
伊勢神宮は完全な原初的神道を踏襲していない
時代というものは移ろい、その時代時代で権力者の影響や、自然災害、疫病などで世の中は姿を大きく変える。
伊勢神宮はそうした悠久の歴史を歩みながら、古代からのありのままの原初的神道が踏襲されてきたわけではない。
式年遷宮も130年間、行われなかった期間もあるように、それ以前の社殿や橋にはひょっとしたら擬宝珠がなかったかもしれない。
しかし、どこかの時代に転換期があって、その影響を受けた産物となるものが、今日、境内で散見される擬宝珠と‥なっちゃぅ。
なぜ仏教式の擬宝珠が伊勢神宮にあるのか?
神仏混淆時代だった1498年(明応7年/皇紀2158年※室町時代)、伊勢神宮では慶光院(けいこういん)と称する僧侶らの活躍によって、辛くも式年遷宮が行われてきた歴史がある。
その証拠となるものが、宇治橋などの欄干の親柱上に据えられた 永沢くん‥ではなく、擬宝珠(ぎぼし)❗️であり、この擬宝珠には橋の架け替え工事に携わった人物や時代(年月)の刻銘が‥あっちゃぅ。
室町時代以前、創建当初から伊勢神宮には擬宝珠があったのか❓
室町時代以前から擬宝珠が据えられ、それが踏襲されて続けているという事実は確認できない。
けれども古代からの建築様式とされる「唯一神明造(ゆいいつしんめいづくり)」が身舎部分と、それを取り巻く高欄や擬宝珠が据えられた廻縁(まわりえん)が含めたものなのかが判然としない。
ただ、伊勢神宮の創建が仏教伝来前後〜古代だとするならば、その頃に果たして擬宝珠という存在が確立されていたとは思えない。
我が国では平城京跡の遺構で検出されている「瓦製擬宝珠」が、現在のところ最古級の記録か。
なぜ現代でも擬宝珠が据えられているのか?
現代まで室町時代の擬宝珠が見られるということは、以降の時代、安土桃山、江戸、明治、大正、昭和、平成、令和‥と、室町時代に据えられた擬宝珠がそのまま継承されていることに‥あ、なっちゃぅ。
これは式年遷宮のという儀式の在り方や伊勢神宮の祭祀の考え方が垣間見えるところでもある。
然るに、式年遷宮では先例を重んじ、それを無闇矢鱈に改変することもなく、そのまま現代まで踏襲していることに‥なっちゃぅ。
ところで‥擬宝珠とは❓
擬宝珠は元来、仏教を起源とし、仏教での擬宝珠は如何様な願望も叶えてくれるという如意宝珠のことだとする。
擬宝珠の名前の由来
擬宝珠の「擬」は、模倣、真似、似せる…等の意味がある。
宝珠こそが前述の如意宝珠のこと。
擬宝珠が設置される場所
橋の欄干、社殿や本殿の高欄(高欄)、城郭‥等。
殊に、神社では伊勢神宮本殿(正殿)の高欄に据えられる五色の宝珠型装飾が起源とされる。
伊勢神宮宮域で擬宝珠が見られる主な場所
🧅宇治橋
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