伊勢神宮(-JINGU-)◆ 倭姫宮(YAMATOHIME-NO-MIYA)

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伊勢神宮(-JINGU-)◆ 倭姫宮(YAMATOHIME-NO-MIYA)

伊勢神宮・内宮(別宮)「倭姫宮(やまとひめのみや)」

創建年

  • 1923年(大正12年)
建築様式(造り)

  • 切妻造り
  • 平入
  • 掘立柱

※神明造り

屋根の造り

  • 茅葺き(萱葺)
鰹木の数

  • 6本
千木の形

  • 内削ぎ
素材

  • 檜(ヒノキ)
大きさ(正殿)

  • 棟持柱の高さ(地面から棟まで):不明
  • 梁間:不明
  • 桁行:不明
鳥居の形式(境内)

  • 神明鳥居(伊勢鳥居)
御祭神

  • 倭姫命
社格

  • 伊勢神宮・内宮(皇大神宮)「別宮」

 倭姫宮の読み方

伊勢神宮には、いくつか読みにくい名前の社殿などがあります。

そして、この倭姫宮の読み方は「やまとひめのみや」と読みます。

なお、倭姫宮の内宮・10別宮における社格の順位は10位となり、これは近代に差し掛かってから社殿が造営されたことに起因するものです。

これら神社の「社格」の制度は、明治時代の初頭に、あらため直されたたのですが、第二次世界大戦後の「進駐軍(GHQ)」によって、廃止に至っており、現在では、一応の概念として、「神社の社格は無い」ものとされています。

ただ、天皇の勅使が下向する「お社」が、古より位置づけられており、ここには社格の概念が存在しております。

他にも、目に見えない部分で社格は存在しております。

倭姫宮の境内MAP(地図)

倭姫宮の境内(宮域)の上空からの地図

倭姫宮の境内(宮域)の案内配置地図

倭姫宮の歴史・由来

「倭姫宮」は、伊勢神宮の内宮(皇大神宮)の別宮です。

創建時期は1923年11月5日で、14社の別宮の中で最も新しい神社です。

祭神は、日本神話で第11代の垂仁(すいにん)天皇の第4皇女と言われている「倭姫命(やまとひめのみこと)」です。

倭姫命は、天照大神の指示をうけて、およそ2000年前に五十鈴川の川上に現在の皇大神宮を造られ、そして天照大神を伊勢の地に祀られた古墳時代の皇族の姫君です。

倭姫命が生まれたのが、古墳時代から弥生時代とされていますので、そこから神宮の創建までを考えると、おおよそ西暦200年代の前半に誕生されているものと考えられます。

他にも、倭姫命の名前が有名になったのが、熱田神宮でお祀りされている「神剣・草薙の太刀」に選ばれた「伝説の勇者・日本武尊(やまとたけるのみこと)」の叔母でもあります。

その後、後世にて倭姫命の功績を讃えた神宮司長と宇治山田市(現在の伊勢市)は「倭姫命」を祀るお宮の創建を御請願し「倭姫宮」が造られました。

このような理由から、神宮の他の別宮・摂社・末社に比べて、極めて最近に造られています。

ところで・・「倭姫命」とは?

倭姫命とは、第11代垂仁天皇の第4皇女であり、母は皇后日葉酢媛命です。甥には第12代「景行天皇」の息子である「草薙の神剣」で有名な「大和武尊(やまとたけるのみこと)」がいます。

倭姫命は、第10代崇神天皇の皇女「皇女豊鍬入姫命」の跡を継いで斎王(さいおう)となった人物であり、現在の伊勢神宮内宮を創建した人物として有名です。

皇女豊鍬入姫命は、宮中から天照大御神の神霊が宿る神鏡を持ち出し、奈良県桜井市にかつて存在した「笠縫村(かさぬいむら)」でお祀りしました。しかし、倭姫命は笠縫村から再び神鏡を持ち出して、神鏡を祀る土地を見つけるために巡行の旅に出ることになります。

ちなみにこの時、倭姫命が笠縫村から神鏡を持ち出した理由は、現在までに伝わるどの文献にも記載がなく不明とされています。

そして巡行の旅の果てに、現在の伊勢の地にたどり着き、天照大御神の神託によって伊勢の地にお祀りして伊勢神宮を創建するに至ります。

この時、天照大御神は神託として、倭姫命に次のように伝えています。

寔(こ)の神風(かむかぜ)の伊勢国は常世(とこよ)の浪の重浪(しきなみ)帰(よ)する国なり。
傍国(かたくに)の可怜(うまし)国なり。
寔(こ)の国に居(を)らむと欲(おも)ふ)


この神風が吹く伊勢の国の波は美しい。まるで常世からの波が打ち寄せているようだ。大和国の横にある何とも美しい国。ワタシはこの国にこそ、とどまりたいと思う。

尚、倭姫命は一説では架空の人物ともされていましたが、現在までの調査では、実在した人物であることが明らかにされています。

「斎王」とは?

「斎王」とは、別名で「御杖代(みつえしろ)」と呼称し、神の依代となって、神の意を伝える任務に就く人物のことを指します。

神宮に伝わる古書物によると、”杖”のような棒状のものには、神の御霊が宿りやすいとされ、神が降臨した時の御神体を宿らせる神聖なものであるとされています。

話は逸れますが、神様の数を数えるとき、「一柱(ひとばしら)、二柱(ふたばしら)」と数えるのは「棒状のもの=柱」を指しているためです。

伊勢神宮における斎王とは、すなわち、天照大御神の御霊が宿る「八咫鏡を祀る任務を担う役職」のことを意味します。

尚、京都の「賀茂御祖神社(下鴨神社)」と「賀茂別雷神社(上賀茂神社)」の”両賀茂神社”にも「斎王」が存在したため、「賀茂神社の斎王」と「伊勢神宮の斎王」を区別するために、伊勢神宮の斎王を「斎宮(さいぐう)」、賀茂神社の斎王を「斎院(さいいん)」と呼び分けがなされていたようです。

斎王は皇女なので通常の神職とは異なる存在であり、伊勢神宮における次のような「三節祭」と呼ばれる大祭の時にのみ伊勢神宮へ赴いて、神鏡(天照大御神)の御前に供え物を供進(きょうしん/=ささげる)します。

伊勢神宮の「三節祭」

  • 6月と12月の「月次祭」
  • 9月の「神嘗祭」

以上、合計3回。

えぇっ?!斎王は占いで決められていた?

実は「斎王」は、天皇の勅命の前に、なんと!陰陽師(おんみょうじ)による、占いで決められたそうです。

基本的に斎王は、一代の天皇が即位する度に未婚の皇女が1人選出され、斎王の制度が成立していた南北朝時代までの歴代の斎王の人数を数えると、なんと!60余人もの斎王が選出されています。

斎王になると、「御所内(皇居内)の初斎院(しょさいいん)」と外にある「野宮(ののみや)」で、各々約1年間、慎み深い生活を送り、京都の御所から少し離れた「桂川」で体を清めます。

その後、斎王は3年目の9月に天皇から「別れの櫛(くし)」をたまわり、大極殿での「発遣の儀式(しゅっぱつのぎしき)」を終えた後、葱華輦(そうかれん)という輿(みこし)に乗って、伊勢の斎宮(さいぐう)と呼ばれる施設へ向かいます。

また、斎王が伊勢へ向かう際は、1人で向かうのではなく、なんと!約500人もの従者がこれに付き従うほどの一大パレードであったと言います。

斎王が生活することになる「斎宮」は、伊勢国多気郡の櫛田川付近(現在の近鉄斎宮駅の付近)の下流に位置し、基本的に伊勢神宮の祭典「三節祭」が執り行わる際にのみ、神宮へ赴き奉仕したようです。

歴代の斎王・一覧(日本書紀)

第10代:豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)/崇神天皇皇女
第11代:倭姫命/垂仁天皇皇女
第12代:五百野皇女(いおの)/景行天皇皇女
第21代:稚足姫皇女(わかたらしひめ)/雄略天皇皇女
第26代:荳角皇女(ささげ)/継体天皇皇女
第29代:磐隈皇女(いわくま)/欽明天皇皇女
第30代:菟道皇女(うじ)/敏達天皇皇女
第31代:酢香手姫皇女(すかてひめ)/用明天皇皇女
第40代:大来皇女(おおく)/天武天皇皇女

斎王は途中で辞めるもしくは拒否することができるのか??

斎王になる人物は、半ば強制的に決められました。

これは選出されることが名誉とされていたためです。

では、「朝起きるの早いし、もぅ飽きたから辞め!辞め!」・・などと発狂して退職することができるのか?という疑問についてですが、一度、斎王に選出された人物は次のような理由がある以外、斎王を辞めることは叶いませんでした。

斎王を辞めることができる条件

  • 斎王自身の死去
  • 斎王の家族親戚など近親者の死去
  • 斎王自身がいずれかの勢力と内通を図るなどの不祥事

ちなみに斎王を退職することを「退下(たいげ)」と呼称します。


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倭姫命の巡行の旅の道筋

倭姫命は、「日本書紀」や「倭姫命世紀」、「皇太神宮儀式帳」によれば、関西地方・丹波周辺から中部地方・岐阜県を練り歩き、最終的に伊勢入りしています。

上記の古書物の記述によれば、これらの巡行で立ち寄った土地で度々、天照大御神の御神体となる神鏡(八咫鏡)を祀っています。

その立ち寄った土地というのが、次で示すような場所となります。

倭姫命の巡行ルート(日本書紀)※4箇所

笠縫村(奈良県・桜井市)→宇陀・篠幡(奈良県)→近江国(滋賀県)→美濃国(岐阜県南部)→伊勢(三重県)

倭姫命の巡行ルート(皇太神宮儀式帳)※15箇所

笠縫村→丹波・吉佐宮(よさのみや/京都府福知山市大江町)
→美和の御諸宮(みむろのみや/奈良県桜井市三輪町)
→宇太の阿貴宮(うだのあきのみや/奈良県宇陀市)
→佐々波多宮(ささはたのみや/奈良県宇陀市)
→伊賀の穴穂宮(いがのあなほのみや/三重県伊賀市阿保)
→阿閇柘殖宮(あへつみえのみや/三重県伊賀市)
→淡海の坂田宮(おうみのさかたのみや/滋賀県米原市宇賀野)
→美濃の伊久良賀波宮(みののいくらかはのみや/岐阜県瑞穂市)
→桑名の野代宮(くわなののしろのみや/三重県桑名市)
→鈴鹿の小山宮(すずかのおやまのみや三重県亀山市野村町)
→壱志の藤方の片樋宮(いちしのふじかたのかたひのみや/三重県津市藤方)
→飯野の高宮(いいのたかみや/三重県松阪市山添町)
→多気の佐々牟江宮(ささむえのみや/三重県多気郡)
→磯宮(いそのみや/三重県多気郡明和町)
→宇治の家田々上宮(やたのたのうえのみや/三重県伊勢市楠部町)
→伊鈴河上の大山中(いすずのかわかみのおおやまなか/現在の伊勢神宮・内宮)

倭姫命の巡行地に関して、上述では単に「祀る」と表現しましたが、倭姫命は天照大御神の御分神となる神鏡「八咫鏡」を持ち出して各地を巡行していますので、これはもはや単なる巡行とは言わず、「神が降臨した土地」とも言い換えることができます。

そして、これら倭姫命が巡った土地は「元・伊勢」とも呼ばれ、現在に至っても篤い崇敬が寄せられている理由がよく理解できるというものです。

「倭姫命世紀」の記述では、皇太神宮儀式帳をよりもさらに数が増えて27箇所もの巡行地が記述されています。

このように時代を経るごとに記述された土地が増加した理由は、伊勢神宮の威厳の高まりと比例したと考えることができます。

また、同時に朝廷の威厳を示すものであったという見方もできます。

しかし、一説では倭姫命はあらかじめ伊勢の地のみを目指したとも云われており、つまりは上述のように各地で神鏡を祭祀するといったことはしなかったとも云われています。

また、倭姫命世紀は奈良時代から伝わる古書物だと伝わっていますが、鎌倉時代に編纂(へんさん/出版)された可能性が示唆されることから、事実関係にモヤがかかり、現在では内容の信憑性が問題視されています。

えぇっ?!卑弥呼が倭姫命だった?

一説によると、邪馬台国の卑弥呼と倭姫命が、「実は同一の人物だったのではないのか?」などと言った説もあったようです。

この理由は、倭姫命と卑弥呼が存在した時代が重複するためであり、いずれもシャーマン的な立場の人物であったからです。

ただし、この説は不確かな部分が多く、現在までの調査では別人であるとされています。

このように倭姫命は、後世の様々な時代においての卑弥呼と同一人物とされるほど、とてつもなく神秘的で不思議な力を持った、大変、魅力的な女性とされています。

これはある意味、後世では神格化されていたとも言えます。

倭姫宮がパワースポット??

「倭姫命」は、御神意(神様の意思)を伝える「御杖代(みつえしろ)」として神様に仕えているだけでなく、「神嘗祭(かんなめさい)」をはじめとした、神宮で執り行う祭典(行事)や、神官の役職なども定めています。

また、倭姫宮は内宮や外宮の宮域からは、少し離れた倉田山の山内に造営されていることもあり、環境的にも森林に囲まれた自然のパワーに満ち溢れたパワースポットと言えます。

倭姫命は、奈良の地から、丹波や滋賀県、そして岐阜県を経て、遠く伊勢の地まで旅しています。

伊勢の地に着いてからも、大御神(神鏡)のお世話だけではなく、上述したように伊勢神宮の様々な祭事や神宮内の神職における様々な制度を定めています。

常人であれば挫折してしまいそうなことを、倭姫命は命が尽きるまで、神宮の恒久的な存続のために尽力されています。

以上のことから、神様の気持ちを感じ取ることができる純粋さと、実務能力を兼ね備えたお姫様だったことが伺えます。

そんな倭姫命が祀られている倭姫宮を参拝すると、気持ちもリフレッシュして良いエネルギー(パワー)で満たされることでしょう。

倭姫命のご利益

  • 芸能関係の上達・興業
  • 家内安全..etc

倭姫宮の参拝料金

  • 無料

倭姫命へのお問い合わせ先

住所:三重県伊勢市楠部町5
電話番号:0596-24-1111(午前8時30分~午後4時30分)※神宮司庁
営業時間(参拝可能時間):伊勢神宮の参拝時間に準ずる
定休日:年中無休

伊勢神宮の参拝可能時間

  • 1月・2月・3月・4月・9月:午前5時~午後6時
  • 5月・6月・7月・8月:午前5時~午後7時
  • 10月・11月・12月:午前5時~午後5時

伊勢神宮・内宮(別宮)「倭姫宮(やまとひめのみや)」へのアクセス(行き方)

  • 倭姫宮の最寄りバス停:「神宮徴古館バス停」※徒歩約1分
  • 倭姫宮の最寄り駅:「五十鈴川駅」※徒歩約20分

五十鈴川駅から倭姫宮までのアクセス(行き方)

近鉄五十鈴川駅より北へ徒歩で約20分

五十鈴川駅から倭姫宮までのアクセス・行き方

三重交通バスで倭姫宮までのアクセス(行き方)

  • JR伊勢市駅(近鉄伊勢市駅)
  • 近鉄宇治山田駅
  • 近鉄五十鈴川駅

より、51系統・外宮内宮行きへ乗車(外宮内宮循環バス)「神宮徴古館バス停」下車すぐ。

倭姫宮の駐車場
  • 駐車収容台数:43台
  • 障害者専用駐車場:1台分あり※徴古館前正面
  • バス:12台
  • 駐車場料金:無料
伊勢神宮・倭姫宮へのおすすめの参拝ルート

三重交通バスの51系統を乗り継いで、以下↓のルートを参拝します。

終わりに・・

現在、倭姫命は「宇治山田陵墓(参考地)」にて、永眠されています。

「参考地」の意味とは、皇族を祀った古墳のことであり、倭姫命の古墳とは断定できないのが、参考地とされている所以だと思われます。

倭姫宮から宇治山田陵墓(参考地)までアクセス・行き方「徒歩」

  • 距離:約900m
  • 所要時間:約10分

倭姫宮から宇治山田陵墓(参考地)までアクセス・行き方「徒歩」宇治山田陵墓(参考地)は、倭姫宮の付近にありますので、ぜひ、立ち寄ってみてください。

W参拝してWの倭姫命のパワーをいただきましょう。ダブドゥあブ

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