神宮文庫|伊勢神宮
区分 | 概要 |
竣工年 | 1906年(明治39年) |
開館年 | 1907年(明治40年) |
再建年 | 1925年(大正14年) |
建築様式(造り) | 木造一重、平入、向拝附属 |
屋根造り | 切妻造、こけら葺き |
発願者 | 財団法人「神苑会」 |
施工者 | 北岡組 |
蔵書数 | 推定:約31万冊 (2016年4月時の報告) |
神宮文庫の読み方
神宮文庫:”じんぐうぶんこ”
神宮文庫の設立の目的
神宮文庫の設立の目的は、神宮における図書の保存と一般に開放することで、国民全体の知識の向上、文化の発展に寄与するためであるとされる。
神宮文庫の歴史
奈良時代
神宮文庫の歴史は古く、およそ1300年前(766年/天平神護二年)、内宮に「文殿(ふどの/ぶんでん)」と呼ばれる書庫が建造されたことに端を発する。
それから500年ほど下った鎌倉時代(1261年/弘長元年)、外宮にも「神庫(しんこ)」と呼ばれる書庫が建造され、両宮(内外宮)それぞれにおいて記録された文書などが保管された。
以来、時代の経過と並行しながら、文書の数は膨れ上がり、古式を重んじる神宮において神職の教育や研究にも役立てられた。
もっぱら伊勢の地は神宮の神官らを中心に、古くから宇治の地(内宮)と山田の地(外宮)が争っていた経緯があり、その対抗意識によって生み出された産物ともいえる。
江戸時代
1648年(慶安元年)になると、外宮神主の出口延佳(でぐち のぶよし)らの努力の甲斐あって豊宮崎文庫(とよみやさきぶんこ)が素敵に創設され、1687年(貞享四年)には宇治会合(うじかいごう)の大年寄(上位者)らの申し出によって、内宮文庫が、これまた素敵に建造された。
けれども内宮だけは4年後の1690年(元禄三年)に近隣の林崎へ文庫が移建され、この時に”致命”傷を受けるかの如くに”地名”を冠して「林崎文庫」と改称した。
なお、水戸肛門‥‥ではなく、水戸黄門!!で世に知られる、水戸藩2代目藩主・水戸光圀や、大塩平八郎の乱でお馴染みの大塩平八郎らの著書も寄進されたらしい。
明治時代
1871年(明治四年)に神宮改正によって、両宮は明治政府の所管するところと相成り、従前までの支配体制は一新された。
1873年(明治六年)、これまで保管・収蔵され続けて山積した両宮の文庫の蔵書はすべて神宮に献納され、これを以って神宮は双方の文庫(文殿、神庫)を統合、晴れて1907年(明治四十年)、現在地に神宮文庫を素敵かも‥‥級に創設した。….”かも級”てなんや
大正時代
1925年(大正十四年)8月、和洋折衷洋式をこれまた素敵かも‥‥級に採り入れて新築されたのが、現在の神宮文庫とされるが、この時の調査では数十万冊を有に超える蔵書があったらしく、現在、その数は30万冊を超えるらしい。….”かも級”やめぃ!
平成時代
現在の神宮文庫には神宮関連の古文書を中心に神祇、哲学、宗教、文学、歴史、数学、美術、産業、伝記、法制及紀行などの古書および新刊が素敵に所蔵され〜る💋
これら30万冊の蔵書の中には”充分”すぎるくらいの価値を有する、国宝or”重文”指定の貴重な資料も見られ〜る。
🐣外宮の文庫の簡単な歴史変遷
外宮「神庫(しんこ)」設立
※1261年(弘長元年)鎌倉時代
「豊宮崎文庫」設立
※1648年(慶安元年)江戸時代
豊宮崎学校
※明治元年に閉庫。保管文書は籍中から度会府へと移管される。
度会県学校(光明寺)
※明治三年6月に林崎学校(内宮林崎文庫の後身)と吸収合併
宮崎郷学校
※明治五年8月
小学部は宮崎小学校、中学部は宮崎語学校と改称す。
※明治五年5月
度会県、仮講習所を教員講習所と改称す。
※明治七年2月
度会県、1873年12月5日に創設された「仮講習所」を宮崎文庫へ移転す。 (現・伊勢市岡本、豊宮崎文庫跡)
※明治六年12月
「仮講習所」が「教員講習所」へと改称す。
※明治七年2月
度会県、教員講習所を「度会県師範学校」と改称し、宮崎小学校を度会県師範学校の附属とす。
※明治七年8月
↓
度会県師範学校(宮崎小学校)は旧師職上部貞亨邸へと移転す。
※明治七年9月
宮崎語学校は廃校。
※明治八年12月
旧 豊宮崎文庫の講堂を神宮教院の山田説教所とす。
※明治九年
書庫の維持を図るために旧籍中が「文庫衆」という法人組織を結成す。
※明治十四年10月
文庫衆が経営破綻し、解散。
※明治四十三年
神宮崇敬団体である「神苑会」が、文庫衆の旧所有物(書物・什物など)を買い上げ、「旧豊宮崎文庫図書」と称し、神宮司庁へ献納す。
※明治四十四年2月26日
神宮文庫へ統合(什器は神宮徴古館に素敵に収蔵される)
【豆知識🐣ピヨ01】
文庫の跡地は1923年(大正十二年)3月7日に「旧 豊宮崎文庫」として国の史跡指定を受け、今日に到る。
内宮の文庫の簡単な歴史変遷
内宮「文殿(ぶんでん/ふどの)」設立
※766年(天平神護2年)奈良時代
内宮禰宜の荒木田経延が「岡田文庫」を創設す。(現・伊勢市宇治今在家町)
※鎌倉時代末期〜南北朝時代(正平年間)
1347年(正平二年/北朝では貞和三年)12月20日に岡田文庫が焼失す。以後、再興されず。..トホホ
内宮周辺の自治組織「宇治会合」の大年寄らが中心となって、「内宮文庫」を創設す。
※1687年(貞享四年)
「林崎文庫」と改称す。
※1690年(元禄三年)江戸時代
「林崎学校」と改称す。
※明治元年(1868年)
林崎学校が宇治中之切町へ移転し、「宇治学校」と改称す。林崎学校は廃された。
※明治元年11月
林崎学校が神宮司庁へ移管される。
※明治六年
神宮周辺の環境整備を実施していた神苑会が、神宮司庁所蔵図書の永年保存を目的とし、宇治館町に神宮文庫(じんぐうぶんこ)を創設す。
※明治四十年(竣工は明治三十九年)
「神苑会」が、文庫衆の旧所有物(書物・什物など)を買い上げ、「旧豊宮崎文庫図書」と称し、神宮司庁へ献納す。
※明治四十四年2月26日
神宮文庫へ統合
【豆知識🐣ピヨ02】
かつての林崎文庫が建っていた場所は、1954年(昭和29年)12月25日に国の史跡の指定を受けるに到る。
神宮文庫の歴史年表
以下、ウィキを素敵に参照💋
奈良時代
年 | できごと |
766年(天平神護2年) | 内宮に記録文書を保管・収蔵する「文殿(ふどの/ぶんでん)」が営まれる。 |
鎌倉時代
年 | できごと |
1261年(弘長元年) | 外宮にも記録文書を保管・収蔵する「神庫(しんこ)」が営まれる。 |
室町時代
年 | できごと |
正平年間 (室町・南北朝時代) | 相次ぐ戦乱によって、これまでの蔵書の消失を懸念した荒木田経延は、 現在の伊勢市宇治今在家町に岡田文庫を素敵に創設す。 |
1347年 (正平2年/北朝は貞和3年)12月20日 | 岡田文庫が焼亡。以降、再興されず。 |
江戸時代
年 | できごと |
1648年 (慶安元年) | 1648年(慶安元年)、外宮の権禰宜・出口延佳(度会延佳)の発議に 与村弘正、岩出末清、檜垣常基、地元の御師ら総勢約70名が賛同し、 外宮東隣の豊宮崎の地(現・伊勢市岡本3丁目)に 「豊宮崎文庫(とよみやざきぶんこ)」が創設される。 なお、「豊宮崎」は「豊受宮の崎(みさき/端)」の意。 豊宮崎文庫内には講堂が設けられ、 神職の養成のほか、和漢の学問などの講義も実施された。 |
1661年 (寛文元年) | 豊宮崎文庫の修理に伴い、山田奉行・八木宗直が江戸幕府へ直訴。 修理料として米20石の畝地を賜る。 (畝地=30歩(ぶ)を1畝とした土地のこと) |
1681年 (延宝九年) | 京都の古書取扱業・勤思堂の村井敬義が 貴重図書を含む2,602部を林崎文庫へ寄贈す。 |
1686年 (貞享三年) | 林崎文庫(はやしざきぶんこ)が創設される。 |
1697年 (元禄十年) | 1697年(元禄十年)に編纂された「山田町方古事録」によると、 山田奉行・八木宗直は豊宮崎文庫の管理について 「籍中」と称する8組70人の協賛有志一同が中心になって行い、 行事については主催者を輪番制と定めた。 (籍中は後に100人を超えたらしい) 文庫の管理=図書の購入、出納、謄写・曝涼などの日常業務 |
1686年 (貞享三年) | 内宮周辺の自治体・「宇治会合(うじかいごう)」の大年寄らが、 外宮の文庫(豊宮崎文庫)と同規模の文庫設立を提唱。 この申し出を承諾した山田奉行・岡部勝重は幕府へ直訴し、 幕府より援助金150両が下賜された。 |
1687年 (貞享四年) | 上記、幕府よりの援助金150両を元手とし、 五十鈴川西岸の丸山(現在の宇治今在家町の内宮前駐車場) に内宮文庫(ないくうぶんこ)が素敵に営まれた。 …ホンマ素敵、素敵にやめれん。 …はぁ〜重症 |
1690年 (元禄三年) | 内宮文庫創設からわずか3年で林崎の地に文庫を移転し、地名を冠して「林崎文庫」と改称。 どうやら丸山の地が多湿で文書の保管に不向きとされたらしい。 |
1782年 (天明二年) | 内宮権禰宜職の蓬莱(荒木田)尚賢が外宮の文庫に対抗意識をたぎらせ、 林崎文庫の書庫・講堂・塾舎などを整備し、再興した。 |
奇しくも林崎文庫は経営基盤の脆さが牽引したのか、 わずか100年もたずに荒廃した模様。尚賢はほかに江戸・京都・大坂にも献本のための取次所を開設した。 | |
1796年 (寛政八年) | 水戸の小宮山昌秀から「太神宮参詣記」、肥前島原城主松平忠房からは、 中国最古の史書の1つとされる「古文尚書(鎌倉時代の写本)」の寄贈があった。 |
1857年 (安政四年) | 水戸藩主・徳川斉昭から『大日本史』の初摺本の寄贈があった。 この頃、豊宮崎文庫の蔵書は20,000冊を数えたらしい。 また、儒学者の林信篤や伊藤東涯、貝原益軒などの当代における最先端の学者たちが講義を行った。 |
明治時代
年 | できごと |
1868年 (明治元年) 10月14日 | 豊宮崎文庫が廃止され、宮崎学校が新たに創設されるも、 当該、宮崎学校は数奇な運命を辿り、1871年(明治4年)1月に廃校とあいなる。 |
🐣宮崎学校の歴史変遷11月に一之木の笠井太夫邸へ移転し「山田学校」と改称す。 | |
1868年 (明治元年) | 林崎文庫が「林崎学校」へと改称す。 |
1868年 (明治元年)11月 | 林崎学校が宇治中之切町へ移転し、宇治学校と改称す。林崎文庫は廃された。 |
1871年 (明治4年)7月 | 神宮改正により、内宮・外宮の運営方法は明治政府の介入によって一新され、 従前の両宮における世襲制による支配体制は崩壊、御師制度も廃止され、その大半が職を失った。 |
1872年 (明治五年) | 両宮の文庫などに収蔵・保管されていた14,447冊の蔵書が神宮司庁に献納された。 |
1872年 (明治五年) | 伊勢神宮の神職養成機関として倭町の常明寺跡に神宮教院が創設される。 |
1873年 (明治六年) | 元・宇治会合の大年寄らが旧・林崎文庫の建物と蔵書10,978冊を神宮(神宮司庁)へ献納す。 |
神宮司庁、宇治浦田町の藤波氏宅を購入し、神宮教院を創設。 神職養成学校とす。 なお、当学校の系譜は1883年(明治十六年)創設の神宮皇學館、 1962年(昭和三十七年)創設の皇學館大学へと到る。 |
1876年 (明治九年) | 神宮教院が旧豊宮崎文庫に移転し、内部の講堂は神宮山田説教所として使用された。 |
1878年 (明治十一年) 2月14日 | 神宮教院が失火によって門塀を残し灰燼に帰す。 とりわけ蔵書は籍中の三日市太夫家に保管されていたため火難を逃れた。 |
1881年 (明治十四年) | 神宮教院の経営が困難となり、図書などは魚問屋・旅館業を営む西田貞助の預かりとなった。 |
1906年 (明治三十九年) | 神苑会が神宮司庁所蔵図書の永年保存を目的として、 宇治館町に神宮文庫を創設を計画す。 |
1907年 (明治四十年) | 神宮文庫が創設される。 記録によると、外宮内宮両宮の蔵書14,447冊、 旧林崎文庫の蔵書10,978冊、 寄贈書・新規購入した蔵書など 総計50,136冊・雑誌2,581冊にものぼったらしい。 |
1910年 (明治四十三年) | 神苑会が旧豊宮崎文庫の蔵書20,745冊および什物を17,000円で買収す。 |
大正時代
年 | できごと |
1919年 (大正八年) | 五十鈴川の度重なる洪水被害により、 神宮皇學館が倉田山へ移転とあいなる。 |
1922年 (大正十一年) 12月 | 神宮文庫の管理が神宮司庁から 神宮皇學館に移管され、 程なくして神宮文庫も倉田山へ移転す。 |
1923年 (大正十二年) 3月7日 | 旧 豊宮崎文庫が国の史跡指定を受ける。 |
1925年 (大正十四年) 8月 | 神宮文庫が創設される。 |
1926年 (大正十五年) 1月 | 神宮文庫が開館される。 当時の蔵書数調査によると99,800冊だったらしく、 わずか十年足らずで倍近くなったことを意味する。 |
昭和時代
年 | できごと |
1935年 (昭和十年) | 外宮西側の八日市場にあった 福島御塩焼太夫(ふくしまみさきだゆう)の門 (慶長年間に造立の通称・黒門)が 神宮文庫の門として倉田山に移築される。 |
1946年 (昭和二十一年) | 神宮皇學館が廃校す。 |
1951年 (昭和二十六年) 6月9日 | 玉篇巻第廿二(平安時代)が国宝指定を受ける。 |
1954年 (昭和29年) 12月25日 | 旧 林崎文庫が国の史跡指定を受ける。 |
1958年 (昭和三十三年) 12月22日 | 神宮文庫・黒門が伊勢市有形文化財の指定を受ける。 |
1958年 (昭和三十三年) | 太平洋戦争の惨劇を受け、 神宮文庫に収蔵保管される蔵書の永年保存を目的とし、 鉄筋コンクリート造の第2書庫を増築す。 |
1959年 (昭和三十四年) 12月18日 | 古事記裏書(応永31/室町時代)が 重要文化財指定を受ける。 |
年 | できごと |
1962年 (昭和三十七年) | 神宮皇學館の後継ともなる 皇學館大学(私立大学)が再興される。 |
1963年 (昭和三十八年) 7月1日 | 神宮法楽和歌(江戸時代)が 重要文化財指定を受ける。 |
1966年 (昭和四十一年) | 神宮文庫を3階建に増改築す。 |
1966年 (昭和四十四年) 3月28日 | 紙本墨書御塩殿文書(平安時代-江戸時代)が 三重県指定有形文化財の指定を受ける。 |
1978年 (昭和五十三年) 6月15日 | 皇太神宮儀式帳or等由気太神宮儀式帳 (いずれも鎌倉時代)が重要文化財指定を受ける。 |
1978年 (昭和五十三年) 6月15日 | 渋川春海天文関係資料(江戸時代の天文学者) が重要文化財指定を受ける。 |
1980年 (昭和五十五年) 12月20日 | 中臣祓注抄(南北朝時代)が 伊勢市指定有形文化財指定を受ける。 |
平成時代
年 | できごと |
2002年 (平成十四年) | 蔵書がさらに増加し、 第3書庫が増築される。 この当時の調査によると、 全蔵書約28万冊(和書18万冊)を数えた。 |
2003年 (平成十五年) | 和書or洋書を大別すべく、 館内図書の整理を実施す。 |
2005年 (平成十七年) 4月1日 | 2年間にも及ぶ、和洋書物の整理が完了。 図書閲覧の業務を再開す。 |
2006年 (平成十八年) | 開庫100周年を迎えた。 お近隣の神宮徴古館にて神宮文庫開庫百周年特別企画展が催された。 |
2007年 (平成十九年) | 皇學館大学の文学部図書館には約24万冊の蔵書が収蔵される。 |
2011年 (平成二十三年) | 皇學館大学の文学部図書館には約30万冊(約28万冊は江戸時代以前の和装本) の蔵書が収蔵される。 |
神宮文庫に所蔵されている国宝・重要文化財の蔵書 目録一覧
玉篇巻第廿ニ【国宝】
発行年
- 904年(延喜4年)「平安時代」
国宝指定年月日
- 1951年6月9日
冊数
- 1巻
「玉篇巻第廿ニ」の読み方
玉篇巻第廿ニ:「ぎょくへんまきだいにじゅうに」
玉篇巻第廿ニの由緒
玉篇巻第廿ニは、詳しくは「玉篇(ぎょくへん)」と言われる古文書のことです。
全巻で30巻あります。
すなわち、神宮文庫に所蔵されている玉篇は、そのうちの「第2巻」ということになります。
玉篇巻第廿ニは、「543年(粱大同9年)」に発刊された書物で、内容は「漢字の起源」や「漢字の由来」「漢字の種類」などが記載されています。
古事記・上巻【重要文化財】
発行年(古写本)
- 推定:1426年(応永33年)「室町時代」
重要文化財指定年月日
- 1959年(昭和34年)12月18日
冊数
- 1冊
「古事記上巻」の読み方
古事記上巻:「こじきじょうかん」
古事記上巻の歴史
古事記上巻は、主に神様の起源が記された本です。現代風に言えば「神話」となります。
「天地開闢(神世七代/かみのよななよ)」から、「イザナギ神・イザナミ神」「天照大御神」「大国主大神」などの神様の誕生のことや、誕生した背景などが記載されています。
著者は「朝臣・太安万侶(おおの やすまろ)」と言う人物で「712年(和銅5年/奈良時代)」に元明天皇に献上された古書物です。
皇太神宮儀式帳・残巻【重要文化財】
発行年(古写本)
- 推定:約1185年から1333年「鎌倉時代」
重要文化財指定年月日
- 1978年(昭和53年)6月15日
冊数
- 1帖
「皇太神宮儀式帳」の読み方
皇太神宮儀式帳:「こうたいじんぐうきしきちょう」
皇太神宮儀式帳の歴史
「804年(延暦23年)」に伊勢神宮の神官によって記されたとされる古文書です。
内容は、内宮・外宮の「祭祀の種類や方法」「祭神の神様の歴史・由来」「神宝の種類」「神職の階級と職務内容」「神宮神田の運営」などのことを細かく記した書物とされています。
「等由気太神宮儀式帳」と合わせて「延暦儀式帳(えんりゃくぎしきちょう)」と呼称します。
一般的には「延暦儀式帳」の名前の方で有名です。
現在の神宮の「数ある諸祭」も、この「延暦儀式帳」の内容に基づいて執り行われています。
等由気太神宮儀式帳【重要文化財】
発行年(古写本)
- 推定:約1185年から1333年「鎌倉時代」
重要文化財指定年月日
- 1978年(昭和53年)6月15日
冊数
- 1巻
等由気太神宮儀式帳の読み方
等由気太神宮儀式帳:「とゆけだいじんぐうぎしきちょう」
等由気太神宮儀式帳の歴史
上述の「皇太神宮儀式帳・残巻」と同様の内容が記されており、2つ合わせて「延暦儀式帳」と呼称されます。
古事記裏書(こじきうらがき)【重要文化財】
発行年
- 1424年(応永31年)「室町時代」
重文指定年月日
- 1959年12月18日
冊数
- 1冊
古事記裏書の読み方
古事記裏書:「こじきうらがき」
古事記裏書の歴史
鎌倉時代の神道家として著名な「卜部兼文(うらべ かねふみ)」によって記された古文書です。
「卜部兼文」は「記紀(きき)」と称される「日本書紀と古事記」について、博識であった人物とされており、「日本書紀・古事記」の研究研究家でもあった人物です。
「1424年(応永31年)・室町時代」には、古事記を自らで翻訳(注釈)した「古事記裏書」を発刊するに至ります。
なお、この「古事記裏書」は、現存する「数ある注釈書」の中では「日本最古」と云われております。伊勢市(伊勢神宮)神宮文庫の利用方法
神宮文庫は一般の市営の図書館とは異なり、規定を遵守する必要があります。
神宮文庫の書籍閲覧規定
- 神宮文庫へ持ち込みできる荷物
・筆記用具
・貴重品
・スマホ・携帯電話 - 荷物はすべて入口のロッカー(利用100円)へ預ける
- 飲食は当然禁止(ガムもNG)
図書の閲覧方法
以下内容は変更になっている可能性もあるので、利用前には伊勢の神宮公式情報を要チェック💘
神宮文庫では閲覧したい図書を注文して(申し込んで)、閲覧することもできます。
1回で申し込みできる書籍は3冊まで。
申し込み時する時は、事前に受付で手渡される「神宮文庫の栞(しおり)」を参考にしながら、「図書の番号」を「所定の用紙(図書申込み用紙)」に記入します。
なお、申し込み時に参考となる文献が「神宮文庫所蔵和書総目録・神宮司庁」と称される書籍です。
📕神宮文庫所蔵和書総目録・神宮司庁(楽天市場)
📗神宮文庫所蔵和書総目録・神宮司庁(Amazon)
※現在は洋書のみ館内設置のPC端末機にて検索も可能💘
※目録は全国各地の主要図書館でも配架される。(国立情報学研究所(Cinii)で「神宮文庫所蔵和書総目録」と入力して検索すると所蔵図書館が出力される。)
図書の閲覧申し込みできる時間帯
- 9:30
- 10:30
- 11:30
- 12:30
- 13:30
- 14:30
※これらの時間を過ぎれば、次の受付時間(1時間後)まで閲覧不可。
コピー(複写)に関して
コピー(複写)は可能だが申し込みが必須💘料金は約4000円からになる模様💋
コピーした書籍は「その場渡し」ではなく、「コピー(複写)」するのに時間が必要になるので申込者の自宅へ郵送になる。(届くまでに2ヶ月以上はかかるらしい。)
神宮文庫のINFO
住所:伊勢市神田久志本町1711
閉所日(休館日):月曜日・火曜日・水曜日・日曜日
日曜日・国民の祝日及び休日、年末年始(12月29日~1月7日)
※一般は「木曜日・金曜日・土曜日」のみ入館可能💘
※神宮文庫は一般開放されているとはいえ、国家経営ではなく、あくまでも私設図書館になるのでサービス提供の概念はない。
然るに閲覧できるだけでも有り難いとし、原則、木曜から土曜日のみ開館。
開所時間
- 午前9時から午後4時まで
公式サイト:https://www.isejingu.or.jp/about/cultural/(伊勢の神宮公式)
神宮文庫の場所(地図)
神宮文庫へのアクセスについて
市内各所から「三交バス51系統or60系統」に乗車、「神宮徴古館前(倭姫宮前)バス停」で下車して徒歩約02分💋
- 内宮から約10分
- 外宮から約07分
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当サイトの内容には一部、専門性のある掲載がありますが、これらは信頼できる情報源を複数参照して掲載しているつもりです。 また、閲覧者様に予告なく内容を変更することがありますのでご了承下さい。