「お払い箱」と「お祓い箱」
よく、「会社をクビになった」などという言葉を「会社をお払い箱になった」などと言い換えるケースも素敵に‥あっちゃぅ。…ホンマかぃ。君だけちゃぅの?
この「お払い箱」の語源は、実は伊勢神宮が発端となっていたことは、あまり知られていない。
その昔、伊勢神宮の御師(おんし/日本各地で伊勢参宮を広めた神職)らが、神宮のお札(神宮大麻)や、神宮暦を全国の人々に頒布(配布)していた。
お札をいただいた(買った)人からすれば、以前の古いお札は不要になるので、御師たちは、お祓いを受けたお札を入れておく「お祓い箱」と、引き取った古いお札(古札)を入れる箱も持ち歩いていたそうな。
古札納箱が古いお札で満たされる時、「お祓い箱」ではなく、「お払い箱(不用な箱)」となり、後世、これを面白がって「お払い箱」という語源につながったという。
尚、これには諸説あって、例えば、江戸の商家の奉公制度→ 退職時に給金を清算(=払い)→ 荷物を箱にまとめて返す‥
といった流れが転じて、「お払い箱(=用済み・解雇)」という説も素敵に‥あっちゃぅ。
「御師」の読み方の違い
出雲大社が位置する出雲地方では「御師」を「”おし”」と呼び、神宮が位置する伊勢地方では「”おんし”」と呼ぶ。
尚、漢字は同じなれど、呼び方だけが異なる。
伊勢神宮の御師とは❓役割やビジネス構造とは❓

御師とは、伊勢神宮の信仰を弘通すべく、全国を行脚した神職・祈祷師たちのこと。
宗教的な役割を主たる業務とし、旅行案内、宿泊所までも兼ね備えた、伊勢信仰を支えた存在。
御師は、全国各地でお札や暦を配布しながら布教を行う一方で、お伊勢参りの際には自宅を宿泊所として素敵に提供し、あまつさえ、案内やお神楽受付(ご祈祷受付)までもを担った。
御師は何人くらいいた?
江戸後期で約1,000〜2,000人といわれる。
外宮の山田界隈には、最盛期、数百もの御師たちの屋敷が軒を連ねていた。
御師の役割(業務内容)
• 宿の提供
• 食事の世話
• 参拝案内
• 神楽(儀式)の取り次ぎ
「宗教+旅行代理+宿泊業+ガイド」という、言わば伊勢参りの総合サポート職。
御師のビジネス構造(仕組み)
御師は、それぞれが全国に担当エリアを受け持っていた。
全国の信者らと、半ば檀家制度のような仕組みを構築し、職も世襲制で職業化していた。
御師に依頼するメリット
•現地に行っても迷わない
•すべて御師の案内通りするだけ(自分で調べなくて済む)
まさに御師たちが行った業務は、日本初の観光システムの確立ともいえる。
御師が成した偉業
全国から数百万の人々が群参する異例ともいえる「お伊勢参り」なる現象を生み出した。
その結果、お伊勢参りに群参した人々を対象とした運送、宿泊、物流、両替商が急増し、外宮山田や内宮の門前町の発展に寄与した。
御師の主たる収入源
自らが全国に構築した「講」からのお布施
• 暦・お札の配布(販売)
• 伊勢参りの総合サポート
御師は世襲制だったらしく、収益は思いの外、安定性していたという。
近代になって御師が消えた理由とは❓
- 近代化により、軌道網(鉄道網)や道路網が全国に網羅し始める。
- これにより、個人での移動が実現。また、国家神道が樹立してくると、それまで御師たちが独占していたお札や暦の配布も神社の授与所で神官(公務員)が担うようになった。
- 明治以降になると出版が盛んになり、ガイド本や地図が出回るようになった。
- ガイド本や地図が出回ったことで、参拝作法や行き方、宿泊についても御師を頼らなくて済むようになった。
- 民間の積極的な布教禁止の法律により、御師制度(御師の活動)が事実上、廃絶に追い込まれた。
【ピヨ🐣「民間の積極的な布教禁止」とは❓】
- 個人が信者を増やす活動
- 訪問して信仰を布教する
- 祈祷の受付
- お札・暦を配布
その後の御師の行方
- 国家神道の組織に入り、神社の神官として転職
- 旅籠(宿屋)になって宿屋経営へ転身
- 土産物屋に転身
- 観光ガイド業へ転身
‥etc
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