伊勢神宮・内宮(-JINGU- ◆ NAIKU)『正宮(SHOUGU)』

スポンサードリンク

伊勢神宮・内宮(-JINGU- ◆ NAIKU)『正宮(SHOUGU)』

伊勢神宮(-JINGU-)内宮・皇大神宮(KOUTAI-JINGU)

創建年

  • 不明
  • 推定:垂仁天皇26年(弥生時代)
建築様式(造り)

  • 切妻造り
  • 平入
  • 掘立柱
  • 素木造り

※唯一神明造り

御正殿外周の造り

  • 簀の子縁(すのこえん)
御正殿外周・高欄上部

  • 五色・据玉(すえだま/宝玉)33個
屋根の造り

  • 茅葺き(萱葺)
屋根の材料

  • 檜(ヒノキ)
大きさ(正殿)

  • 棟持柱の高さ(地面から棟まで):約10m
  • 地面から床まで:約2.5m
  • 梁間(横幅):不明(推定16m)
  • 桁行(奥行):不明(階段部分含め推定10m)
御祭神(御正殿)

  • 天照大御神
  • 天手力男神(相殿)
  • 栲幡千千姫命(相殿)
社格

  • 伊勢神宮・内宮(皇大神宮)「正宮」

伊勢神宮「内宮・正宮」の読み方

内宮の読み方

内宮の読み方は「ないぐう」「うちみや」ではなく「内宮(ないくう)」と読みます。

正宮の読み方

正宮とは「せいぐう」や「まさみや」、他には「しょうきゅう」「せいきゅう」などとも読めますが、「正宮(しょうぐう)」と読みます。

内宮・正宮(皇大神宮)の御祭神「天照大御神」

天照大御神の読み方は、「あまてらす おおみかみ」と読みます。

父親は「イザナギ神(伊耶那岐命)」です。

母親は、イザナギ神の妻の「イザナミ神(伊邪那美)」と一般的に見られていますが、大御神をお産みになったのは父親である「イザナギ神」とされております。

天照大御神は、他にも名前を持っており、神宮における正式名は「天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)」とされております。

皇大御神(すめおおみかみ)」と略する場合もありますが、正式名ではありません。

ちなみに「天照坐皇大御神」と「天照大御神」と見比べると、「天照坐皇大御神」には「」と「」と言う文字が入っています。

「坐」は古来の「座」の書き方で、つまりは「常に座する(あらせられる)」と言う意味合いを持ち、「皇」は「天帝を意味し、すべてを統べる」と言う意味合いがあります。

天照大御神の他の別名

  • 大日孁貴神(おおひるめのむちのかみ)
  • 大日女尊(おおひるめのみこと)
  • 大日霊(おおひるめ)
  • 大日女(おおひめ)
  • 太一(たいち・たいいつ)

他にも神仏習合においての御名として「大日如来(だいにちにょらい)」とも呼ばれています。

大日如来は、仏教(真言密教)においての最高上級仏様です。

太一」とは古代中国における「宇宙の根源」を意味し、これは「北極星」を神に例えた名称でもあります。

北極星は天の中心と考えられており、つまりは天照大御神のことを意味すると言われています。

内宮・正宮(皇大神宮)の御祭神「天照大御神」のご利益

この「天照大御神」は、太陽や光、秩序等を象徴する神様で、日本国民の「総氏神(そううじがみ)」様と言われています。

「天照大御神」は、天界にあらせられる神様とされ、これは地上においても神々の中の神という位置づけとされています。

地上においての最高神は、出雲にご鎮座される大国主大神ですが、天照大御神は、さらにその上の神様となり、これはすなわち、日本の神々の中でも「最高上級神」の位置づけとされており、すべてのご利益があると云われています。

なお、御神体はご存知の通り「三種の神器」とされる、ラーの・・おっと、「八咫鏡(やたのかがみ)」です!

八咫鏡の祀られ方

通常、御神体は見せるものではないとされています。

なお、大御神がお宿りされている御神体の八咫鏡は、「御樋代(みひろしろ)」と呼ばれるヒノキの入れ物の中に「絹(シルク)」に包まれた状態で「寝かされた状態でお祀りている」ようです。

さらに、これだけでは終わらずにさらに「御船代(みふなしろ)」と呼ばれる、大きさ約2mほどのヒノキで作られた「船の形の入れ物」の中に、丁重にフタがされてお祀りされているようです。

内宮・御正殿にお祀りされている神様は他にもいた!!

また、一般的にはあまり知られておりませんが、実は内宮の御正殿には天照大御神と一緒にお祭されている神様がいます。

しかも、なんと!一緒にお祀りされている神様は「2柱(2人)」もおられるのです。

その神様の名前は、「天手力男神」と「栲幡千千姫命」言う神様です。

いずれの神様も大御神を、お支えする頼もしい神様たちです。

「天手力男神」と「栲幡千千姫命」のご利益は、以下↓の通りです。

「天手力男神」のご利益

「天手力男神」の読み方は「あめのたじからお」と読みます。

天手力男神は、怪力の持ち主とされていますので「災難除け」「スポーツ力上昇」「芸能上達」「無病息災」のご利益があります。

御神体は「」だと云われております。

「栲幡千千姫命」のご利益

「栲幡千千姫命」の読み方は「たくはたちぢひめのみこと」と読みます。

」は、衣を作る際の繊維となり、「」は繊維を織る機械のことを意味しており、すなわち、「織物の神様」と云われています。

これらのことから、ご利益は「アパレル関係(洋服に携わる仕事)のお仕事運の上昇」や「良縁招来」、他にも「安産」「子宝」のご利益があるといいます。

「御神体」は「」だと云われております。

「唯一神明造(ゆいいつしんめいづくり)」


スポンサードリンク -Sponsored Link-






伊勢神宮の正宮は代表的な「神明造」で、大社造(出雲大社/島根)や住吉造(住吉大社/大阪)とともに、最も古い神社建築様式とされています。

「唯一神明造(ゆいいつしんめいづくり)」↑神明造りの伊勢神宮・内宮「正宮」の社殿の図面

この神明造は奥行きよりも幅が広く、高床式倉庫から発展したもので、穀物の代わりに神を納めるように変化したものと言われています。

但し、他の神明造の「社」では、「皇大神宮(内宮)」や「豊受大神宮(外宮)」と同じ構造にすることをはばかって、全く同じものは造られていません。

そのため、神宮の御正殿は「唯一神明造」と呼ばれる独特の建築様式になっています。(一部のみ唯一神明造りの社殿もあります)

使われている材木は「桧(ひのき)」です。

2016y03m05d_025252558↑正宮・「御正殿」の10本の巨大な御柱(立柱祭)にて

神明造の最大の特徴

唯一神明造りの特徴は、大きな礎石を置かないで、丸柱を直接地中に埋める「掘立柱」と「茅葺(かやぶき)」の屋根です。

そして、神明造の最大の特徴といえるのが、建物が四隅にわたって直線の形状で造られており、さらに屋根に至っても、直線的な形状の屋根の造りをしており、さらに、建物の出入り口が「平側」にあるということです。

  • 平側=屋根が垂れ下がっている方向の壁面

これは出雲大社の「湾曲がある大屋根」や「建物の妻側が出入り口」となっている「大社造り」と比較してみれば、同様の歴史を持つ建築物としては大きく造りが異なっています。

  • 妻側=屋根が垂れ下がっていない方向の壁面

唯一神明造りに秘められた先人たちの驚愕の「知恵」

また、神明造りは上述した「高床式倉庫」と言う、太古の時代から受け継がれている建築様式です。

なぜ「高床式倉庫」で造られているのか?と言うことに着目してみると、ここには先人の知恵が凝縮されているからに他なりません。

一般的には高床式にすることによって、倉庫内に保存してある穀物などの食材を、「ネズミなどの小動物」や「昆虫類」から守るためだと知られています。

しかし、こんな驚愕の先人の知恵もこの造りに備わっています。

例えば棟持柱と屋根の間には隙間が空いているように見えますが、これはわざと隙間を少し空けて造っています。

外気が梅雨などの湿気を多く季節には膨張して隙間が小さくなり、内部の保存状態を良くします。

一方、真夏の時期には外気熱によって木が乾燥し、嵩(かさ)がもとに戻ってくると、隙間ができて内部の熱を逃がすことができると云われています。

しかし例えば真夏の時期でも、年数を経るごとに隙間の空きが見られなくなり、一説ではこの隙間が無くなる頃がちょうど20年で、つまりは遷宮において社殿いっさいが造り替えられる理由の1つであるとも言われています。

 内宮・正宮(皇大神宮)の屋根の建築様式(造り)

正宮へ辿り着いたら、やがて30段ほどの石段が参詣者を出迎えてくれます。

この石段は群馬県産の「三波石(さんばせき)」と呼称される石を用いて造られており、湿気の多い日には神秘的な深い緑色を放ちます。

石段を登るといよいよ御正宮の玉垣が見えてきてその間からは「御幌(みとばりと言う「純白の垂れ幕」が垂れ下がっているのが見え、同時に殿舎の屋根部分が見えてきます。

殿舎の屋根上に載せてある不思議な形状をしたものは、「勝男木(鰹木/かつおぎ)」や千木(ちぎ)」というものです。

「勝男木」は円柱形状をしていて、魚の鰹に似ている形から、そのように呼ばれています。

「勝男木」1本の重さは200kg程もあり、屋根の重しのような役割を持っています。

「内宮」では「10本」あります。

伊勢神宮 内宮 皇大神宮 建築様式(造り)「千木」は、屋根の両端をVの字に飾る「4本の木の板」のことを言います。

「内宮」の千木は、先端の切り口が水平で、風を通す穴が2つ半あります。

千木とから汲み取ることのできる御祭神の性別とは?

千木には御祭神の性別を表現しているとも云われており、千木の先が平らな形状のものは、女性の神様が御祭神であることを表現していると云われています。

また、それとは逆に、千木の先が尖っているものは、男性の神様が御祭神であることを表現しているといいます。

勝男木から判断する御祭神の性別

千木と同じく、勝男木(鰹木)からも神様の性別を判断することができるとされています。

勝男木の数が奇数の場合、男性の神様が、そのお社の御祭神であることを意味しているといいます。

一方、偶数の場合は女性の神様を意味しているといいます。

出雲大社と伊勢神宮を例にして例えた場合、以下のようになります。

出雲大社の御祭神

  • 大国主大神=「男性の神様」
千木の形状

  • 先が尖っている
勝男木の数

  • 奇数(3本)

伊勢神宮・内宮の御祭神

  • 天照大御神=「女性の神様」
千木の形状

  • 先が平ら
勝男木の数

  • 偶数(10本)

 

また、「勝男木」と「千木」には、金色をした飾り金具が施されていて、シンプルな建物と調和して、神々しい雰囲気と美しさを醸し出しています。

これは、単に美しさだけではなく、社殿を守るための強度を高めるためのものであると云われております。

ただ、伝承によると、遷宮が開始された当初から、千木に金色の飾り金具は設置していなかったそうです。

つまり、建立当初から金の飾りはなかったということとなります。

そして、屋根の両端を支えているのが掘建て式の「棟持柱(むなもちばしら)」です。

棟持柱」は社殿や大屋根を支える中心的な柱であり、太さが直径にして約70cm、高さにして約10mあります。

正面の中央には板扉があって、その前には10段の木の階段があります。

伊勢神宮の内宮(皇大神宮)・正宮の内部の構成【写真/画像図】

伊勢神宮の内宮・正宮には、御正殿だけではなく、以下↓のような社殿も建立されています。

【会員の最大特典】御垣内特別参拝について

伊勢神宮・内宮「北宿衛屋・南宿衛屋」

伊勢神宮の(内宮・外宮)の正宮へ特別参拝(御垣内参拝)をする際、正宮の北側と南側の出入り口に「宿衛屋(しゅくえいや)」と呼ばれる建屋があります。

この建屋には神宮の神職の方が待機しており受付をしています。

受付とは「参宮章」を提示して御垣内へ入室する許可を得るための受付です。

つまり、特別参拝(御垣内参拝)のことを指し示します。

宿衛屋では、名簿に名前・住所などの記帳を済ませ、さらに「清めの塩」でのお祓いがあり、その後に神職の方の案内で「中重(なかのえ)」と呼ばれる御垣の中へ進みます。

ちなみに、一般の参拝客が入場できるのは「南側の宿衛屋」からです。

伊勢神宮・内宮「四丈殿」

「四丈殿(よじょうでん)」の四丈とは、建屋の大きさ(丈)を表しています。

すなわち、横幅(正面)約13mの長さあるということになります。

四丈殿は、「中重(なかのえ)」と呼ばれる、少し大きい広場の右脇、南御門の前あたりに建てられています。

四丈殿は、雨天の時に主に使用される社殿であり、主に「大祓」などの行事に使用されます。

御正殿の屋根上に設置されている「堅魚木(かつおぎ)」の数が10本なのに対して、四丈殿は8本なので御正殿は、四丈殿よりもさらに2mから3mほど大きいことになります。

伊勢神宮・内宮「東宝殿・西宝殿」

正宮の御正殿の北側(裏側)には、お社が2つ並んでいるのが見受けられます。

このお社(社殿)は宝殿といって、古来から伊勢神宮に伝承される秘宝が安置されている云われています。

西宝殿に収められているもの

西宝殿には、40年前(前回のその前の遷宮の時)に奉納された「古神宝類」が、大切に保管されていると云われております。

東宝殿に収められているもの

一方、東宝殿には神宮で執り行われる行事である「月次祭」「神嘗祭」「祈年祭」「新嘗祭」で、天皇(皇室)からの勅使から奉納された品々が、大切に保管されていると云われております。

勅使よりの品々とは、以下↓のような品々になります。

「布帛」「衣服」「紙」「玉」「お酒」


スポンサードリンク -Sponsored Link-






正宮の配置(デザイン)は今と昔で違っていた?!

上記↑の写真(画像)を見ると、御正殿と東西の宝殿の配置は、三角系を描いた直線で結ぶことができます。

伊勢神宮は、その一切を古から伝わる伝承を、そのままに執り行っていると云われておりますが、実は御正殿と宝殿の配置が昔と現在とでは少し違った位置にあったそうです。

少し違った位置とは、江戸時代から明治時代初頭の遷宮時には、御正殿と東西の宝殿が横並びの位置にあったそうです。

つまり、今にみる御正殿と東西宝殿の三角の配置は、明治22年の遷宮時からの配置だと云われております。

この配置が変わった理由としては、伊勢神宮が大昔から歴史を歩む中で、同様に遷宮の習わしがあって、執り行われてきたのですが、以下のような理由が列挙されます。

  • 実は120年もの間、資金不足で遷宮が執り行うことができない時期が存在した。
  • 長い年月を経る中で手違いがあった
  • 正しい社殿の位置関係を記した書物などが消え失せた
  • その時代時代に応じたデザインが存在した
  • 日本を支配した幕府を例とした王朝などが、影響を及ばしたのではないか?

などが、原因とも考えられています。

伊勢神宮の内宮(皇大神宮)・正宮の内部の構成【写真/画像図】↑正宮を上から見た航空写真(遷宮時)

【会員の最大特典】御垣内特別参拝について↑正宮内部の絵図面

※正宮の内部は写真撮影が禁止のため、敢えて上空からの写真でご説明をさせていただきます。

御正殿へたどり着くための正宮の4重の御垣

伊勢神宮・内宮/正宮の「御正殿」では、皇室の先祖神であり、日本人の総氏神とされる「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」が祀られています。

「天照大御神」は「正宮・御正殿」に鎮座されており、「御正殿(ごしょうでん)」は、「4重もの御垣(みかき)」に囲まれており、つまり、御垣のもっとも奥にご鎮座されております。

※外側⇒内側↓

  1. 板垣(いたがき)
  2. 外玉垣(とのたまがき)
  3. 内玉垣(うちたまがき)
  4. 瑞垣(みずがき)

このうち、一般の参拝者は、「板垣」と呼ばれる垣根までしか、入ることができません。

分かり易い例に例えると、正宮の入口に垂れ下がっている「御幌(みとばり)」と呼称される「白い布」までです。

そして、御正殿にたどり着くための垣根には、上記の4つの垣根の他に、4つの出入り口(門)が存在します。

この4つの出入り口は、各垣根の設置されているもので、北の方角と南の方角に各、4つ存在しますので、合計で8つ存在することになります。

ちなみに、御正殿は南の方角を向いていますので、御正殿と相対するのは南方向となります。

そして、これら4つの出入り口(門)を通って御正殿までの道のりを歩みます。

4つの出入り口(門)とは、以下↓のような門になります。

御正殿へたどり着くための正宮の4つ門

※外側⇒内側↓

北方向
  1. 板垣北御門
  2. 外玉垣北御門
  3. 内玉垣北御門
  4. 瑞垣北御門
南方向
  1. 板垣南御門
  2. 外玉垣南御門
  3. 内玉垣南御門
  4. 瑞垣南御門

御正殿・八咫鏡(天照大御神)の床下に眠るとされる心御柱とは?

御正殿の床下には、出雲大社と同じく、心御柱が埋められています。

これは、神の依り代的な役割を果たしていると云われており、天照大御神の御神体の丁度、床下あたりに埋められているそうです。

心御柱が御正殿に埋められている理由

これについては、ハッキリとしたことが判明していないと云われておりますが、有力な意見としては、伊勢神宮の心御柱は天皇を象徴するものだと云われており、天皇を守護し、天皇に国を守護してもらうといった意味合いがあるといいます。

延喜式(えんぎしき)」の定めによる伊勢神宮の社格

伊勢神宮には、「内宮(ないくう)」と「外宮(げくう)」があって、その宮域(境内)に「別宮」や「摂社」などがあるため、それらと区別するために本殿の建物のことを「正宮(しょうぐう)」と呼びます。

伊勢神宮の「内宮(ないくう)」は正式には「皇大神宮(こうたいじんぐう)」という社名です。

また、伊勢神宮は、正式には「神宮」とだけ呼び、これは伊勢神宮の近隣にある「関係社125社」ある神社を総称して「神宮」と呼称します。

これは平安時代中期に醍醐天皇の発願によって編集された「延喜式(えんぎしき)」の9巻と10巻にあたる「神名帳」が基本となって定められています。

他にも、この「延喜式(神名帳)」の定めでは、「伊勢の神宮は社格なし(日本の神宮のため適用外)」とされ、他の神社とは別格に扱いにされており、これは今現在に至っても継承されております。

これらは天皇の祖先とされる「天照大御神」が、御鎮座されていることに起因するものであると思われます。

内宮・御正宮(皇大神宮)の歴史と皇大神宮の創建

「天照大御神」の御神体は「三種の神器」の一つである「八咫鏡(やたのかがみ)」とされています。

この鏡は天皇自身が代々宮中でお祀りしていましたが、第10代の「崇神天皇(すじんてんのう)」の時代に、国中に疫病が、蔓延(まんえん)し、農民が反乱を起こして困っていました。

このような悪いことが起こるのは「天照大御神」の祭事をつかさどるそばで政治を行っているためではないかと思い、政治と祭事の場所をわけることにしました。

その時から、宮中では「八咫鏡(やたのかがみ)」の複製品が作られて保管し、実物の「ヤタノ鏡」は、皇居の外にうつすことにしました。

最初は、倭の笠縫邑(かさぬいむら)でお祀りしていましたが、新たに「天照大御神」をお祀りするのにふさわしい聖地を探すことにしました。

その重要な任務は、「垂仁天皇(すいにんてんのう)」の娘神の「倭姫命(やまとひめのみこと)」によって行われています。

今から、およそ2000年前のことですが「倭姫命」は、現在の奈良県、滋賀県、岐阜県などを巡り、最後に気候温暖で食物に恵まれ、「風光明媚(ふうこうめいび)」な三重県伊勢市にたどり着きました。

そして、伊勢の国の「五十鈴川(いすずがわ)」の川上に「祠(やしろ)」を建ててお祀りすることにしました。

そして、祠が、神の宮である「神宮」と呼ばれるような大きな規模になったのは、7世紀後半(西暦650年から西暦700年)頃と言われています。

最後に・・「伊勢神宮が文化遺産(世界遺産)に登録されない理由」

伊勢神宮の歴史は、出雲大社の歴史や社殿の造りなどがよく比較されます。

出雲大社の境内の社殿は文化遺産に登録されているのも数多く存在しています。

一方、伊勢神宮は、境内に文化遺産に登録されている社殿はなく、常に社殿が綺麗で整っている印象を受けます。

これは、伊勢神宮が約20年ごとに、「遷宮(せんぐう)」の習わしがあり、つまり、内宮、外宮の社殿の一切を造り変えてしまうことによって、これが妨げとなり、文化遺産登録の条件である「歴史的建造物」という条件に当てハマらないと、いうことになっています。

近年では、伊勢市が伊勢神宮を世界遺産へ登録させる動きも見受けられますが、上記のような習わしがある限り、世界遺産はおろか、文化遺産にも登録できないのが現状であり、非常に残念なところでもあります。

しかし、我々、日本人の国民、一人一人の心にしっかりと「お伊勢参り」という伝承が残っており、この伝承は歴史から消え去ることはなく、世代を超えて語り継がれるのものであり、これこそが何よりの、本当に偉大な遺産と呼べるものといえます。

【参考】遷宮1回で使用する木材量と用意する敷地の大きさ

  • 用意する敷地の広さ:約1万立方メートル
  • 木材:約10,000本
  • 使用木材:直径1.4mの樹齢500年ほどの巨木
  • 遷宮総費用:約560億円
内宮のオススメ参拝ルート

スポンサードリンク -Sponsored Link-


    

当サイトの内容には一部、専門性のある掲載があり、これらは信頼できる情報源を複数参照し確かな情報を掲載しているつもりです。万が一、内容に誤りがございましたらお問い合わせにて承っております。また、閲覧者様に予告なく内容を変更することがありますのでご了承下さい。

関連コンテンツ