伊勢神宮(-JINGU-)◆ 御塩殿神社(MISHIODONO-JINJA)
創建年
垂仁天皇26年〜804年(延暦23年/平安時代)
建築様式(造り)
- 切妻造
- 平入
※神明造
屋根の造り
- 茅葺き
御祭神
- 御塩殿鎮守神(塩筒翁)
祭事
- 御塩殿祭(例年10月5日)
社格
- 伊勢神宮・内宮(皇大神宮)所管社
御塩殿神社の読み方
御塩殿神社の読み方は「みしおどのじんじゃ」と読みます。
神宮内でも「みしおどのじんじゃ」です。
御塩殿神社の別名
地元二見では「みしおでん」と呼称されるようです。
御塩殿神社の役割
御塩殿神社は、神宮にとっては重要な位置づけにある神社です。
その理由は「神饌(しんせん)」を調理する際に使用される「塩」や、お祓いに使用される塩が神宮の創建当初ちかくから、およそ2000年もの間、ずっとこの神社で作られているからです。
伊勢神宮で使用されている「塩」は、年に2回だけこの御塩殿神社で製塩され、すべて手作業で神聖な塩を入念に作っています。
神宮では古から伝統を重んじ、従来の技法をそのまま踏襲する形式を採っていますが、ことこの塩の製塩に関しては塩田の場所が創建当初と変わったことにより、製造方法にアレンジを加えています。
項・一覧
- 1 伊勢神宮(-JINGU-)◆ 御塩殿神社(MISHIODONO-JINJA)
- 2 御塩殿神社の読み方
- 3 御塩殿神社の別名
- 4 御塩殿神社の役割
- 5 御塩殿神社の歴史や創建された理由
- 6 御塩殿神社の製塩施設
- 7 伊勢神宮の「塩」の製造方法
- 8 御塩道と御塩殿神社から外宮までのルート「みしおみち」
- 9 御塩殿で作られた「伊勢神宮の塩の味」
- 10 二見で塩が作られるようになった理由
- 11 御塩殿神社の御朱印・お守りの授与について
- 12 塩を作っているところを見学できるのか?
- 13 御塩殿神社で作られた塩の販売について
- 14 御塩殿神社の場所とアクセス方法
- 15 二見浦駅からタクシーで御塩殿神社までアクセスする場合
- 16 御塩殿神社のお問い合わせ先(住所・電話番号)
- 17 終わりに・・
御塩殿神社の歴史や創建された理由
御塩殿神社の創建年はいつ?
御塩殿神社の創建年や創建した人物は不明とされていますが、倭姫命が神宮で使用する塩はこの二見浦で製塩するように定めたことから、内宮や外宮の創建からほど近い年に創建されたものと考えることができます。
現今に至っては、外宮で神様のへの料理が行われていますが、かつては内宮でも調理されていたことを踏まえると、内宮の創建にほど近い頃に創建されたものと考えることができます。
創建された経緯
これは倭姫命がまだ、天照大御神の御神体となる八咫鏡を持ち歩きながら、鎮座地を探して各地を旅していた頃の話です。
あるとき、倭姫命はこの二見浦へもやってきます。
当時、二見浦には佐見都日女命(さみつひめのみこと)と呼ばれる土地の神が鎮座しており、佐見都日女命は倭姫が訪れたと知り、二見の浜で製塩した堅塩を献上したそうです。
ただし、佐見都日女命は当地の土地神だったこともあり、自らの開拓した土地をすんなりと明け渡すのには、かなりの苦痛が伴ったようですが、苦渋の決断の末、倭姫命に土地を献上します。
倭姫命は予想だにしなかった手厚い歓待に感激し、佐見都日女命に社を建ててやることを誓い、神宮の子社に列しました。以降、塩づくりがこの二見で開始され、伊勢神宮へ奉納されることになります。
すなわち、現今、御塩殿神社から伊勢神宮へ塩が奉納されていますが、遡ればこの倭姫命と佐見都日女命の出会いが起源となります。
五十鈴川河口(二見汐合)に塩田が移された理由
創建当初は社殿付近海岸に御塩浜が作られ、そこで海水を採水して、それを煮詰めて塩を製塩していたそうです。
その後、いつ頃からか塩田を用いた製塩方法が確立され、揚浜式塩田が社殿近くに造られることになります。
しかし、この塩田は砂浜に作られていたので、長年に渡って波が押し寄せたことにより、塩田としては使用できなくなり、およそ江戸時代後期〜明治時代初頭にかけて現在の二見汐合(しわい)の五十鈴川河口付近に移され、現今に至ります。
二見町史よれば移された時期は1640年(寛永17年)頃と推定され、理由については「海蝕を受けやすい」としています。
明治時代に塩田および御塩浜が没収される
明治維新の後、上記、二見汐合の御塩浜は明治政府から発布された上知令(あげちれい)により、没収されることになります。
上知令とは、早い話が江戸時代に特権を得て公認されていた寺社の土地を没収することです。1871年(明治4年)と1875年(明治8年)の2回に渡って実施されています。
しかしその直後となる1877年(明治10年)に伊勢神宮が没収された土地を買い取り、1897年(明治30年)より従来どおり、製塩が再開されています。
1947年(昭和22年)塩の輸送手段が徒歩からトラック輸送へ
かつて二見興玉神社から松の木林が並ぶ海岸沿いを伝って御塩殿神社の境内に入れたのですが、1947年(昭和22年)5月に二見町立二見中学校(伊勢市立二見中学校)の校舎や運動場設立に伴い、社地付近の松の木林が大幅に撤去されています。
同時に同年、「御塩道(みしおみち)」と呼ばる製塩された塩を神宮まで運び入れるための道中の移動手段が、徒歩ではなく、トラック輸送に切り替わっています。
御塩殿神社の製塩施設
神宮御塩浜(御料地)
御塩浜は神宮が運営管理する「御料地(ごりょうち)」です。
御塩浜(塩田)の場所は、伊勢市二見西の五十鈴川河口付近の右岸に位置します。
大きさ(面積)は約6600m²。敷地内には入浜式の塩田(縦幅:約40m/横幅:約30m)があります。
御塩殿神社からは徒歩約20分、距離にして約1.7㎞です。
この御塩浜には塩分を含んだ砂が敷き詰められ、さらに入浜式の塩田が整備され、濃厚な塩水(鹹水/かんすい)が汲み上げられる装置として活用されています。
この塩田では毎年2回、塩分2、3%の潮水を10%以上に濃度を高めて鹹水(かんすい)を作っています。
御塩汲入所
御塩汲入所は外から見れば大きく見えますが、内部は4坪ほどの面積の小さな建物になります。
ただ、小さいとは言え、内部には鹹水が1つに80升(1升=約1.8ℓなので約144ℓ)も入るほどクソでかい甕(かめ/壺)が12個も置かれています。
ここでは、御塩浜で汲み上げた濃厚な塩水(鹹水)が入った樽(たる)が保管されます。つまり濃縮するわけです。
また、保管庫(倉庫)の役割もしています。
建築様式(造り)は「天地根元宮造(てんちこんげんのみやづくり)」という、「原始時代の住居の造り」で造営されており、日本最古の建築様式と伝えられています。
一説では、天地根元宮造こそが、現代にも至るまでの建築様式の起源とも云われます。
御塩焼所
汲入所の左脇にある施設です。
ここでは御塩浜で採水した鹹水から荒塩を製塩しています。この作業は例年、クソ夏い暑の8月上旬に行われます。
作業は日中に行うと夏すぎて脱水症も懸念されることから、早朝に行われることが多いようです。
御塩焼所の内部中央には「くど」と呼ばれる高さ約1m、直径約2mもの「円形の竃(かまど)」があり、この上に鋼鉄の平釜を置いて一晩かけて神職や作業員たちが鹹水を煮込みます。
濃厚な塩水(鹹水)を入れて煮詰めることで水分を除去し、塩(荒塩)を製塩するということです。
神職や作業員たちは交代しながら、およそ2、3日かけて3石〜4石の荒塩を製塩します。(1石=150kgなので約450kg〜600kg)
作られた荒塩は茶色い色をしており、これを麦と稲で編んだ二斗俵に詰め込んで倉(御塩御倉)へ保管します。こうして保管することで苦汁(にがり)を除去します。
また、使用する「火」もライターで起こすのではなく、原始時代の手法で木と木とコスり合わせて火を起こしています。
建物は汲入所と同じく天地根元宮造りで造営されています。
御塩御倉(みしおのみくら)
御塩焼所で製塩された荒塩を保管しておく蔵です。8月に作られた荒塩はここに保管されるようです。
御塩殿
御塩焼所で製塩された荒塩は例年、3月と10月に土器に詰めて土器ごと焼き固められるのですが、焼き固めの作業前に欠かさず斎行されている祭典が10月5日に斎行される御塩殿祭です。
御塩殿祭では、塩を生業とする関係者や地元民が参集し、塩業界の発展を祈願します。
使用される土器は三角錐(さんかくすい)の形状をしており、容量は1ℓもあります。
御塩殿の内部には竃(かまど)が設置されており、この竃で約5日間を要して焼き固められ「堅塩」が作られます。
そして、ここでも火鑽り杵(ひきりぎね)で起こした忌火が使用されます。
伊勢神宮の「塩」の製造方法
伊勢神宮での塩づくりには以下の4つに分けられて製塩されます。
- 鹹水づくり
- 採鹹作業(さいかん)
- 荒塩作り(あらじお)
- 御塩焼固め作業
【豆知識】御塩の読み方
神宮では水を「御水(みもい)」と呼称するように、塩を「御塩(みしお)」と呼称します。
ところで・・「荒塩」とは?
伊勢神宮で使用される塩は「荒塩(あらじお)」と呼ばれる塩で少しツブが荒く固めの塩です。
つまり、私たちが「料理」や「ゆでたまご」にフリかけるサラサラとした透明の塩ではありません。
神宮で使用される塩は、荒塩よりもさらに粒が荒くて堅い「堅塩」と呼称される天然の塩を使用しています。
堅塩を崩すと、我々がよく見知る「粒状の塩」、つまり御塩になりますが、この「御塩」を用いて神々へ供える神饌が調理されています。
まずは塩田で鹹水(かんすい)の生成
塩を作る際、まず御塩浜の塩田にて「鹹水(かんすい)」を「樽(たる)」に集めて採取します。
「鹹水(かんすい)」とは、塩分を濃く含んだ海水のことです。
この鹹水を生成するためには「塩分を含んだ大量の砂」が必要になるのですが、まずはその砂を塩田にまんべんなく敷くために「えぶり」と呼ばれる「鍬(クワ)」を使って砂を整地することから塩づくりは始まります。
画層引用先:http://www.kirari1000.com/
天候や気候次第ですが、通常は約1週間かけてこの整地作業が行われます。
次は、「土用潮(どようじお)」と呼ばれる大潮の時を狙って、五十鈴川の岸辺に設置された水門を開いて塩田まで汽水を引き入れます。
このあたりの地名にもなっていますが、このような汽水域を総称して「汐合(しわい)」と呼んでいます。
実は、塩田に中には「沼井(ぬい)」と呼称される4つの穴があります。
汽水を引き込んだ後は、干潮になるまで、この沼井の穴に汽水を含んだ砂を流し込みます。
その後、沼井の最下層に溜まった濃い塩水を採取します。
ここでは冒頭でも述べたように塩分2、3%ほどの塩水を10%近くまで濃くして最終的に鹹水を生成します。
晴天が続けば11日間の作業で42樽もの鹹水が採水できますが、雨天が続いて3日だけの作業になると、わずか9樽しか採水できないこともあります。
なお、御塩浜での海水を採取する作業は伊勢市の住民の奉仕活動によって行われています。
こうして、御塩浜の塩田で濃い塩水を採取することから製塩の工程はスタートします。
なお、現在、これらの作業は地元「二見郷」の住民たちの奉仕によって行われています。
採鹹作業
鹹水は、毎年7月下旬の土用(立春、立夏、立秋、立冬の前の18日間)の約1週間かけて「五十鈴川の右岸」にある上記の塩田(御塩浜)から汲み上げられます。
海水ではなく、川から汲みあげると聞いて疑問に思われた方も多いかもれませんが、神宮で製塩される塩は、川の水(淡水)と海水が入り混じった汽水(きすい)が使用されています。
理由は、海水を使用して塩を作るより、汽水を使用して塩を作る方がキメが細かくなり調理に使用しやすいからだそうです。
そして、これが「入浜式塩田法(いりはましきえんでんほう)」と言われる製塩法です。
入浜式塩田法は1650年あたり〜1700年頃の間に瀬戸内海で考案された製塩方法の1つです。
この作業は従来の伝統に則って地域住民の奉仕活動によって行われ、採取された塩水(鹹水)は、東側の海辺にある御塩殿神社までトラック輸送されています。
神宮御塩殿浜の場所と御塩殿神社との位置関係図
- 御塩浜(塩田)から御塩殿神社まで距離:1.7Km、所要時間:徒歩20分
その後に御塩殿神社の境内にある「御塩汲入所(みしおくみいれしょ)」へ鹹水を持ち運びます。
荒塩作り
次に「御塩焼所」にある鉄の大釜で「鹹水」を煮詰めると、やがて水分が消え失せて「荒塩」だけが残ります。
この荒塩を製塩する作業は、暑の夏い例年8月の上旬に行われます。
完成した荒塩は俵に入れて半年間、乾燥させます。
御塩焼固め作業
10月と3月になれば荒塩を三角型の土器に詰め込んで、5日間かけて土器ごと焼いて固める作業が行われます。
御塩殿では、例年10月5日に御塩殿祭(みしおどのさい)と呼ばれる神事が執り行われ、その後5日間かけて焼固め作業が行われます。
なお、焼き固めたり、煮詰めたりする際の「火も」すべて「忌火」と呼ばれる原始時代の手法で火を起こしています。
荒塩は三角錐の土器に詰め込まれ、5日後には、三角型の「堅塩」と呼ばれるカチンコチンの塩ができます。
このような堅塩が例年300個〜400個ちかく作られ、伊勢神宮へと運ばれます。
神宮では、この堅塩を砕いて調理やお祓いの時に使用しています。
御塩道と御塩殿神社から外宮までのルート「みしおみち」
1947年(昭和22年)までは、完成した塩を唐櫃(辛櫃/からびつ)と呼ばれる四脚が付いた箱に入れて、御塩殿神社から外宮まで歩いて外宮まで運んでいました。
運ぶルートも定められ、このとき定められたルートを「御塩道(みしおみち)」と呼び習わし、御塩道以外の道を通行することは禁じられていました。
運ぶ際も、途中の橘神社での休憩以外では、絶対に箱を地面に付けてはならなかったようです。
昭和22年以降は道路事情が変わりトラックで輸送に変わっています。
御塩道の道順
御塩殿神社→汐合大橋→橘神社→二軒茶屋→伊勢工業高校→神久・旭湯→伊勢シティホテル→外宮参道→伊勢神宮外宮・宮域へ
※現在のわかりやすい地名で表記。
御塩殿で作られた「伊勢神宮の塩の味」
ここまでで、この塩、いったいどんな味がするんだろう..などと気になった方もおられると思いますが、その味とは以下のような味だそうです。
- まろやか
- 塩なのに甘さがある
- とても香ばしく美味しい
3月か10月に訪れると味見をさせてくれるかもしれません。
二見で塩が作られるようになった理由
塩を作るのためにはもっと適した場所があるように感じられますが、現在のような五十鈴川の川岸で塩を作り始めるように取り決めたのは伊勢神宮を創建した倭姫命その人だと伝えられているようです。
倭姫命は伊勢神宮を創建した後も、現在までに踏襲される数々の祭礼や儀式、神職の階級、服装や所作、関係社(子社)の創建など、神宮の基礎づくりをしています。
御塩殿神社の御朱印・お守りの授与について
御塩殿神社には御朱印はありません。お守りもなければ社務所というものもありません。
御塩殿神社は神宮の塩を製塩する製造工場のようなところです。
普段は静けさに満ちた場所で、人の姿すらありません。
ただ、お参りはできます。そのうち一般の立ち入りができなくなる日が訪れるかもしれません。
塩を作っているところを見学できるのか?
結論から言えば、製塩する時期に訪れないと作業風景も見られません。製塩の時期となる8月頃訪れると作業風景が見れるかもしれません。
ただ、確実に見れるわけではなく、職人的な作業になりますので、神宮司庁へ「いつ頃、行けば作業風景を見れるか?」といった問い合わせをしても望むような回答は得られないと思われます。
『見れたら運がいい』と思うくらいの心づもりで訪れるのがよいと思います。
8月と言えば暑です。暑は夏いので早朝の時間帯に訪れると見れる確率がグッと上がるかと思います。
御塩殿神社で作られた塩の販売について
御塩殿神社で製塩された塩は冒頭でもご紹介したように神宮内においての使用のためだけに作られています。
年間300個〜400個と定められているのは神饌(しんせん/お供え物)の調理に使用したり、お祓いなどに使用したりする塩を必要な分だけ製塩していると考えて良いと思います。
御塩殿神社の場所とアクセス方法
- 御塩殿神社の最寄りバス停:おかげバス「御塩殿神社前バス停」※下車後、徒歩約20秒
- 御塩殿神社の最寄り駅:JR二見浦駅※降車後、徒歩約17分
JR二見浦駅から運行している「おかげバス」は平日の1日4本しか運行していません。土日祝は運行なし。
おかげバスは、どちらかと言うと地元民が乗るバスなので三交バスと比べると運行本数は歴然の差があります。
よって二見浦駅から歩く人がほとんどです。
おかげバスJR二見浦駅『参考時刻表』『運行ルート』
伊勢神宮・外宮
↓徒歩約12 分 距離900 m
JR伊勢市駅
JR参宮線各停鳥羽行きへ乗車
↓8分 (2駅)
JR二見浦駅
↓徒歩約17分 距離1.4 km
御塩殿
〒519-0606 三重県伊勢市二見町荘2019
- 電車料金: 210円
- 所要時間:約40分
伊勢神宮(内宮)
↓徒歩:約11分
内宮前・三重交通
↓三重交通・内宮前−内宮前・内宮前行きへ乗車
伊勢市駅前/三重交通
↓徒歩:約2分
JR伊勢市駅
JR参宮線・快速みえ1号・鳥羽行きへ乗車
↓約7分
JR二見浦駅
↓徒歩約 17 分 距離1.4 km
御塩殿
〒519-0606 三重県伊勢市二見町荘2019
- 所要時間:1時間4分(乗車28分)
- 合計運賃:640円
御塩殿
↓徒歩:約17分・距離:約1.4 km
JR二見浦駅
電車参宮線・各停亀山行きへ乗車
↓8分(2駅)
伊勢市駅
↓徒歩:約10分/距離:約900m
↓
伊勢神宮・外宮
〒516-0042 三重県伊勢市豊川町279
- 電車料金:510円
- 所要時間:約40分
二見浦駅からタクシーで御塩殿神社までアクセスする場合
JR二見浦駅は改札口が1つです。改札を出て正面に見えるバスロータリーにタクシーのりばがあります。
- 所要時間:6分
- 距離:1.4㎞
- 料金:1000円
御塩殿神社のお問い合わせ先(住所・電話番号)
- 住所:〒519-0606 三重県伊勢市二見町荘唐剣山2019-1
- 電話番号:0596-24-1111(神宮司庁)
終わりに・・
式年遷宮の際は御塩殿神社から参拝が始まる??
20年に1度、神宮では「式年遷宮」が執り行われます。
式年遷宮の際は、まず御塩殿神社へお参りして御塩の力で身体を清めてから、二見興玉神社へ詣でて無垢塩草でお祓いを受けて(”浜参宮”とも呼ばれる)、その後、外宮⇒内宮へと参拝するのが、正しい参拝方法と伝えられているようです。
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