伊勢神宮(-JINGU-)◆ 宇治橋(UJI-BASHI)

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伊勢神宮(-JINGU-)◆ 宇治橋(UJI-BASHI)

伊勢神宮(-JINGU-)◆ 宇治橋(UJI-BASHI)

創建年

  • 不明
  • 推定:800年から1192年代(平安時代)
所在地

  • 三重県伊勢市宇治舘町(伊勢神宮・内宮入口)
橋梁上部の建築様式(造り)

  • 単純桁橋
橋梁下部(橋脚)の建築様式(造り)

  • 筋交付3柱伝統形式木製橋脚
支承(ししょう)の形式

  • 台持木(7本)

※橋の床下を支える木

  • 橋脚の数:13組
  • 橋脚杭:3本
  • 水貫:4本
  • 筋交貫:4本
  • 梁:1本
大きさ

  • 長さ(全長):336尺(約101.8m)
  • 横幅:約8.42m
高欄(こうらん)の柱の数

  • 全12基(本)
袖柱の数

  • 全4基(本)

※先端「擬宝珠」付き

中央部の反り高

  • 6尺(約1.8m)
材質

  • 橋梁上部:ヒノキ
  • 橋脚杭部:ケヤキ
橋梁上部床板の枚数

  • 約370枚
橋梁上部床板の厚さ

  • 約15cm
工期

  • 約1年3ヶ月
宇治橋の別名

  • 御裳濯橋(みもすそばし)

 

宇治橋が御裳濯橋と呼ばれる言葉の由来

宇治橋は別名「御裳濯橋」とも呼ばれています。

御裳濯という字は、少し読みにくい字となりますが「みもすそ」という読み方をします。

これは、五十鈴川の別名が「御裳濯川(みもすそがわ)」であり、この川に架かる橋梁という意味合いで「御裳濯橋」と呼称されています。

「御裳濯」の意味って??

「御裳濯」の由来としては、八咫鏡を携えて旅を続け、旅の果てにココ伊勢の地に神宮を創建した「倭姫命(やまと ひめのみこと)」が、旅の途中で「御裳(みも)」という十二単のような着物を、この川で洗ったと云われています。

このことに因んで「御裳」と付けられ、さらに「濯(たく)」は、洗濯機の「濯」となり、これは水で「そそぐ」「ゆすぐ」などの意味合いがあります。

ちなみに、山口県の下関にも同様の名前の川(御裳濯川)がありますが、川の由来は同じく、平安時代の宮中の女官が着物を洗い清めたとされています。

えぇっ?!宇治橋は右側通行なの?

外宮から、やっとの思いで内宮へ辿り着き、疲れとは裏腹に大御神との対面が控え、少々身体が緊張で汗ばんできたかと思えば、突然、内宮への入口となる宇治橋の前に、威圧感を放って立ちはばかる看板が飛び出てきます。

その看板にはこう書かれています。

右側通行

宇治橋の右側通行の理由は、単純に神宮が定めた決め事なので、やぶさかなくと言った所です。

しかし、これには意味合いがあるのです。

  • 中央が神様が通る道
  • 内宮は手水舎が参道の右側にあるため

以上のようなことが理由といえます。

宇治橋の向こう側は神域ではなく「民家??」

ちなみに、現在では宇治橋の向こう側は神域とされていますが、江戸時代には民家や商家が立ち並んでいたそうです。

そこに住んでいた民家や商家の住人たちの、結束した意見が影響して、右側通行となったとも云われています。

伊勢神宮・内宮(皇大神宮)宇治橋の歴史と由来

上述でも、幾度か言葉を発していますが、世間一般的に宇治橋を超えた先は、「いよいよ神域」と思い、あらためて深呼吸する参拝者も少なくはありません。

ただ、神宮の神官から見た宇治橋の先とは、「神域ではない」という見解があり、ここで一般の参拝客との見解の相違が出てきます。

しかし、自身が神域と思えばそこは神域であり、他人が神域でないとするのであればそれは神域ではないのでしょう。

ただ、御正宮に関しては、御垣で結界がハリ巡らされており、御垣の向こう側は神界となりますので、ここは完全な神域として理解しなければいけないところです。

えぇっ?!宇治橋の床板は「6cmも歪み」がある?!

宇治橋は1969年(昭和44年)の建て替えの工事の時に、足元部分にコンクリートで補強がされています。

見た目は伝統的な景観を維持するために石畳で構成されています。

なお、遷宮後も神宮司庁・営繕部の管理下で定期的な点検と清掃が実施されています。

定期的な点検を実施する理由とは、年間600万から800万人が訪れることもあり、明治時代以前では6cm規模で床板に隙間が出来たそうです。

現在では、隙間が見当たらないことが分かりますが、これには上記の定期的な点検と職人の技の冴えという解釈が成り立ちます。

宇治橋を造るために関わった職人芸

内宮へ向かう最中、胸躍る気持ちで、前だけを見て参道を進む方がほとんどです。

しかし、宇治橋を渡った時に足元を見れば、ここで職人の技を目にすることができます。

上記でも、お話しましたが、宇治橋の床は「橋のたもと」から「たもと」まで、隙間なく埋め尽くされているのに気付くことができます。

これは「スリ合わせ」という技法を用いて造られています。

「スリ合わせ」の技法

「スリ合わせ」の技法は現代でも、フラスコなどのガラス細工に活用されることの多い技法ですが、神宮の遷宮においては、絶妙な加減で、隙間なく床板を敷き詰める際に活用されています。

「スリ合わせ」の技法の原点は、古来、木造船を造る際に活用されてきたのが発端となっています。

神宮の工事に関わる大工は、古来からの職人技を受け継いだ大工さんなので、船大工の技を併せ持つ大工もいます。

近代に差し掛かり、木製の船が造られなくなってからは、船大工の数も減少し、通常の大工に生業を変えて、生計を立ててきた名残ともいえます。

えぇっ?!鎌倉時代や室町時代には僧侶が宇治橋を造っていた!!

これはあまり知られていないようですが、鎌倉時代や室町時代の宇治橋の建て替えは、なんと!僧侶や仏教徒が中心となって行っていたそうです。

鎌倉期や室町期と言えば、戦乱の世です。

したがって、戦続きで土地は荒れ果てて、浄財(資金)なども当然、望める状況ではなく、長く式年遷宮を執り行えませんでした。

そこで、神宮に変わって「勧進聖(かんしんひじり)」と呼ばれる旅の僧侶が、日本全国を駆け回って資金を調達しました。

その他にも、この話を聞きつけた仏教徒が寄り集い、ついには神宮復興を目標とした一大組織が形成されるに至ります。

後にこの組織は「慶光院(けいこういん)」と呼ばれる寺院を建てて根城とし、幕府や朝廷(天皇)に神宮復興を働きかけました。

その働きかけが実を結び、ついには幕府と天皇から神宮の式年遷宮においての全権を与えられ、工事から木材の調達までをすべて執り行っていたそうです。

宇治橋の式年遷宮後の渡り初めの「渡始式」

伊勢神宮の内宮では、遷宮後の宇治橋の一大行事とも言える「宇治橋渡始式(わたりはじめしき)」という儀式があります。

宇治橋の式年遷宮後の渡り初めの「渡始式」この儀式は朝の10時に開始され、年々、多くの参拝者が訪れることで有名です。

そして、参拝者の数は、増加傾向にあると言われており、軽く3万は超えるといいます。

中でも、特に目玉と言えのが、20年に1度しか授かることのできない「木札」が午後4時から授与していただけることです。

ただ、木札には数に限りがあるので注意が必要となってきます。

この儀式のもう1つの目玉の見どころとなるのが、地元の伊勢市内(旧・神領内)から抽選で選ばれた「渡女(わたりめ)」と呼ばれる「1家で3代の夫婦が健在する一家の老女(おうな)」が、遷宮(架け替え)後、日本で1番最初に足を踏み入れる一般人となるシーンです。

さらに、老女(おうな)の後にも、約60組・計約350人もの、日本全国から参加した「供奉三夫婦(ぐぶのみふうふ)」と呼ばれる3世代夫婦が続きます。

なぜ、1家で3代の夫婦なの?

1家で3代の夫婦と渡始式との由来は、古来では特に、1家で3代の夫婦が健在する家庭が極めて数が少なく、「おめでタイっ!!」・・などといったことになると云われています。

これは何もこの宇治橋の「渡始式だけに限らず、日本全国のイベントや行事で1家で3代の夫婦の渡りの儀式が執り行われています。

宇治橋鎮守神と1万回祈祷の御札「萬度麻」

宇治橋渡始式の儀式でも1番の見所となるのが、「擬宝珠(ぎぼし)」に「萬度麻(まんどぬさ)」と呼ばれる御神札を奉納する場面です。

宇治橋鎮守神と1万回祈祷の御札「萬度麻」宇治橋付近にある「饗土橋姫神社(あえどはしひめじんじゃ)」の御祭神には「宇治橋鎮守神」という神様がおられます。

神宮では、宇治橋の建て替え工事までに、この神様へ約1万を数えるご祈祷が重ねられるといいます。

その時に祈祷を重ねた「萬度麻」を宇治橋の「擬宝珠」の中へ、宮大工たちの手により納めるのです。

「萬度麻」という、神札を宇治橋の「擬宝珠」の中へ宮大工たちの手により納める「擬宝珠(ぎぼし)」とは、「永沢くんのド頭(どたま)」のような形をした金物細工で、お寺でよく見かける「高欄(こうらん/橋の両側の柵)」の「柱の上に覆いかぶせる部品」となります。

擬宝珠は、本来、仏教が発祥となり、したがって、お寺に多く見られるものであって、これは「仏舎利(お釈迦様の骨壺)」を意味すると云われております。

このことから、神社建築による擬宝珠とは、神宮の正宮・御正殿の擬宝珠を模して造られたと云われており、神社では、「天皇と縁のある社格を持った神社」にのみ、擬宝珠を取り付けることが許された云われています。

なお、神宮内では擬宝珠とは呼ばずに「葱花型金物(そうかがた かなもの)」と呼ばれます

「葱花型」とは、つまりは「葱頭(ネギあたま)」のことで、クソほどハゲたド頭を、3ヶ月間放置した後の、コノ野郎なド頭の状況のことを言います。

・・・こホんっ!

宇治橋の擬宝珠の刻印について

宇治橋の定かな創建は不明とされていますが、「宇治橋の擬宝珠」には、「建て替えられた年数」や、創建年の手がかりとなる、「人の手で彫られた以下↓のような痕跡」が残っています。

宇治橋の擬宝珠に彫られた文字

天照皇太神宮 御裳濯川御橋 元和五己未年 三月

「天照皇太神宮 御裳濯川御橋 元和五己未年 三月」 (2)

嘉永六癸丑年6月

「嘉永六癸丑年6月」

奉行 山口丹波守 源直信 嘉永六癸丑年 六月吉祥日

「奉行 山口丹波守 源直信 嘉永六癸丑年 六月吉祥日」

御鋳物師 蛸路住 常保河内

「御鋳物師 蛸路住 常保河内」
なお、現在の宇治橋には、「元和5年(1619年)」「嘉永6年(1853年)」の2つの年代物の擬宝珠があるそうです。

そして、これらの擬宝珠は交換されず、繰り返し使用されています。

これも伝統ですね。

この擬宝珠も、神宮の隠れた観光のスポットと言えます。

内宮へ参拝に訪れた際は、ぜひ、見てみてください。

宇治橋の鳥居について

宇治橋を語る上で忘れてならないものが鳥居です。

宇治橋の鳥居について宇治橋の鳥居は、御正殿と関わりの深い鳥居です。

宇治橋の鳥居に関しては当サイトの別ページにてご紹介していますので、ソチラをご覧ください。↓

宇治橋で見る幻想的な「初日の出(日の出)」と日が昇る頃合と時間

宇治橋を語る上で忘れていけないのが、「日の出(初日の出)」です。

宇治橋で見る幻想的な「初日の出(日の出)」と日が昇る頃合と時間神宮の参拝の話を伊勢参りのツウなベテランから伝え聞くとき、「早朝参拝」という言葉をよく耳にすることがあります。

なぜ、早朝参拝が良いのかというと、1番の醍醐味は宇治橋から見ることのできる「日の出」を見れるからだといいます。

まだ薄す暗く、参拝客も少ないので、まさに「日の本の一」とも呼べる絶景の日の出を、独り占めしたような気分になれるといったことでしょうか。

なお、宇治橋の写真でよく見かける「鳥居の中央部分からの日の出」が見られるのは、「12月20日以降から1月7日頃」の、「朝7時から7時30分にかけて」だそうです(冬至)。

ただし、正月の初詣や元旦には、初日の出を見ようと、日本全国から多くの方が押し寄せますので、他の参拝客で見えない恐れがあることだけは、念頭に置いておかなければなりませんね。…エッへん。

宇治橋の守護神「饗土橋姫神社」

宇治橋の守護神・饗土橋姫神社あまり知られていませんが、この宇治橋には、橋を守護する神様がおられます。

すなわち、宇治橋には神様がお宿りになっておられ、神域へ足を踏み入れる参拝者の心根を見定めておいでになっています。

同時にこの神様は、参拝を終えた参拝者1人1人、無事に大切な家族の待つ家へ帰れるように、御神徳をお授けになってくれます。

そして、この神様の名前を「宇治橋鎮守神」といいます。

宇治橋鎮守神は、正式に宇治橋にご鎮座されているワケではなく、宇治橋近くにある「饗土橋姫神社」にご鎮座されています。

饗土橋姫神社は、遷宮時、神宮の所管社の中でも、1番最初に建て替え工事が開始されるお社として有名です。

理由は、宇治橋の架け替え工事に合わせてのこととなります。

えぇっ?!神宮の遷宮は宇治橋だけ4年も前にしている??

これも伊勢の地元以外ではあまり知られていないかもしれませんが、宇治橋の遷宮の儀式は、他の遷宮の儀式とは違い、なんと!4年も前に執り行われているのです。

4年も前に執り行われている理由とは、第二次世界大戦の最中、日本の相続く敗北によって、第59回の式年遷宮の儀式が、昭和天皇の下知によって、1953年(昭和28年)に変更になりました。

しかし、伊勢市の地元の市民の方々は、「宇治橋だけでも建て替えてさせて欲しい」との熱い要望を発します。

この要望に対して、天皇陛下は一部、下知の内容を変更なさり、宇治橋だけ先に造り替えることをお認めになったそうです。

こうして、宇治橋以外の遷宮の儀式は、御下知の通り、4年後の1953年(昭和28年)に執り行われました。

すなわち、ここで「4年という年月の開き」が、できてしまったいうワケです。

編集後記

鉄道唱歌でも謳われた神宮の宇治橋

鉄道唱歌とは、明治時代の汽車(鉄道)の車内などで鼻歌や演奏で歌われた歌で、当時では大流行した歌のことです。

その第5集には、神宮の宇治橋のことが歌われています。

鉄道唱歌 第5集 関西参宮・南海編・26番

五十鈴の川の宇治橋を わたればここぞ天照す皇大神(すめおおかみ)の宮どころ 千木たかしりて立ち給う

これは作者の心の情景がよく表現された歌詞です。

宇治橋のたもとに立った瞬間に、神宮に来たんだという畏敬の念に囚われて、縮みあがってしまい、緊張のこわばりにも似た「神妙な気配に包まれている」といった作者の気持ちがシンミ~リと、伝わってくる名句とも言えます。

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