伊勢神宮(-JINGU-)◆饗土橋姫神社(AEDOBASHI-HIME-JINJA)

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伊勢神宮(-JINGU-)◆饗土橋姫神社(AEDOBASHI-HIME-JINJA)

  ⬆️正面

⬆️左斜め20度接近(大粒の白石と御垣に囲まれている)⬆️真横から(神明造。女神を祀る皇大神宮の所管社として女千木が据えられている)

⬆️背面から望む(板葺き屋根に鰹木が4本みえる。偶数は女性の神を祀る象徴とも…)

創建年

  • 不明
  • 1464年(寛正5年)以前
建築様式(造り)

  • 切妻造
  • 平入

※神明造り

屋根の造り

  • 板葺き
御祭神

  • 宇治橋鎮守神(うじばしのまもりのかみ)
社格

  • 伊勢神宮・内宮(皇大神宮)「所管社」

饗土橋姫神社の読み方

饗土橋姫神社は「あえどばしひめじんじゃ」と読みます。

創建当初は「大橋橋姫御前社(おおばしはしひめごぜんしゃ)」と呼ばれていたようです。もしくは単に「橋姫神社」とだけ呼ばれていたこともあったようです。

「饗土橋姫神社」の名前の由来

饗土橋姫神社の「饗土」とは、神を祀り、宮域の四方からの邪気(疫病や悪霊)の侵入を防ぐための神聖な土地という意味合いがあります。

饗土では、イザナギ神が黄泉の国で身体中に付着した穢れを祓った際に誕生したとされる「八衢比古神(やちまたひこのかみ)」、「八衢比売神(やちまたひめのかみ)」、「久那斗神(くなどのかみ)」を祀り、「道饗祭(みちあえのまつり、ちあえのまつり)」と神事が執り行われます。

これら3柱は「道祖神」とも呼ばれることがあり、都や宮域内に妖怪や鬼などの魑魅魍魎が入らないように防ぎとめ、祀ることで守護を賜ることができます。

すなわち宇治橋より先に邪気が入り込まないように守護しているという意味合いが込められています。

神々の降臨を促し、ご加護を賜るべく、当地にて神饌などを供進し「饗応の儀式」を執り行います。

饗土橋姫神社の歴史・由来

饗土橋姫神社の創建年

かつて内宮の神域を護るようにして流れる五十鈴川には橋がなく、参拝者たちは五十鈴川で身を清める意味合いもあってドボンっと川へ入って渡っていたようです。

さらに時代が下ると石が置かれたりしてその石の上を歩いたという話もあります。

饗土橋姫神社が創建された年は現在に至るまで不詳とされていますが、およそ平安時代後期〜室町時代には架橋されていたと考えられています。ただし、文献に初出が室町時代になります。

創建当初は上述したとおり、「饗土」の地に祀られていましたが、その饗土とは、現在の内宮の入口に建つ参宮案内所(衛士見張所)の前の松の植え込みの辺りであったとされています。

しかし、1464年に大橋勧進聖本願坊という勧進聖および荒木田氏経ほか10人の禰宜たちにより、橋が倒壊しないように13,000回もの祈祷が行われており、この祈祷が仮にかつての饗土橋姫神社で執り行われたものであるのであれば、1464年(寛正5年)にはすでに存在していたことになります。

このような橋祈祷はこの当時、盛んに行われたとされ、理由は頻繁に倒壊したからだそうです。現にこの祈祷の後、1年経たずして倒壊してしまったとの記録が残されています。

現今に見られる宇治橋の建て替えの際に執り行われる数々の儀式も、こういった昔の名残りをそのまま踏襲したものと位置付けることができます。ウフ

室町時代

饗土橋姫神社は創建以降の詳しい経緯が記されておらず、その存在に関しては不明瞭な部分が多いようですが、現在の社地に鎮まるで幾つか場所を転々としているようです。

しかしながら、荒木田守良が編纂した『神宮典略』の記述によれば、1467年(寛正7年/室町時代)3月に時の将軍「足利義教」が下向し、参宮した際に上述、饗土の地に創建されたと伝えています。

なんでも京都の宇治橋に倣い、「この伊勢の大橋にも・・」という発願により、創建されたとのことです。

これが事実であれば、伊勢神宮の社殿群と並ぶほどの古い歴史を持つ神社ではなく、比較的、近世に造営されたお社だということになります。

ただし、この文献の記述によれば「饗土の地に”橋姫神社”が創建された」とされていることから、かつての社名は「橋姫神社」であり、はたまた、御祭神として京都の宇治橋と同様に「瀬織津姫(せおりつひめ)」を祀っていることになります。

江戸時代

江戸時代の饗土橋姫神社は宇治山田三方会合所という自治体の管理下に置かれていたようです。しかし1830年(文政13年)に起こった火災により焼失しています。

明治時代

この饗土橋姫神社はかつては伊勢神宮の社殿群と同様の神明造りの社殿ではなく、春日造だったようです。明治時代に春日造から神明造への建て替えが執り行われています。

1872年(明治5年)6月

1872年(明治5年)6月に教部省(きょうぶしょう/=宗教位関係を総括する政府官庁)は「延喜式神名帳」および「延暦儀式帳」に記載のない神社を伊勢神宮の所管から外す命令を下しています。

饗土橋姫神社は、「延喜式神名帳」および「延暦儀式帳」に記載がなかったことから伊勢神宮の所管から外れ、三重県の所管として移管されています。この時同時に宇治橋および、宇治橋の鳥居も三重県へ移管されています。

1879年(明治12年)

1879年(明治12年)より、内宮宇治橋周辺に位置する宇治今在家町の住民が産土神として祀りはじめ、7月21日より祭礼が執り行われています。

1881年(明治14年)

1881年(明治14年)になると、宇治橋および宇治橋の鳥居のみ三重県から→伊勢神宮へ再び移管される運びとなりますが、依然、饗土橋姫神社は三重県所管として存立することになります。

1889年(明治22年)

1889年(明治22年)に斎行された「第56回神宮式年遷宮」において、宇治橋渡始式が三重県所管では進行に支障をきたすとして、これを境に再び晴れて内宮所管社に返り咲いています。

1907年(明治40年)11月

1907年(明治40年)11月には、御幸道路(国道23号および三重県道12号伊勢南勢線、三重県道37号鳥羽松阪線)の敷設に際し、道路周辺の建造物は移設を余儀なくされ、この饗土橋姫神社はじめ、四郷村(しごうむら/三重県度会郡)北中村(現・伊勢市中村町)の共同墓地も移転されています。1910年(明治43年)3月に完成。

1909年(明治42年)3月

1909年(明治42年)3月に現在地に社地が設けられ、さらに移転しています。以来、現在まで鎮座地に変更ありません。(現在位置=大水・川相・熊淵神社と、津長・新川・石井神社の間)


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饗土橋姫神社の御朱印の種類・初穂料(値段)

饗土橋姫神社では残念ながら御朱印の授与はされていません。伊勢神宮の御朱印についての詳細は下記ページをご参照ください。

饗土橋姫神社のすぐ近くで御朱印を授与されている神社

実はこの饗土橋姫神社のすぐ隣りには、宇治神社‥通称「足神さん」と呼ばれる神社があります。徒歩約3分くらいの距離です。

⬆️饗土橋姫神社と足神さんの位置関係図

この足神さんでは御朱印を授与されています。ただし、神主さんが常に授与所におられるワケではありませんので、ご注意ください。万が一、留守の場合は書き置きタイプの御朱印になりますが、郵送にて授与していただくこともできます。

宇治神社(足神さん)についての詳細は下記ページをご参照ください。ウフ

その他の境内見どころ

手水鉢

御垣の手前左側に手水鉢らしきものが見える。かつては手水鉢として使用されていたのだろうか。周りにコケが生えていて悠久の時をこの場で経てきた名残りを伝える。

合格神社の参道

実はこの饗土橋姫神社を正面に見て左脇からは、さらに山奥へ続く山道があります。

この山道、単なる山道ではなく、木製の灯籠が並んで建てられていることから、管理されている様子や同時に古来、崇敬が寄せられている度合いがヒシヒシと伝わってきます。

⬆️合格神社への参道

合格神社とは世界平和と民主主義の実現に生涯を捧げた尾崎行雄を祀っている神社です。「憲政の神様」とも呼ばれた同氏のご利益を授かるべく、築かれた神社です。

饗土橋姫神社からは徒歩5分もかからないので、ぜひ!合わせて、参拝してみてください。

合格神社については下記ページにて詳しくご紹介しています。ウフ

関連記事:

大水神社・川相神社・熊淵神社

饗土橋姫神社の真横には、伊勢神宮の所管社となる3つの神社が鎮座しています。(上記⬆️、写真参照)

  • 大水神社
  • 川相神社
  • 熊淵神社

なお、これらの神社は合祀されていることから、社殿は1つです。

当神社の詳細については下記ページにて詳しくご紹介しています。

津長神社・新川神社・石井神社

上記、3社に引き続き、なんと!さらに3つの神社とも隣接しています。(上記⬆️、写真参照)

  • 津長神社
  • 新川神社
  • 石井神社

同様にこれらの神社も伊勢神宮の所管社で、合祀される形で1つの社殿でお祀りされています。

饗土橋姫神社の役割と宇治橋との深い関連

伊勢神宮で20年に1度執り行われる「式年遷宮」という儀式をご存知の方は周知の事実かと思われますが、この饗土橋姫神社と内宮入口に架かる宇治橋には深い関連性があります。

宇治橋が建て直され、新しく架橋される時には古来、以下でご紹介するように当社のご神前にて工事中の安全や完成した橋の永続などを祈祷をする風習が残されています。

萬度麻

「萬度麻」とは「まんどぬさ」と読み、この饗土橋姫神社で祈祷されたお札(御神札)のことです。

伊勢神宮では古来、橋の永続と神域を邪気から護るために、後述する宇治橋の欄干の擬宝珠の中に、この萬度麻を封入する風習が踏襲されています。

「萬度麻」の「麻」の意味とは、お祓いで用いられる品を指します。一方、「萬度」の意味は、現在の宇治橋の原型が完成したとされる室町時代より→江戸時代までの間の建て替え時に、神職たちにより、およそ10万度以上のお祓いが執り行われたことに由来しています。

宇治橋萬度麻奉下式

「宇治橋萬度麻奉下式」とは、参拝を終えた帰り方向(左側)から宇治橋を向かい見て2本目の柱にある擬宝珠の中に納められている「万度麻」を下げる(取り替える)儀式です。

⬆️万度麻が封入されている擬宝珠の場所

宇治橋萬度麻奉下式は後述、宇治橋渡始式と同じく、伊勢神宮において20年周期で執り行われている式年遷宮の際に斎行される儀式の1つです。

宇治橋萬度麻奉下式の終了後に、宇治橋の建て替え工事が開始されますので、意味合い的には工事中の安全と橋の無事の完成を祈念する儀式とも捉えることができます。

ちなみにこの2本目の擬宝珠のみ他の擬宝珠と色が若干、異なります。また、「天照皇太神宮(内宮)」の名前が刻まれた文字がみえます。

他の擬宝珠と比べて色が異なる理由は、なんでもこの万度麻が入った擬宝珠を参拝帰りに触れることで、再び、伊勢神宮に参拝することができるご利益を授かることができるとのことです。

また、帰る際の厄災から身を守ってくれるとも言われています。

万度麻の役割

万度麻は、宇治橋の建て替えが滞りなく行われ、尚且つ、その後の宇治橋を守護するためにご祈祷されたお札になります。

宇治橋渡始式

宇治橋萬度麻奉下式が終了した後、建て替え工事が執り行われますが、宇治橋が無事、完成した後はこの饗土橋姫神社で再び祭礼・祈祷が執り行われます。

今度は新しい万度麻を再び擬宝珠に納める儀式が執り行われるのですが、この儀式こそが「宇治橋渡始式(うじばしわたりはじめしき)」です。

同時に、日本全国から選出された夫婦が完成した橋を渡り、橋の完成を盛大に祝うための儀式でもあります。


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饗土橋姫神社の御祭神「宇治橋鎮守神」のご利益

宇治橋鎮守神は「うじばしのまもりのかみ」と読みます。古来、宇治橋守護の神とされています。また、上述したように足利将軍が当社を創建したのであれば「瀬織津姫」が祀られているという解釈もできます。

饗土橋姫神社のもう1柱の御祭神「橋姫」??

それともう1つ‥。現在までの通説において、橋の神は「橋姫」という女神、もしくは鬼神が有名です。現に当社の名前にも「橋姫」の名前が入っています。

ちょっと疑問を感じていた方もいると思いますが、「橋姫」とは、京都宇治橋に残されている「橋姫伝説」に登場する鬼神もしくは女神のことです。

したがって、宇治橋鎮守神が祀られているとされていますが、もう1柱、「橋姫」という女神、もしくは鬼神が祀られているという見方もできます。

このような鬼神を祀る理由は、「鬼神の力によって橋を守護してもらっている」という解釈になるようです。

悲しい「宇治の橋姫伝説」

実はこの橋姫には悲しいエピソードが残されています。諸説、語り継がれているようですが、いずれも嫉妬心にかられた程よくピチピチとした娘っ子が主人公となっています。

かつてとある公家には程よくピチピチとした娘がおり、嫉妬深い性格をしていたようです。実は、この程よくピチピチとした娘っ子には愛しい男、もしくは妬む女性がいました。

しかし、ある時を境に嫉妬心に支配され、貴船神社へ7日間参籠したそうです。参籠した理由は貴船の神に”とある願い事”をするためです。

その”とある願い事”とは‥「殺したいほど妬む人がいます。どうか程よくピチピチとした自らを鬼神にしてください」というなんとも悍(おぞ)ましい願いだったのです。

7日間の飲まず食わずで祈り続ける程よくピチピチとした娘っ子を哀れに思った貴船の神は「37日間宇治川へ浸かれ。そうすれば鬼神になれるじゃろぅて‥ふぉっふぉっ」・・と告げます。

こうして、程よくピチピチとした娘っ子は宇治川へ浸かるのですが‥、なんとぉぅ!37日経つことなく、21日目で2本ヅノが生えた赤い肌の鬼へ変化したそうです。

が、しかし!‥妬む男や女の命を奪うだけでは物足りず、次々に宇治橋を渡る人を襲いはじめたのです。

この状況を重く見た時の天皇はすぐさま討伐隊を宇治へさし向けるのですが、その討伐隊として派遣されたのが、英雄として知られた陰陽師・安倍晴明もしくは源頼光の四天王の1人「源綱(みなもと の つな)」です。

結果的にこれらの英雄と呼ばれた人物に退治されてしまうのですが、「言うことを聞けば命だけは奪わない」ということで仕方なく約束を交わすことになります。その約束こそが「橋を守るためにその力を使え」という約束だったというお話です。

「毒をもって毒を制す」‥「邪気をもって邪気を制す」‥といったところでしょうか。ウフ

饗土橋姫神社は式年遷宮で一番最初に建て替えされる神社!!

すでに既知の方もおられると思いますが、伊勢神宮において20年に一度、執り行われる式年遷宮では、宇治橋の式年遷宮が4年前に執り行われています。

しかし饗土橋姫神社は宇治橋を守護する神社であり、上述した宇治橋の擬宝珠へ納める万度麻の祈祷もしなければならないので、宇治橋よりも先に建て替えをしておく必要が出てきます。

つまりのところ、伊勢神宮の式年遷宮において一番最初に社殿の建て替えが執り行われるのが、この「饗土橋姫神社」になります。

この次に宇治橋や宇治橋の鳥居の遷宮が順次、開始されて行きます。

伊勢神宮・内宮「饗土橋姫神社」の場所(地図)

饗土橋姫神社は、宇治橋と正対する形の真正面の方向に位置します。宇治橋前から徒歩約3分の距離です。すその様相はまるで遠くから宇治橋をしっかりと見守っているようにさえ思えます。キラん⭐︎

宇治橋から饗土橋姫神社への行き方

宇治橋の鳥居をくぐり抜けて→宇治橋の脇にある衛士見張所の前を通り過ぎて→その向こうに見える道路を進みます。

やがて横断歩道が見えますので、横断歩道を渡って右へ進みます。→すると内宮A駐車場とその奥にタクシー乗り場が見えます。このタクシーのりばの奥の森林の中に饗土橋姫神社がありますので、駐車場へ入って奥に向かって歩いていきます。

初めてお伊勢参りされた方であれば、少し迷うかもしれませんので、宇治橋脇の「衛士見張所」には「参宮案内所」が併設されていますので、こちらでお尋ねになってみてください。

⬆️饗土橋姫神社の手前から撮った写真

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