風日祈宮橋の擬宝珠に書かれている謎の文字(刻銘)とは❓

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風日祈宮橋の欄干の親柱上の擬宝珠と刻字の内容

太神宮風宮 五十鈴川御橋 明応七年戌午 本願観阿弥 敬白

これによると1498年(明応7年/皇紀2158年)の戌午(つちのえうま/干支)に「観阿弥」によって風日祈宮橋が架橋されたことに‥あ、なっちゃぅ。

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嘉永六癸丑年6月 吉祥日

「1853年(嘉永6年/江戸時代後期)6月の吉祥日(吉日)に奉納されたことを素敵に告げる。

1853年から一度も交換されずに繰り返し使用されてきた歴史を物語る。

奉行 山口丹波守 源直信

奉行とは「山田奉行所」にいた奉行のこと。

山口丹波守直信とは、1850年(嘉永3年)~1868年(安政5年/江戸時代後期)に山田奉行を務めた人物。

上記の刻銘とを素敵に合わせると、「1853年(嘉永6年/江戸時代後期)6月の吉祥日(吉日)」に「山田奉行所の奉行である山口丹波守直信が奉納した」…ということに‥あ、なっちゃぅ。

山田奉行所はドコにある❓現存していて見学はできるのか❓

残念無念ながら、山田奉行所は現在は跡地として石碑だけが残るのみ。

場所は近鉄山田線の高架付近、伊勢シティホテルの景子なほど北側にある、ぎゅーとら八間通店の駐車場の中に「山田奉行所跡」と陰刻された石碑が佇む。

 




御鋳物師 蛸路住 常保河内作

これは擬宝珠を製作した人物が誰であるのか?を知らせる刻字。

『蛸路住』とは、現在の『三重県松阪市上蛸路(かみたこじ)町』のこと。

つまり、蛸路(松坂市上蛸路町)在住の「常保河内」と言う人物であることが分かります。

常保河内の”河内”とは、河内鋳物師のことを指すとみられ、これはかつての「禁裏御用鋳物師の誇り」を意味するものだと推考する。

「常保」とは、名工集団とまで謳われた「常保鋳物師」のことを意味するものと思われます。

蛸路には、鋳物師集団が居処しており、そのルーツは東大寺大仏を鋳造した河内鋳物師集団だと云われます。

常保一家は、三重県度会町に位置する「國束寺(くづかじ)」、「伊勢寺」「横滝寺」の梵鐘を鋳造したことで知られています。

これらの擬宝珠も神宮の隠れた観光スポットと言えます。

内宮へ参拝に訪れた際は、ぜひ、ご覧になってみてください。

‥‥以上の内容は宇治橋の擬宝珠にも見られることから、どうやら1853年(嘉永6年/江戸時代後期)6月吉日、宇治橋と共に風日祈宮橋が建て替えされたみぎり、その奉祝記念に奉納されたとみれる。
(宇治橋を式年遷宮にて架け替えるようになったのは明治時代以降。それ以前は壊れたり老朽化が目立ってきたら架け替えていたらしい)

宇治橋にも刻銘がある❗️

宇治橋にも似たような刻銘があるのだが、詳細は下記ページを素敵に要チェック💘

関連:宇治橋の擬宝珠に書かれている謎の文字(刻銘)の正体とは❓触ると意外なご利益が⁉️

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