垣根が設置される形式になっています。

月読宮の境内社「葭原神社」

‥については、下記ページを素敵に要チェック💘

関連:【葭原神社(月読宮境内社)の神様(ご利益)とは❓】歴史(名前の由来)や場所はドコ❓




月読宮は超・強烈なパワースポット!!

月読宮のパワースポット「樹齢800年の楠」

月読宮には、樹齢800年と言われる巨大な楠が現存しています。

少し木の形が歪(いびつ)な楠ですが、様々な時代の荒波を乗り越えて生き抜いてきたことが、その歪な姿から感じとることができます。

この楠にソッと触れてみてください。

触れる時は、両手の手のひらをいっぱいに広げて楠の体幹を通る地脈から溢れ出るパワーを感じながら、自分の身体の体幹と一体化するイメージをもって、パワーを少し分けてもらいましょう。

このような我々の想像もつかないような、長い年月を経て樹齢を重ねた木は、太古からの幾世記分ものパワーが蓄積されています。

月読宮は縁結びの神を祀るパワースポットでもある!

月読宮には伊弉諾宮(祭神:イザナギの尊)と伊弉冉宮(祭神:イザナギの尊)といった縁結びの神様でもある「夫婦神」がお祀りされています。

これに因んで、夫婦円満を祈願する方々や、若い女性の拝観者も増えているそうです。

女性は特に強いパワーがいただける?!

また、女性の身体のメカニズムは月とはほど近い関係にあります。

したがって、現在、妊娠中の方は、ぜひ、無事に元気な赤ちゃんを産めるように御祈願しても良いと思います。

伊勢神宮は個人的なお願いをしてはいけない場所だと言われますが、荒祭宮を例とした神様の荒ぶった魂である「荒御魂」を祀ったお宮は御祈願しても良いとされています。

勾玉を月読宮へ持っていくと・・

この「内宮・月読宮」や「外宮・月夜見宮」へ訪れる際は、「勾玉(まがたま)」を肌身につけて、訪れても良いかもしれません。

勾玉は三日月型の形状からして月と密接な関係があるとされていますので、その勾玉が持つ本来の力を目醒めさせることができるかもしれません。

「力が弱った勾玉」であれば、御祭神に対して真摯に御祈祷されることで、再び、勾玉に活力を吹き込むことができるかもしれません。

三種の神器「勾玉」と月読尊

勾玉に関して言及するのであれば、三種の神器の1つである勾玉・「八尺瓊勾玉」とも深い関係があるとされています。

実は三種の神器を定めたのは式年遷宮を開始した天武天皇その人だと云われており、天武天皇は式年遷宮を定めるのと同時にいくつかの国家プロジェクトを定めており、そのうちの1つが「三種の神器の制定だった」と云われています。

それまで三種の神器は「剣」と「鏡」の2種でしたが、天武天皇は道教に通じていたとされ、日の神「天照大御神」の対極関係にある月の神「月読尊」を勾玉のの依代とすることで3種の神器に組み入れたと考えられています。

宿衛屋では後述するお守りもいただくことができます。




お守りの授与場所

冒頭でも述べたように月読宮には出入り口が2ヶ所あります。

  1. 「県道12号線沿い」
  2. 県道12号線から境内を挟んだ裏側を通る「国道23号線側」

いずれの入口から入っても宿衛屋を通ることになり、宿衛屋の奥にお宮が並んでいます。

順番的には宿衛屋で先に御朱印やお守りをいただきたい所ですが、月読宮には先に朱印帳を預けて拝観するというルールは特に設けられていませんので、まずはお宮を参拝してから御朱印やお守りをいただくのがマナーとなります。

月読宮の宿衛屋の場所

月読宮の場所と移動ルート

  • 月読宮の最寄駅:近鉄「五十鈴川駅」(徒歩約10分)
  • 月読宮の最寄バス停:三交バス「中村町バス停」(徒歩約6分)

月読宮を経由した伊勢神宮参拝オススメ参拝ルート

バスと徒歩を利用する場合

外宮→徒歩約10分→月夜見宮→(徒歩約6分)→伊勢市駅→三重交通バス51系統へ乗車→徴古館前バス停→(徒歩約3分)→倭姫宮→徴古館前バス停→中村町バス停→(徒歩約6分)→月読宮→中村町バス停→猿田彦神社前バス停→猿田彦神社→猿田彦神社前バス停→内宮前バス停→内宮(宇治橋)→(徒歩約5分)→おかげ横丁

電車(近鉄)を利用した場合

外宮→徒歩約10分→月夜見宮→近鉄伊勢市駅→近鉄五十鈴川駅→徒歩約10分(もしくはタクシー)→月読宮→猿田彦神社→内宮→おかげ横丁

お伊勢参りは、外宮から内宮への参拝の形さえ整っていれば、「特に順番は無し」と云われております。

月読宮のINFO

住所:伊勢市中村町742-1
電話番号:0596-24-1111(神宮司庁広報室 )
公式サイト:伊勢神宮

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