伊勢神宮の内宮と外宮は、なぜこんなに距離が離れているのか?

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伊勢神宮の内宮と外宮は、なぜこんなに距離が離れているのか?

伊勢神宮のなぜ、内宮と外宮は、こんなに距離が離れているの?

あなたは、お伊勢参りに来られる際、こんな疑問、湧きません?

「伊勢神宮の内宮と外宮で、何でこんなに距離が離れてるんだよ!」

「1つの場所にまとまってくれてたら、もっと参拝しやすいのに!」

「渋滞や混雑もあるし、移動するの大変なんだから!」

「今からでも遅くないから、まとまってくれよ!」

・・なんて、心の中でブツブツと呟きまくっていたのは筆者でもあります。

なぜ、伊勢神宮の内宮と外宮は離れた場所に建てられたのか?

結論から言えば、外宮が内宮より離れた場所に建てられた理由は定かではありません。日本最古レベルの古文書とも言われる記紀(古事記・日本書紀)にもこのことは記されておらず、只々、『丹波国(京都府)の真名井に鎮座していた豊受大御神を現在の外宮が建つ、山田の原へ勧請してきた』と記されています。

すなわち誰が御神体を移してきたのか?そもそも御神体とはどんな形状のものか?・・などは不明とされています。

ただ、1つだけ分かる事実は「なぜ、豊受大御神が現在の外宮が建つ伊勢国へ移ってきたのか?」ということだけです。

丹波から豊受大御神が伊勢へ移ってきた理由

伊勢神宮を創建した当時の天皇は雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)という天皇でしたが、ある日の夜、雄略天皇の夢枕に伊勢神宮・内宮(皇大神宮)に鎮座する天照大御神が立ち、こう告げます。

「わたくし1人では満足な食事ができない。だから、丹波国・真奈井(まない)に居る御饌(みけ/神の食事)の神・豊受(等由気大神/とようけのおおかみ)をわたくしの近くへ呼び寄せて欲しい」

この後、雄略天皇は霊夢のことを臣下に告げ、神託のとおり、丹波国の真奈井に居た豊受大御神を、現在地となる伊勢国の山田の原へ移すことになり、当地で奉斎することになります。

通説では、これが外宮の起源であり、創建とされています。

なお、これらの事実は804年(延暦23年)に伊勢神宮・外宮の神主であった度会氏(度会五月麻呂/わたらいさつきまろ)が編纂した「止由気宮儀式帳」の記述に依るものです。

ではいったい、伊勢神宮の内宮と外宮はいつ頃建てられたのか?

伊勢神宮・内宮が建てられた年

伊勢神宮の内宮が垂仁天皇(すいにんてんのう)の時代の「垂仁天皇26年」に建立されたと伝えられており、創建についての事実は日本書紀に記載されています。

この年数を別の分かりやすい言い方に例えると『B.C(紀元前)4年となります。

この事実は鎌倉時代に編纂されたとされる「倭姫命世記」や「日本書紀」の記述に依るものです。

伊勢神宮・外宮が建てられた年

一方、外宮は「雄略天皇22年」に建立されています。

この年数を別の分かりやすい言い方に例えると「西暦478年」となります。

つまり、内宮より外宮の方が、およそ480年くらい後に建立されたことになります。

ただし、外宮が建つ土地には宮域の風宮などを例として、外宮の創建前から伊勢地方の土地神が祀られていたため、厳密は内宮よりも外宮の方が創建は早かったという見方もされています。

この事実は上述、止由気宮儀式帳の記述に依るものです。


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伊勢神宮の「内宮」「外宮」「伊雑宮」の位置が、地図上では斜めの位置に建てられている

伊勢神宮の内宮と外宮と伊雑宮を地図上でみてみると、驚きの事実がわかります。

なんと!

斜めの位置に建てられて並んでいるでは、ありませんか!

なぜ、伊勢神宮の外宮・内宮・伊雑宮の位置が斜めに並んでいるのでしょうか?

これには理由があり、それが内宮と外宮が、離れて建てられた理由となります。

伊勢神宮の内宮・外宮は、日本の宗教上の「鏡像反転」という考えに則って伊勢神宮は建立されている

日本の宗教上の概念として「鏡像反転」とう考え方があります。

これは、鏡に映し出されたものの、反対のものが真実であるという考え方です。

鏡像反転の考え方については、天照大御神と深い関係があります。

天照大御神と鏡像反転の関係については、伊勢神宮の内宮殿に祀られている三種の神器の一つと言われている「八咫鏡(やたのかがみ)」との深い関連性があると言われています。

この「八咫鏡(やたのかがみ)」と三種の神器と天照大御神のお話は、話し出すと長い長いお話となりますので、当サイトの別のページにて、ご紹介したいと思います。

つまりこの「鏡像反転」の考え方に基づいて、伊勢神宮の内宮・外宮が設計されたと言われています。

では、何を例えて「鏡像反転」したのか?

伊勢神宮は何かを「鏡像反転」させたものが原因で、お宮が別れ、離れた場所に建立された理由であり原因と言われています。

星の中でもっとも光を放つ「オリオン座」を「アマテラス」・「ツクヨミ」・「スサノオ」の3貴子に例えた?!

現在でも、星空を見上げるとオリオン座の光り方は、他の星と比べると格段に明るく光輝いています。

天照・月夜見・須佐之男が実在していたとされる当時でも、オリオン座が一際、際立って光輝いていたハズです。

その当時の人々や神々は、「アマテラス」・「ツクヨミ」・「スサノオ」の三柱(3貴子)をオリオン座の中央に位置する3ツ星に例えたと考えられています。

さらに宗教上の「3」という数字には、良い兆し(吉兆)があるとして、昔からよく用いられた数字でした。

そしてなんと!

このオリオン座を「鏡像反転」させて映し出されたのが、現在の伊勢神宮の内宮・外宮・伊雑宮の位置関係にあると言えば驚かれますでしょうか?

これはどういうことかと言いますと、オリオン座を左右逆向きに「鏡像反転」させた位置が、現在の伊勢神宮の内宮・外宮・伊雑宮の位置関係になるということです。

現在では想像もできませんが、古代であれば空一面に光り輝く星々を神の如く敬っていたとしてもおかしくはありません。

さらに伊勢神宮が創建された頃は、占卜(占い)のような呪術的な儀式が盛んに催されていた時代であり、その占いの結果によってこれから進むべき道を決めた時代でもあります。

以上のことから、鏡像反転の原理が用いられて外宮・内宮・伊雑宮の配列が決められたとしても何ら不思議ではないという解釈も成り立つわワケです。

では最後に、伊勢神宮の内宮・外宮の建立された経緯をお話する上で上述の「伊勢神宮・皇大神宮(内宮)の別宮」である『伊雑宮(いざわのみや)』が建立された経緯をお話しなければなりません。

「伊雑宮(いざわのみや)」は西暦804年に建立された?

現在での通説では、伊雑宮は西暦804年頃に建立されたと言われていますが、実際のところの創建年は不明とされています。

ただ、近年の学術調査によれば新たな文献が発見されており、この文献の一文によれば「伊雑宮」の建立された年数が804年が正式ではないという見方もあります。

すなわち、西暦804年では「伊雑宮」の建立が不可能だという事実が湧き上がってくることになるのです。

伊雑宮は西暦804年以前の外宮が建立された時期と近い年に建立されていた?

伊勢神宮(内宮・外宮)の建立された理由として、オリオン座を「鏡像反転」させた説を真実とするのならば、外宮ができた当時、すでに「伊雑宮」の建立構想があったことになります。

すなわち、外宮建立から、それほど遠く離れていない年数に「伊雑宮」が建立されたと言うことなります。

おわりに・・

以上、伊勢神宮は天照大御神や豊受大御神とも関わりが深い「鏡像反転」の考え方を元として、内宮が先に造られ、その後に「外宮」、「伊雑宮」が現在地に建立されたという説をお伝えしました。

このように、過去の神話と呼ばれる時代のことを想像しながら、お伊勢参りをすると少し見方が変わってきます。

とくに伊勢神宮の境内(宮域)の殿舎はどれも似たり寄ったりの形状をした質素な造りをしていますので、実際のところ面白みには欠ける部分があります。

しかし伊勢神宮には悠久の時を経てきた重厚な歴史があります。このように過去から現在に至るまでの伊勢神宮の歴史を想像しながら参拝すると、普通に参拝した時とは少し視点の異なった、より深みのある参拝が実現できるのではないでしょうか。ウフ

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