伊勢神宮は日本で最高の聖地と言われています。
この理由は、日本国民の総氏神と云われ、最も尊い神とされる「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」を祀っているためです。
伊勢神宮は、全国の神社の代表として格別の信仰が寄せられていますので、本来、”伊勢”は付加せずに正式名称としては「神宮」です。
まさに日本の神が御座す「宮」という解釈になります。
この神宮への参拝は古来、「お伊勢参り」と呼ばれて絶大な人気があります。
これは、室町時代に武士の間で広まり、江戸時代には庶民層にまで流行し現在に至っています。
お伊勢参りは人気があることから「お参り」にも様々な種類が存在し、色々な名称がつけられています。
以下では、お伊勢参りの種類や名称、意味や由来をご紹介しています。
「おかげ参り」とは?
「おかげ参り」とは、江戸時代初期から中頃に起こった現象で、日本全国の大勢の人々が伊勢神宮への参拝を目的として伊勢を目指したことです。
この現象は「おかげ参り」もしくは「抜け参り」と呼ばれました。
この「おかげ参り」の「おかげ」の言葉の語源は、現在でも明らかにされていませんが、おおむね以下のような理由で、時代を経る過程でいつしかそう呼び慣わされたものです。
おかげ参りの語源
【その1】伊勢神宮に御座す天照大御神や神々の”おかげ”
もとより、伊勢神宮を目指す理由は、天照大御神やその他の神々へ詣でて、霊験あらたかとされたご利益を賜るためです。
つまり、神々からのご利益という、ありがたい”おかげ”を賜るための参拝であることが「おかげ参り」の語源の1つとして挙げられます。
【その2】みなさんの”おかげ”
例えば、遠方から伊勢を目指した場合、莫大な旅の資金が必要となったため、人々は「伊勢講(いせこう)」と呼ばれる協同で参拝する組織を作りました。
伊勢講とは、神宮へ参拝したい村や町の人間が集団を作り、資金を出し合って選抜した人物を伊勢神宮へ参拝させることを目的とした組織です。
この当時の神宮参拝は、理由があって自らが行くことができなくても、資金提供するなどの神宮への篤き崇敬心を示すことで、霊験あらたかなご利益を授かることができると信じられていました。
道中では、無料で食べ物や宿泊所を提供してくれる施行宿(せぎょうやど)と呼ばれる場所があったほどで、これが影響してか、後に自らの飼い犬を伊勢に向かわせてお参りさせる「おかげ犬」までもが出没したほどです。
この伊勢講と呼ばれる組織では、誰が伊勢へ参拝するのかを、おおむね「おみくじ」を使って決めたそうです。
そして「おみくじ」によって選ばれた人は「みなさんの”おかげ”で伊勢へ参拝ができる」と考えます。
また逆に、「おみくじ」で選ばれなかった人たちは、参拝を終えて無事に故郷へ帰ってきた人たちに向けて「みなさんの”おかげ”で霊験あらたかなご利益を授かることができた」と考えます。
以上、これら双方の”おかげ”の思いが「おかげ参り」の言葉の語源につながったとされる説です。
【その3】”お陰(おかげ)”参り
後述の「抜け参り」の項でも触れていますが、働き先の主人や、両親、知人に何の連絡もなく、夜逃げようにヒッソリと住処(すみか)を抜け出して、伊勢神宮へ参拝することを「抜け参り」もしくは、ヒッソリと抜けて行くことから「お陰参り(おかげまいり)」とも呼ばれたようです。
【補足】おかげ犬とは?
「おかげ犬」とは、主人の代わりにお伊勢参りした、ぬぅあ~んてお利口な犬なんでございましょ…オホホホホ..ホぉ~ぅ!!・・的な「お利口な犬」のことです。こホンっ!
おかげ犬は主が参拝していることと同義とされましたので、伊勢までの道中の施行宿やお茶屋では無料で食べ物や寝床が提供されました。
道中の施行宿やお茶屋の方々が「この犬はおかげ犬だっ!ダぁ~っ!!」などと判断できた理由は簡単です。おかげ犬には「注連縄(しめなわ)の首輪」が巻かれて喉元には「小さな小袋」が吊り下げられていたからです。
さらにこの小袋の表面には”お伊勢参り”などと書かれて、小袋の中には「主人の名前・住所・お金(御札授与代金・エサ代)」が入れられていました。
ここで現在の私たちからすれば「小袋のお金が盗まれたりせずに、よく伊勢まで辿り着けたな」などと考えてしまいますが、それだけ伊勢神宮への信仰が浸透し、盗もうものならバチが当たると心底、信じられていたと言えます。
このような「おかげ犬」が登場してきた事実をもってしても、伊勢神宮には理解の範疇を超越した格別の崇敬が寄せられていたことが理解できます。ホぉ~ぅ!!
「抜け参り」とは?
上述したように「抜け参り」とは、働き先の主人や、両親、知人に何の連絡もなく、夜逃げようにヒッソリと住処(すみか)を抜け出して、伊勢神宮へ参拝することを「抜け参り」と呼びます。
このように、ヒッソリと抜けて行くことから上述に等しく「お陰参り(おかげまいり)」とも呼ばれました。
なにせ、この当時、国境(県境)には「門」があり、そこには幕府から派遣された番人(役人)がいます。
遠方から伊勢を目指した場合、この門を通過できなければ伊勢神宮へ参拝することは叶わなかったのですが、「伊勢参りです!」と一言、告げる、もしくは「神宮参拝の証拠を提示」すれば、おおむね誰でも簡単に国境の門を通行できたようです。
このように伊勢神宮への参拝であれば、大抵のことは許されるといったような社会の風潮がありました。
つまり、江戸幕府も大方、おかげ参りを容認していたことになります。
おかげ参りは徒歩での参拝が当たり前!
日本各地から伊勢までの交通手段としては、ほとんどの方が徒歩で訪れています。
この当時の乗り物として、輿(こし)や馬といった交通手段もありましたが、輿や馬は役人や麻呂(=貴族)クラスの人間しか所有できないことや、徒歩で詣でることこそがご利益につながると信じられていたため、ほとんどの方が徒歩で伊勢を目指しています。雅(みやび)でおぢゃるゾよ
例えば、徒歩で江戸から伊勢までは片道約2週間、大阪から伊勢までは5日間、名古屋からでも伊勢までは3日間も要します。
驚くのは東北地方の陸奥国釜石(岩手県)から伊勢へ訪れた人の例では、ぬぅあんと!約3ヶ月弱もの期間を要して伊勢まで歩いたと云われています。
ちなみに、この「おかげ参り」は、なぜか60年の節目にもっとも参拝者が多かったとされ、なんと!1830年には4ヶ月で約500万人もの人々が神宮へ参拝したと云われています。
多くの人々が神宮を目指した理由
このように多くの人々が神宮を目指した理由の1つに、約800万人いたとされる「御師(おんし)」の宣伝効果が挙げられます。
御師は日本全国を練り歩き、伊勢神宮や伊勢を紹介した伊勢神宮の下位の神職たちです。
御師は武家が本格的に日本を統治しはじめた室町時代の頃から出没しはじめてたとされています。有名どころでは時の将軍「足利義満」が参拝に訪れています。
伊勢神宮は元来、私幣禁断といわれる制度が設けられ、天皇以外の人物の奉納が禁じられていました。
しかし、奉納を希求した室町時代の有力者・権力者たちのお世話や相手をするために、このような御師が誕生したと云われています。
このような御師たちが日本全国で伊勢神宮を触れ回ったことによって、後々に庶民層の間で次のような噂が広まっています。
例えば、伊勢神宮を目指した道中で・・
「神宮大麻が空から雨のように落ちてきた」
「美女や小判が空から落ちてきた」
他には、「抜け参りを認めない主人に神罰がくだった」
などです。
これらの噂を耳にした人々の中には、噂とは知りながらも「話のネタ」として、はたまた「酒の肴」として伊勢を目指した人々もいたと言います。
「裏参り」とは?
「裏参り」とは、伊勢参りをする時は必ず先に「東国三社」をお参りしてから伊勢へ向かうといった参拝方法(風習)のことです。
庶民にとって伊勢参りは、一生に一度の大旅行であり、見聞を広げるチャンスです。少し遠出をして色々なところを見てくることも許されました。
尚、「東国三社」とは、京都や大阪方面から見て東にある「鹿島神宮(茨城県)」「香取神宮(千葉県)」「息栖(いきす)神宮(茨城県)」のことを指します。
東国三社の場所からみて分かるように、この「裏参り」とは、おおむね関東地方から北国(北海道)地方の人々の風習であったと考えることができます。
「早朝参り」とは?
「早朝参り」とは、伊勢神宮の営業開始(開門)と共に、参拝することを意味します。
伊勢神宮は季節に関係なく概ね朝5時から参拝ができます。
昼間は、いつも大変な混雑ですが、早朝であれば空気は澄みわたって静けさに満ちあふれ、神々しさが漂っています。
このように朝早くお参りして本当の伊勢神宮を味わうのが「早朝参り」です。
なお、早参りを推奨する宿屋が伊勢神宮の外宮や内宮の付近周辺にあります。
例えば、内宮もしくは、おかげ横丁の付近に位置する「神宮会館」などでは、早参りする参拝客に合わせて夜通し大浴場を営業させたり、はたまた、地元に詳しい職員を早参りの案内人として、早参りする宿泊客に同行させているサービスも実施しています。
「朔日参り(ついたちまいり)」とは?
伊勢には昔から、毎月1日に参拝する「朔日参り」と言う風習が古来、踏襲されています。
「朔日参り」とは、月の初めにいつもより早起きして神宮へ参拝し、本日までの平穏無事に感謝する風習のことです。ウフ
また、伊勢神宮に限定せず、日本にはもともと「ついたちまいり」という風習があります。
「ついたちまいり」とは、月の始まりは月の満ち欠けによる「月立ち」が転じて「ついたち」と呼び慣わされるようになったものです。
これは、月の最初の日の早朝にお参りして、前の月が無事に過ごせた事への感謝と、これから始まる月の無事を祈る風習です。
よって「朔日参り」とは、月はじめの日に早朝参りをすることを指します。
朔日参りの中でも8月1日の朔日参りは特別!
このような朔日参りの中でも特に8月1日の朔日参りは、古来、「八朔参宮(はっさくさんぐう)」という別称が付されており、この日に伊勢参宮することで一夏を無事に越せるように「無病息災」、「五穀豊穣」のご利益を賜ることができるとされています。
地元伊勢ではこの日の早朝に御手洗場と滝祭神へ行き、「お水もらい」を済ませた後、「粟餅(あわもち)」を食べる風習が残されており、もち粟を蒸してついた餅が店頭に並ぶまでになっています。
実際、赤福で1日に販売される朔日餅もこの日ばかりは粟餅(八朔粟餅)になっています。
ただ、この八朔参宮は現在では地元民が主流になって行っている習わしでもあることから、現在、地元の人々はこの習わしを少しでも多くの人に見知ってもらおうと平成9年度から「浴衣(ゆかた)で千人お参り」を開催しています。
毎年、8月1日の夕方ちかくになると、一部の参道やその周辺の道路がライトアップされ、外宮と月夜見宮に夜間参拝することができます。
浴衣で参拝することによって古の風習を今に蘇らせようという趣旨です。
浴衣で千人参りの概要
- 開催期間:例年8月1日
- 会場:神路通り・外宮参道~伊勢神宮外宮
- 住所:伊勢市豊川町、本町
- HP:外宮にぎわい会議
- 料金:無料
赤福の朔日餅
伊勢を代表するお店であり、「おかげ横丁」を実質、管理運営している「赤福」は、毎月、1日になると朔日参りの当日限定の「朔日餅(ついたちもち)」の販売を開始します。
この赤福は1978年(昭和53年)より、この朔日餅の販売を開始しています。毎月、1日の午前3時30分より整理券を配布して、午前4時45分から販売開始となります。
予約購入も可能とのことですので、朔日参りされる際は是非!ドス黒い健康なクソがケツ穴から飛び出てくるまで朔日餅をドテッ腹に流し込みましょう!
この他、おかげ横丁付近に位置する「すし久」や「海老丸」などのお店でも、同様に1日限定で「朔日粥(ついたちがゆ)」と呼ばれるお粥の販売が開始されます。
そして当月のご加護を祈願してみてください。
ちなみに赤福の朔日餅は種類があり、毎月、種類が異なります。
赤福の朔日餅の種類
2月立春大吉餅(りっしゅんだいきちもち)
3月よもぎ餅
4月さくら餅
5月かしわ餅
6月麦手餅(むぎてもち)
7月竹流し(たけながし)
8月八朔粟餅(はっさくあわもち)
9月萩の餅(はぎのもち)
10月栗餅(くりもち)
11月えびす餅
12月雪餅
さらにぬぅあんと!伊勢の伝統である「伊勢和紙(伊勢千代紙)」でこれらの朔日餅を包装していただけます。
伊勢和紙とは、伊勢で制作された和紙であり、伊勢神宮はもとより、日本全国に頒布されている「神宮大麻(御神札=お札)」にも使用されているほどの和紙です。
朔日朝市
この「朔日参り」の帰りの参拝客のために開かれている朝市が「朔日朝市」です。
朝4時から開店し、店には野菜や果物、季節の草花などが立ち並びます。
参拝後の腹がクソほど減っちまったぜぇ・・的な人々のために、パンやコーヒーの販売も行われます。グぅわ〜
出店される商品は、その月によって異なります。
また、この日、飲食店では4時45分から店を開け、「朔日朝粥」の他、「雑炊」や「伊勢うどん」、「モーニングセット」など、店ごとに様々なメニューが用意され、参拝帰りの人々の身体の芯からもてなしてくれます。
おすすめは、「横丁まるせい」の「ふぐ雑炊」(600円)です。この値段で”ふぐ”が楽しめるのは、何とも嬉しいものです。
※「横丁まるせい」は2016年に閉店しています。残念です。トホホ
尚、上述したとおり「朝粥」のスタートは4時45分からですが、「ふくすけ」は朝の3時30分から。「横丁そば」は、なんと!夜中の0時から店を開けています。
朔日朝市の終了時間
「朝市」は8時まで
「朝粥」は、概ね7時30分まで。もしくは各店舗無くなり次第終了。
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「年越し参り」とは?
「年越し参り」とは、伊勢神宮では1年間の感謝と新年の祈願をする「初詣(はつもうで)」のことを「年越し参り」と呼び、もしくは地元・伊勢では「初参り(はつまいり)」とも呼んでいます。
この初詣には、他にも種類が存在し、人や地方によっては「二年参り」とも呼びます。これは旧年(大晦日/12月31日)から翌1月1日(元旦)の2日間にまたがって参拝するので、旧年(大晦日)と翌年(初詣)を合計して「二年参り」としています。
日本には古来、大晦日から元旦にかけて「年籠り(としごもり)」と呼ばれる風習があり、これが現在の初詣の起源になったとされています。
「年籠り」とは、地元の氏神様(近くの神社)へ参拝して、境内に籠って新年の無事を祈念する風習であり、明治時代初頭まで続けられていたようです。
年末に寺社に参拝に行くと、「かがり火」や「とんど焼き」が行われていますが、これは年籠りするために周囲を温める意味合いがあるとも云われています。
ただ、この「とんど焼き」や「かがり火」が年末から正月にかけて多くの寺社で焚かれているもっともな理由としては、新しい火を新年に向けて境内で炊くことによって「歳神(としがみ)」を祀りたてて、一年の無事を祈願する意味合いが込められているとされています。
火は邪を退けて身を清め、新しい生命を産むと考えられているため、古来、神聖なモノとして捉えられています。
ちなみに「大晦日」とは「1年の年末(12月31日)」のことを指し、「晦日」とは「月末」の意味です。
終わりに・・
【補足】元旦に年始の挨拶をしてはいけない??
上述で少し触れた歳神様にまつわる話としてこんな話があります。
元旦に年始の挨拶をする家庭が多いと思われますが、実はこれは本来、タブーとされています。
この理由は、本来、元旦(元日)は歳神様を家庭にお呼びして歳神様に挨拶(祈願)するための日とされているからです。
ただ、現代では普通に「あけましておめでとうございます」と一言、言うのが世間の常識とされているため、過去の慣わしに倣(なら)っていては他人から非難を受けることになります。
大切なのは気持ちなので、せめて元旦は歳神様に感謝の意を述べるために神棚がある方は神棚に手を合わせてみてください。
神棚がない方は年の方角(恵方/えほう)を向いて手を合わす、もしくは近くの神社へ詣でて手を合わせてみてください。
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