伊勢神宮(-JINGU-)◆ 風日祈宮橋(KAZAHINO-MINOMIYABASHI)

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伊勢神宮(-JINGU-)◆ 風日祈宮橋(KAZAHINO-MINOMIYABASHI)

大きさ

  • 全長(長さ):45.6m
  • 横幅:4.6m
素材

  • ヒノキ
  • ケヤキ
橋梁上部の建築様式(造り)

  • 単純桁橋
工期

  • 約8ヶ月
風日祈宮橋の別名

  • 五十鈴川橋(いすずがわばし)

風日祈宮橋の読み方

風日祈宮橋は「かざひのみのみやばし」と読む。




風日祈宮橋の建築造り

風日祈宮橋は基本的には、内宮の入口に架かる宇治橋と造りは同じです。

神宮はその一切を伝統に則って建て替えを執り行っていますので、いずれもサイズが異なるだけで基本的な造りはほぼ同じです。

ただ、宇治橋は1度に通行する人がもっとも多いので、橋の足元の補強のための、橋梁工事の方法が若干、異なっています。

風日祈宮橋の創建年

風日祈宮橋の、創建年(はじめて造られた年)は不明とされていますが、橋の高欄(こうらん/両側の手スリ)を支える柱の上の「擬宝珠(ぎぼし)」には、以下↓のような刻字(彫られた文字)が見つかっています。

太神宮風宮 五十鈴川御橋 明応七年戌午 本願観阿弥 敬白

これによると1498年(明応7年/皇紀2158年)の戌午(つちのえうま/干支)に「観阿弥」によって造営されたと記載があります。

これが事実であるならば、室町時代に始めて橋が架けられたということになります。

観阿弥とは?

「観阿弥(かんあみ)」というのは、観進聖(かんしんひじり/全国を旅する僧侶たち)の中の僧侶のことだと思われます。

室町時代のこの当時、相次ぐ戦乱により、将軍の権威は失墜し、伊勢神宮も遷宮を行うための浄財が集まらず、このような勧進聖と呼ばれた僧侶が全国を練り歩き浄財を集めて何とか遷宮を実行しようとしたのです。

これらの僧侶たちは後に「慶光院(けいこういん)」と呼ばれる勧進活動および遷宮を行うための自営組織を内宮の宇治橋近くに作り、1585年(天正13年)に奇跡ともいうべき「両宮遷宮」つまり、「第41回式年遷宮」という大偉業を達成しています。実に124年ぶりだったそうです。

もう一つの風日祈宮橋の欄干擬宝珠の陰刻

風日祈宮橋を渡る前(神楽殿側)の右側の欄干上の擬宝珠などに次のような陰刻が見える。

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嘉永六癸丑年6月

 

1853年(嘉永6年/江戸時代後期)6月の吉日に奉納されたことを告げる擬宝珠です。

1853年から一度も交換されずに繰り返し使用されてきた歴史を物語っています。

伝統を重んじる神宮の宮域ならではの光景です。

奉行 山口丹波守 源直信 嘉永六癸丑年 六月吉祥日

現在は跡地として石碑だけが残されていますが、外宮近くにはかつて「山田奉行所」がありました。

1850年(嘉永3年)~1868年(安政5年/江戸時代後期)に山田奉行を務めた山口丹波守直信が奉納した事実を刻んだ擬宝珠です。




御鋳物師 蛸路住 常保河内作

これは擬宝珠を製作した人物が誰であるのか?を知らせる擬宝珠です。

『蛸路住』とは、現在の『三重県松阪市上蛸路(かみたこじ)町』のこと。

つまり、蛸路(松坂市上蛸路町)在住の「常保河内」と言う人物であることが分かります。

常保河内の”河内”とは、河内鋳物師のことを指すとみられ、これはかつての「禁裏御用鋳物師の誇り」を意味するものだと推考する。

「常保」とは、名工集団とまで謳われた「常保鋳物師」のことを意味するものと思われます。

蛸路には、鋳物師集団が居処しており、そのルーツは東大寺大仏を鋳造した河内鋳物師集団だと云われます。

常保一家は、三重県度会町に位置する「國束寺(くづかじ)」、「伊勢寺」「横滝寺」の梵鐘を鋳造したことで知られています。

これらの擬宝珠も神宮の隠れた観光スポットと言えます。

内宮へ参拝に訪れた際は、ぜひ、ご覧になってみてください。

‥‥‥以上の内容は宇治橋の擬宝珠にも見られることから、どうやら1853年(嘉永6年/江戸時代後期)6月の吉日に宇治橋と共に修営された折、その奉祝記念に奉納されたとみれる。(宇治橋を式年遷宮にて架け替えるようになったのは明治時代以降)

えぇっ?!本当は風日祈宮橋の下に流れる川が「五十鈴川」だった?!

しかし、元来、五十鈴川の本流とは、この風日祈宮橋の下を流れる川(島路川)が五十鈴川の本流であるとされていました。

つまり、この橋は別名をもっており、「五十鈴川橋」といいます。

現在では、「宇治橋=五十鈴川=御手洗場」のイメージが先行しており、宇治橋の下を流れる川が五十鈴川の本流であるとされています。

近年に至っては、河川を定める法律によって、山の頂から河口に至るまでの、全長(距離)が1番、長い川が、本流と位置づけられるようになっています。

これに伴い、現在の風日祈宮橋の下を流れる川は「島路川(しまじがわ)」と命名されており、同時にこの橋の名前も「風日祈宮」の前に架かる橋ということで「風日祈宮橋」と、あらためられたと考えられます。

風日祈宮橋が伊勢神宮有数のパワースポット?!

伊勢神宮の境内の中でも、この風日祈宮が一際、パワーが強いと噂されており、特に、「風日祈宮と風日祈宮橋の間」と「橋の上」に、強いパワーが集まっていると噂されているようです。

強いパワーが感じれるというのも、昔は「風は神の息」とも考えられており、そんな風の神様をお祀りするお宮に、唯一、架かる橋と言うこともあり、風の力で守護されているからかもれせん。

ちなみに、風水的な観点から見た結果によると、風日祈宮に通じる、この風日祈宮橋は、真下を流れる川の方向と、陸地・森林に囲まれた地形のバランスが絶妙なんだそうです。

中でも特に「水の上に位置する橋の上」と「風日祈宮側の橋のたもとの辺り」が、一際、大きなパワーが集まっているそうです。

また、風日祈宮の地形を考えた場合、この風日祈宮橋を渡ってお参りする、そして、渡って戻るという形になります。

前身は風神社として土地神が祀られていたとされていますが、わざわざ橋を造ってまでして、その先にお宮を置いたことに何か重大な意味があったのでしょうか。

ひょっとすると、膨大なパワーの力を調整するために、あえて橋の向こうに建てられたのかも知れません。




そもそも橋は「異界との接続域」

「橋」というのはそれ自体にパワーが集まるというわけではなく、橋は「異界との接続域」という意味を持ったアイテムだとも言われ、そういう意味合いからパワーを感じるという人もいます。

「陰陽師・安倍晴明は、一条戻橋の下に鬼を飼っていた……」などと言うのは有名な話です。

つまり、橋を渡ることは一種の異界体験とも言えます。

早朝参拝で風日祈宮へ来るとよりパワーを得られる??

特に朝方、風日祈宮橋の上に立っていると朝日がスコールのように降り注ぎ、そんな神々しい朝日を浴びた、生き生きとした緑や、新鮮な小鳥のさえずりを耳にすることができます。

そして身体の芯に眠るパワーが、フツフツと湧き起こってくるのを感じることができます

同時にこの瞬間、風日祈宮橋がパワースポットと噂されるのも分かる気がするというものです。

内宮へ早朝参拝された際は、是非!風日祈宮へ参拝して、この風日祈宮橋で立ち止まってみてください。

ひょっとすると、あなたの中で何か目醒めるものがあるかも知れませんゼ。

風日祈宮橋の周辺は伊勢の有名な「紅葉のスポット」!!

その他、この風日祈宮橋を中心とした周辺の森林は、神宮しいては伊勢市における「秋の紅葉の一大スポット」でもあります。

秋の風日祈宮橋に訪れてみてください。

橋からはきっと君の耳タブのようにプニュプニュと美しい紅葉を目に焼き付けることができるハズです。ウフ

内宮のオススメ参拝ルート

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